第2話


 隆哉が渡り切り、美乃里があと少しで向かいの歩道に到達する

 ――その瞬間だった。


 突然、エンジン音が鳴り響く。

 空吹かしの様なその音。


 その音の先、急速で左折する白い軽自動車。

 左右に大きく揺れるその動きは、不自然だった。


 そして、その軽自動車はあろうことか、

 美乃里へ目掛けて勢いよく向かって来たのだ。


「――え」


 考える余裕も、避ける間も無い。

 美乃里は呆然としていた。


 隆哉から数メートル。

 白い軽自動車は勢い良く、電柱へと衝突する。


 美乃里を巻き込んで――。

 必死に手を伸ばす、その瞬間が脳裏に焼き付いた。


 背後で聞こえる衝突音。

 不思議と耳に残る、その金属音。


 自然とその衝突音で、軽自動車に何が起きたか、想像出来てしまった。

 どうして、人間は推測が出来てしまう生き物なのか。


「美乃里!」

 ハッと我に返った顔で、隆哉は振り向く。


 振り向いた視界に美乃里の姿は無かった。

 慌てて周囲を見渡し、美乃里の姿を確認する。


 軽自動車の真下。

 彼女の下半身は、軽自動車の下敷きになっていた。


「美乃里・・・・・・?」

 仰向けに倒れている美乃里。

 ゆっくりと隆哉は歩み寄る。


 いったい何が起きたのだ。

 今、僕は夢を見ているのだろうか。


 美乃里の下半身からゆっくりと血が滲み出ていた。


 ――どうしよう。

 そう思う中、隆哉の後ろにいた通行人の一人が救急車を呼んでいた。


「う・・・・・・っ」


 うめき声の様な声。

 美乃里はゆっくりと目を覚ました。


 放心している様なその表情。

 隆哉は言葉無く驚いた。


「美乃里! だ――」

 ハッと気づく。大丈夫――そう言おうとした。


 しかし、返事は決まっている。

 隆哉は続くその言葉を咄嗟に止めた。


 言葉を止めることしか出来ない。

 思考が何一つ定まらなかった。


「隆哉・・・・・・?」

 掠れた声で、美乃里は隆哉の方を振り向いた。


 隆哉のいる地点から、三十メートルほど。

 隆哉たちを心配そうに眺める、何十人の人波。


「うん」

 彼女に聞こえる様に隆哉は強く頷く。


「隆哉、痛いよ・・・・・・」

 痛みを堪え、苦痛の表情で美乃里は奥歯を噛み締めていた。


 自然と目を逸らしてしまうこの光景。


 きっと僕なら泣いているだろう。

 それほどの状況なのだ、今の彼女は。


「ねえ・・・・・・、私、どうなってるの・・・・・・?」

 美乃里は霞んだ様な瞳で息を切らしながら、そう呟く。


「・・・・・・」

 呆然とする。僕は答えられなかった。答えられる訳が無い。

 美乃里は隆哉の表情に察したのか、ゆっくりと顔を上げた。


「え――」

 

 顔を上げた美乃里に映る自身の姿。

 自身は軽自動車の下敷きになっていた。


 理解しているはずなのに、思考が追いついていかない。

 美乃里はただ呆然とその光景を眺めていた。


「あ――」

 眉を曲げ、隆哉は不安そうな顔で呆然とする美乃里を見つめる。


 見せたくなかったはずなのに。

 けれど、隆哉は何も言えなかった。


「っ!」

 突然、美乃里が小刻みに震え初めた。


 自身でも何が起きたのかわからないのか、

 怯えた様な顔で息を荒くする。


 パニック。

 隆哉にその単語が頭に過った。


 痛み。恐怖。次第に美乃里は暴れる様に身体を動かし始めた。

 自発的では無い、ショック症状の様なその動きは、次第に激しくなる。


「み、美乃里!?」


 身体が動く度、軽自動車の底面に接触している太ももから出血する。

 その痛みに、さらに悲鳴を上げる様に泣き叫んだ。


 初めて聞く、美乃里の泣き叫ぶ声。

 

 声帯が擦り切れる様なその悲鳴。


 彼女の声は、静まり返ったこの場に響き渡る。

 

 彼女のその声は、残響の様に僕の耳に残った。


 隆哉はふらついた足取りで無意識に後退る。


 純粋な恐怖。

 恐れ、怖気つく――この光景に。


 さっきまで笑顔を見せていた彼女。

 こんなにも変わってしまうなんて。


「これは――」


 やはり、悪夢に違いない。

 僕も彼女も、長い長い夢を見ているのだ。


 呆然と立ち尽くし、隆哉は現実から目を背いた。

 これが夢であると。


 瞼を閉じ、大きく深呼吸をする。

 目を開けると、景色は変わらない――夢では無いのだ。


「・・・・・・」

 現実と理解する。

 しかし、何も出来なかった。


 無力。非力。

 僕はこんなにも力に慣れないのか。


 しばらくして、救急車が到着する。

 今の僕には、一安心する感情すら無い。


 救急隊が泣き叫ぶ彼女を救助する中、僕は一人立ち尽くしていた。


 次第に周りの音が遠く聞こえてくる。

 まるで、屋内から外の音を聞く様に。


 そして、僕はゆっくりとゆっくりと意識を失った。


 僕はどうやって、家に帰ったのだろうか――。

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