エピローグ 最後の道化
九月の頭に行われた文化祭でのちょっとした催しを区切りに三年生が引退し、二年生が新幹部として稼働し始めてから、時間はあっという間に過ぎた。学校の授業が始まったから、というのもあるけど、それだけ僕の毎日は前よりも充実しているように感じられた。
そして九月末、酷い台風を日本を襲った翌る日の金曜日、僕は学校を休んだ。実際のところは、台風とは全く関係なくて、あらかじめ決まっていた忌引きだった。
父の一周忌だった。
法要の後、集まった親戚の人たちには食事の席で、僕と母は、この一年間で自分たちがどういう喪失に苦しんだかを話した。親戚の人たちは、思った以上に親身になって聞いてくれて、「そんな言ってくれれば助けたんになあ」と同情的に言ってくれた。
もちろん思うところはあったけど、「助けを求めるわけにはいかない」と僕も意固地になりすぎていたのかも知れない、と反省した。
いろいろと済んで家に戻ってきたのは、土曜日の夕方だった。母は疲れた、と言って眠りについてしまった。母は慣れない活動すると一二時間は平気で眠るスーパーロングスリーパーなので、明日の早朝まで起きてこないだろう。
スマホを見ると、安藤からメッセージが来ていた。法事が済んで帰ったことを伝えると、今からうちに来るという。「楽しみにしてる」と打っておいた。
それから、僕は父の祭壇の前に座る。改めて線香をやり、チーンとりんを鳴らして、手を合わせる。兄貴の部屋に隠すようにしまってあったものだ。今では居間の片隅に置いてあり、いつでも父の顔を見られるようになっていた。
物思いを一通り済ませると、僕は立ち上がり、クロックスをつっかけて外に出た。庭の本当に小さなガーデニングゾーンには、マンホールオープナーが突き立てられている。そこには、手製の墓標がぶら下げられていた。
『R.I.P 黒野クロ』
突然、地下道が閉じられてしまったため、黒野の遺体を回収できなかったのが心残りだった。なので代わりとして「啓蒙の杖」を墓標にしているのだった。
僕は、黒野を想って手を合わせた。僕が恋した女の子、そして、僕が誰かを愛せるということを教えてくれた老猫。僕の笑顔をちゃんと見せてあげられたらな、という後悔が、僕の心には燻っている。ごめんな、笑うなら、一緒に笑いたかったよな──。
「伊庭」
突然、声をかけられて振り向くと、安藤が来ていた。思ったより、長く黒野の墓の前にいてしまったらしい。
家の前には軽自動車が停まっていて、運転席には例の安藤母の恋人さんがガラ悪く座っていた。目が合って、軽く会釈する。相変わらず直視できないくらい見た目が怖い人だが、心根はめちゃくちゃ純情で、安藤も仲良くやっているようだ。
「外にいたんだ。クロちゃんのお墓?」
安藤は訊ねる。僕は黒野クロと過ごした夏の思い出を聞かせていた。もちろん、野良猫という体裁だったが、僕のイメージでは、黒野クロはずっと真っ黒セーラー服の少女だった。
「そう。会ってあげてよ」
「うん」
僕たちは揃って、聖剣エクスカリバーよろしく突き立てられたマンホールオープナーの前で手を合わせる。知らない人からしたら、よくわからない光景だろうな、と思いつつも、こうして誰かと黒野の存在に想いを馳せ、偲ぶことができるのは心の救いになった。
「よし、そしたら本題ね」
安藤は車に戻ると、後部座席からケージを取り出した。中にはふかふかのタオルが敷いてあって、その上にこんもりと小さな黒い毛玉が載っている。僕が覗き込むと、その毛玉はぴくぴく動くと、やがてくいっとその小ぶりな頭を上げて、くりくりの目で僕を見た。
そこに入っていたのは黒毛の仔猫だった。
「かわいすぎるだろ……」
「でしょ。ベストタイミングだったね」
安藤は学校や部活の傍ら、保護犬や保護猫の世話をしたり、里親を探すボランティアに参加し始めた。もともと母親の意向に関係なく、高校のうちに動物のためになる活動や仕事をやりたかったという。家の近所の野良猫の保護活動を手伝ううちに、興味が湧いたのだとか。
ちょうどその話を聞いたとき、僕は黒野のことで落ち込んでいて、長い父の喪が明けた母も癒やしを求めていたので、つい勢いで里親を募集している黒い毛の仔猫がいないか聞いてしまった。で、確認してみたら、ちょうど保護されたばかりの子がいるというので、母と一緒にそのお宅に訪問し、実際にその子と会ってみて──まあ、それはすごいことになり、トライアルまでとんとん拍子に来てしまった。
安藤は「それじゃ、あれとって」と車の後部座席に置かれた大きな袋を指さす。
「そこに飼うための基本的なものがいろいろ入ってるから──って、ちょ、ちょっと……」
僕が言われた通りに行こうとしたら、黒猫がパタパタと暴れ出してケージが激しく揺れた。みゃあみゃあみゃあみゃあ、激しく鳴き叫びながら、ぐいぐいケージの戸に顔を押し当てている。ちょっと怪我しそうな勢いだった。
「うーん、いったん出してあげた方が良いかも……」
「そしたら、家入って」
僕は玄関の扉を開けると、ケージを持った安藤を招き入れた。
「お、おじゃまします……」
安藤は緊張気味だった。僕は安心させるつもりで言う。
「お母さん眠ってるから、大きな声は出さないで」
「え、もう……?」
「うん。ロングスリーパーで」
黒猫はなおも元気にどたばたしている。玄関をしっかり閉めてから、ケージを開いてやると、黒い弾丸のように飛び出して、僕の身体を駆け上がってきた。
「うわっ、うわ、もう来た!」
「うーん、人なつっこい子ではあったけど……これは異常かも」
僕は足を踏み外して落っこちそうになった黒猫を両手で掴んで、顔の近くに寄せてみる。黒猫はくんくん、くんくん、と僕の鼻を嗅いだ。このままペロペロしてくるのかと思いきや、黒猫は舌を出さずに、口をそのまま僕の唇にチュッと押しつけた。
「あはは、やっぱお前、チューしてくるんだなあ」
この黒猫は出会った時から、やたらと口と口をくっつけてきたのだ。それも、母や安藤にはせず、僕にだけ。それで、その様子を見ていたボランティアさんがニコニコ顔で「そんなにラブラブなら全然やっていけそうですね」と言ってくれたのだ。
僕が笑ってる間も、黒猫のチュー乱舞は止まらず、ぷちゅぷちゅぷちゅと口をくっつけてくる。すんごくかわいいから嬉しいんだけど、それにしても激しい。熱烈すぎる。息ができない。こんなの猫だからいいものの、人にやられたら訴訟ものだ──と、思った時、僕の脳が閃いた。
記憶の中のクラウン氏が告げる。
猫は九つの命を持つと言いますからね。こうして君の気持ちを伝えれば、また命をひとつ使って、あなたに会いに来てくれるのではないでしょうか──。
僕はキス魔の黒猫を引き剥がすと、その小さな身体に問うた。
「あっ……お前、もしかして、黒野なのか?」
「みゃあ、みゃあ、みゃあ」
「あの時のキス、覚えちゃったのか?」
「みゃあ、みゃあ、みゃあ」
「はいなら一回、いいえなら二回鳴いて」
「みゃあ、みゃあ、みゃあ」
「あはは……わかんないよ……」
僕が笑うと、また黒猫はぷちゅぷちゅ口をくっつけてくる。キス魔の猫なんて聞いたことがない。なんてエロ猫だ。このやろ、と親指でお腹をくすぐってやる。みゃあみゃあみゃあ、と黒猫はひときわ大きな声で鳴く。なんだか、夏の匂いを思い出した。
そんなスキンシップを続けていると、やがて、電池がなくなったように黒猫が静かになった。もう体力を使い切ってしまったのか、僕の手の上でうとうとし始める。
一連の様子を見ていた安藤は呆れたような表情をしていた。
「信じられないくらい懐かれてるね」
「きっと、黒野クロが一つ命を使って会いに来てくれたんだよ」
「そんな、絵本じゃないんだから」
確かに絵本の世界じゃないし、猫に九つの命ありとは、猫がそれくらい強い生命力を持っているという慣用句でしかない。でも、僕は信じてみたかった──これこそ、クラウン兜坂氏が、僕にしかけてきた最後の道化だということを。
「この子、名前はどうするの?」
ついに、すやすやと眠り始めた黒猫の頭を、人差し指でよしよし撫でながら、安藤が訊いてくる。保護先では仮の名前がつけられているが、引き取るの時に里親が名前を改めても良いらしい。
「うん、決めたよ」
僕は答える。
共にあの夏を過ごした黒野クロは、僕が恋した人の女の子だった。
そして、今、手元でくーすぴ眠っているのは、これから僕が愛する一匹の黒猫だ。
この一人と一匹を『交錯』させ、ドッキングさせる、道化たような名前がふさわしい。
「この子は、クロノ。カタカナでクロノだ」
「みゃぁ……」
僕が名前を呼ぶと、クロノは夢うつつの中、満足そうに一鳴きしたのだった。
クラウン・クラウン~真鍮管と黒の少女~ 城井映 @WeisseFly
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