第7話  聖ジョルジョ祭 その三

「まあ、だんだん小降りになってきましたね。」

と叔母が言った。

朝食が終わる頃、遂に雨は小やみになった。 

しかし、空は依然、なべ墨色で風は激しく木々の枝を揺すっていた。

「お母様、行って参ります。」

イザベラは元気よく出かけようとした。  

それを見て若い侍女たちが飛んで来た。

「姫様、今日はこの様なお天気です。馬車でいらっしゃいませ。」

イザベラはうつむいて口ごもりながら

「あの・・・やっぱり馬車ではお祭りの様子がよく見えないので」

「いいえ、それに今日はモデナの奥方様も御一緒ですから。」

イザベラは途方に暮れて母の顔を見た。

その時、横から叔母が

「私なら大丈夫。 やっぱりお祭りは歩いて観た方が楽しいわ。」

と言ってくれたので、イザベラはほっとした。 

すると、もう一人の侍女が

「おしのびで大丈夫でございますか? よろしかったら私たちがお供に」

と言い出したので、イザベラは困ってしまった。 

その時、母が静かに言った。

「有難う。 でも、本当に大丈夫なのよ。

それより貴女方は、後で私たちが行く時について来てほしいの。 

ですから、そろそろ支度を始めてちょうだい。」

侍女たちははしゃぎながら蜘蛛の子を散らした様に銘々の部屋へ行ってしまった。

「行って参ります。」

イザベラは晴れやかな顔で出かけた。


外は、ひどい風だった。

歩こうとしても体が押し戻されそうになり、道の両側の出店のテントも風が吹くたびに大きく揺れていた。

「嵐が来るのかしらね。」

叔母が言った。

「思い出すわ。昔、貴女がモデナに来ていた時、ひどい嵐があったわねえ。」

「はい、よく覚えています。」

「あの時、お家を遠く離れて、窓を打つ雨や風の音に弟さんたちはみんな泣き出したけれど、貴女だけは泣かなかったわ。  あれは何年前のことかしら。」

「もう7年前になります。  叔母様のところでお世話になりましたのは、私が8歳から10歳の時でした。  あの御恩は一生忘れません。」

「まあ、そんな。  私の方こそ、とっても楽しかったわ。  私はよく貴女と一緒に寝たわね。」

イザベラもまざまざとあの頃のことを思い出した。


それは1482年、イザベラが8歳の時であった。 

ローマ法皇シクストゥス四世の甥ジェラロモ・リアリオがフェラーラに目をつけ、法皇とヴェネツィアを味方に引き入れて、フェラーラを解体すべく宣戦布告してきた。

これに対し、イザベラの父 フェラーラ公爵エルコレ一世はフェレンツェ、ナポリ、ミラノの支援を受け、ここにフェラーラ戦争の火蓋が切って落とされたのであった。

戦況は悪化し、ヴェネツィアの軍隊がフェラーラに攻め込み、エルコレ一世は子供たちをモデナに避難させた。

その直後、フェラーラは最大の危機を迎えた。 

エルコレ一世の病臥である。

彼は持病の痛風が悪化し、まさに死の淵に瀕していた。

しかし、その時、イザベラの母 エレオノーラ公妃がフェラーラの国民に向かって、祖国を守るため戦うことを涙ながらに訴えた。

その言葉に国民は奮い立ち、フェラーラは戦い抜いたのである。

フェラーラの国民は、自分たちの国土を守るため、自ら武器を持って立ち上がり、押し寄せるヴェネツィア・法皇連合軍に立ち向かっていった。

そして、遂に1484年、「バニョロの和」によりフェラーラ戦争は終結し、フェラーラは滅亡を免れたのであった。


1483年イザベラはモデナで熱を出した。

すると、それを聞きつけフランチェスコは、モデナに手紙とお見舞いの品を送ってきた。   そのお礼状の中で9歳の自分が次の様な一節を書いたことを、イザベラは今でもはっきりと覚えている。

「御手紙とプレゼントを見ました途端、私はすっかり病気が治ってしまいました。

でも、私の病気がいつまでも良くならない様ならフランチェスコ様がモデナまでお見舞いに来て下さる、とお聞きして、私は、もう一度病気になりたいと思いました。」


思い出に浸っていたイザベラは、叔母の声に我に返った。

                             つづく

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