社畜リーマンと呑めない酒吞童子の秘密

ゆちば@「できそこないの魔女」漫画原作

社畜リーマンと呑めない酒呑童子の秘密

『酒は呑んでも呑まれるな』


 立花千暁には、そんな注意喚起のポスターのスローガンすら羨ましくてたまらない。


(だってそれ、「酒は呑める」ってことやんか。俺、呑む暇あらへん……)


 京都駅から大津方面の終電に駆け込み、五分だけでも……と、目を閉じる。

 普段よりも乗車客は多いのは、忘年会シーズンだからだろう。酒で顔を赤くした会社員や大学生の姿が見受けられ、宴の余韻が漂っている。


(ええなぁ。俺も酒呑みたい)


 けれど、仕事納めの日であるにも関わらず、仕事が収まらず。立花は明日も出勤。場合によっては明後日も出勤の可能性がある。

 仕事帰りに一杯引っ掛ける余裕などない。


 立花は、京都駅にオフィスを構えるネット通販会社のマーケティング部の主任。

 そこは実力重視の部署なので、真面目で優秀な立花は、二十代からとんとん拍子に出世をし、三十二歳でここまでのし上がった。


 けれど、それを面白く思わない古参社員もおり、なかなか思うように企画が進まない。より良い仕事をするために、議論や意見をぶつけてくるのはかまわないのだが、彼らのそれは嫌がらせの域。毎回律儀に立花にいちゃもんを付け、自分の仕事は手を抜くという徹底ぶりを見せてくれている。


 そして、厄介なことがもう一つ。

 立花は女性社員からの人気が高い。

 キリッとした顔で、スマートで、仕事ができるマーケティング部主任。しかも彼女なし。このスペックでモテないはずがなく、バレンタインデーのチョコは山盛り。普段のランチの誘いもひっきりなしだ。


 このことが男性社員たちからの不満を買い、狙っていた女の子を盗られただの、女子を侍らせて遊んであるなどと、オープン陰口を言われ放題なのである。


(誰が侍らすか! アホか! 俺が好きなんはなぁ……、男や!)


 部下たちからの陰湿な陰口を思い出し、立花は拳で太腿をドンと叩く。思い出すと、さらにイラついてくる。


(妄想ばっかり言いおって! 俺は可愛い歳下男子と遊びたいんじゃい! 女子とちゃうわ!)


 そう。立花千暁はゲイだった。

 木屋町のゲイバーで大好きなお酒を呑むことが、立花にとっては至高の癒し。

 だが、ここ数年は仕事が忙しく、まったく立ち寄れていない。

 稼げる会社に就職して、夢も希望も癒しもない生活を送っているとは何事か。


(俺、何のために働いてんのやろ。あー……。男の子と酒呑みたい)


「しんど……」


 思わず独り言が漏れ出てしまう。

 電車がJR山科駅に到着すると、立花は重い足を引きずりながら、高架下をくぐり、坂の上の社宅を目指す。

 昼から何も食べておらず、腹はすかっらかんだが、悲しいことに山科駅のそばにあるコンビニは二十四時で閉まってしまう。駅から南に下れば開いている店はあるのだが、自宅と反対側に下っていく体力は、立花には残されていなかった。


(家になんか食いもんあったかなぁ……。カップ麺……、おえ……っ。あかん、受付けへん……)


 今夜も何も食べずに寝るのだろうなと、立花がため息をついていると。


「なんやあれ」


 深夜、この辺りは街灯の灯りしかついていない。山科駅の北側は学校や住宅地がメインなので、夜中は暗くて静かなのだが――。


 駅から社宅までの坂道の中腹辺りだろうか。左手に飲食店と思しき京町屋が現れ、立花「ん?」と目を見張った。

 少なくとも、昨日まではなかったはずだ。山科の山手に食べ物屋があれば、かなり目立つ。それくらい周囲には店がないのだから。


「【飯処おにづか】……」


 暖簾に書かれた店名を読み上げる。

 こんな夜更けにやっているのならば、居酒屋なのだろうかと思ったが、どうやらここはごはん屋さんらしい。


(なんかええ匂いが……)


 味噌の香りだろうか。

 立花が鼻をすんすんとさせていると、唐突にその店の扉がガラガラーッと勢いよく開かれた。


「いらっしゃいませ! どうぞ、入って入って!」


 中から飛び出してきたのは、銀髪の若者だった。立花よりも背丈や体格はひと回りほど大きく、年齢はひと回りほど若く見える。安っぽい紺色のエプロンを付けているので、アルバイトの青年だろうか。

 銀髪には身構えてしまうが、その容姿は誰がどうみてもイケメンというやつだった。


(はわ……っ。顔、爽やかイケメン。ええ筋肉しとる……)


 身長は190センチくらいありそうだ。服の上から見ても、逞しさが分かる。女性だけでなく、男性からも好かれそうな外見で、立花からすると心底羨ましい。


(俺、鍛えても体でかならへんし、ゲイ受け悪いもんなぁ。ええなぁ)


 立花がうっかり青年に見惚れていると、彼は「カウンターにどうぞ!」と言いながら、ものすごい力で立花の腕を掴み、あっという間に店内に引きずり込んでしまう。その笑顔がキラキラと輝いていて、立花はどうにも逃げ切れない。というか、彼の力が強すぎだ。


 店内は六人掛けのカウンターテーブルと、二人席が二つという、こじんまりと愛想のない雰囲気だった。立花は調理場が目の前にあるカウンター席に無理矢理座らされ、さらにコートとマフラーも強引に剥がされてしまったため、観念しておしぼりを受け取ったのだが。


「店長さん、裏にいはんの?」


 立花は、自分と銀髪青年しかいない店内を見渡した。店の雰囲気的には、料理人のオヤジさん的な人物が調理場にいそうだと思ったのだが、これ以上の人の気配は感じられなかった。となると。


「店長は僕ですよ。僕、鬼束錦おにづかにしきって言います。ほら、お店の名前と一緒でしょ?」

「マジで? 若いのにえらぁ……!」

「あはは。僕、お兄さんより百年くらいは長生きしてますよ」

「笑いのセンスはイマイチやけど、飯は期待してええんかな」


 アルバイトだと思った青年が、まさか店長だったとは。銀髪なのでチャラいのでは思ってしまったが、人は見かけに寄らないとはこのことか。


「俺な、あんま食欲ないねん。やし、なんか軽いもんもらいたいんやけど」

「分かりました! じゃあ、【がっつり粕汁定食】を」

「話生聞いとった?」


 なぜ、こんな深夜にがっつり定食を食べなければならないのか。

 若い頃ならいざ知らず、三十路を越えてた今、胃袋へのダメージが思いやらずにはいられない。

 けれど、鬼束青年は、そんな立花のことなどおかまいなし。軽やかな足取りで調理場に入ると、コンロに火を点け、包丁を握った。


「~~~~♪」


(鼻歌でっか)


 イケメンに免じて、立花はこの状況を諦めることにして、席からぼーっと鬼束の調理風景を見守っていた。

 手際はかなり良い。とてもリズミカルにネギを刻み、てきぱきと魚を捌く。

 立花がチャラいと感じた部分は髪色だけで、どうやら料理人としても問題はなさそうだ。


「何の刺身?」


 彼の料理に少し興味が沸いた立花は、カウンター越しに声を掛ける。


「ブリですよ。旬ですから。昼間、釣って来たんです」

「君、冗談好きやなぁ。京都やで。近くに海とかないやん」

「えぇ~。僕、嘘つきませんよ~」


 下唇をムッと突き出し、不満そうにする鬼束青年に、立花はやれやれと肩を竦める。昼間のブリかどうかはさておき、厚めに切られたその身はとても美しく、美味しそうだ。


「俺、これだけでええよ。めっちゃ美味そうやし」

「だめですよ! メインは粕汁ですから! ほらほら、ちゃんと座っててください!」


 鬼束青年は指一本だけで、身を乗り出していた立花を席へと押し返すと、銀色の大きな鍋にいそいそと近づいていった。そして嬉しそうに鍋の蓋を開けると、店内にふわりと味噌の香りが広がった。


「わ……。外まで香っとった、ええ匂い……。これやったんか」

「酒粕とお味噌の相性は抜群ですからね」


 鬼束青年がどんぶりのような器に粕汁を注ぐ様子を見て、思わずぎょっとした立花だったが――。


「ふっくらご飯、ブリのお刺身、具沢山粕汁。そして、熱燗で大吟醸雷鬼だいぎんじょうらいき。きっと、お好きだと思います。さぁ、【がっつり粕汁定食】召し上がれ」

「大吟醸雷鬼? 聞いたことあらへんへど……」


 けれど、聞いたことがあろうがなかろうが、立花の手は熱燗に吸い寄せられていった。

 仕事帰りの酒などいつぶりか。久しぶりすぎて緊張してしまうほどだった。なので、鬼束の「僕の実家が酒造で――」という話など、耳に入らず。


「んん~……っ!」


 熱燗を一口すすると、ぴりりとしたキレのある辛さが喉を流れていく。思わず気持ちの良いため息が出て、寒さと疲れで強張っていた顔もゆるりと緩んだ。

 これはブリ刺しとめちゃくちゃ合いそうだと、立花の箸はお膳の奥へと伸びていく。


「ふへぇ……。うまぁ」


 プリっと引き締まった身にほどよく乗った脂のバランスがたまらない。味の濃いブリと大吟醸の相性は、予想通り抜群。あっという間に刺身の皿は空になってしまう。


(――で、ビッグサイズの粕汁やけど)


 ゴクリと涎を飲み込む。

 疲れのせいでなかったはずの食欲は、ブリ刺しと大吟醸のおかげで大加速していたのだ。

 ほわりと漂う湯気を「ふぅっ」とひと吹きし、器に口を付けると――。


「あぁ、もう! 分かっとったけど、美味いやん!」


 酒粕と味噌、そして豚肉の脂やごろごろ野菜の出汁が混ざり合い、至高の味になっていた。そして、ご飯が進む進む。三十路で食欲が……などと言っていた自分が恥ずかしくなるほど、箸が止まらない。ぽかぽかと体が温かくなり、掻き込むように定食を食べ続けていると、季節外れの汗まで出てきてしまった。


「くっそ、うま……。飯に大吟醸合いすぎやん。至福すぎるんやけど」


 くたびれた体に染みる……とでも言おうか。【がっつり粕汁定食】のお膳が空になる頃には、立花はとろんとと蕩けた顔になっていた。

 このような満足感はいつ以来だろう。過去すぎて、記憶がないが、今が多幸感で満ちていることは確実だ。


「ご馳走さまでした」


 店内に響く恍惚とした声。しかし、その声は立花のものではなかった。


「え……。食べたん、俺やけど」

「あぁ、はい。そうなんですけど、僕もお腹が膨れたので」


 聞き間違いかと思った立花だったが、カウンター越しの鬼束は、たいそう幸せそうな顔で微笑んでいた。


「お兄さんの美味しそうな顔を見れて、満腹っていうか……。いや、正確には腹八分目くらいなんですけど」

「えっ。君、変態?!」

「違いますよ。僕は五代目酒呑童子。鬼ですよ」


 またつまらん冗談を……と、立花が戸惑った顔をすると、鬼束青年は「ほんとですって」と笑いながら銀の髪をわしゃわしゃと掻き分けた。

 そこには白く尖った角が二本あった。


「へ?! 生えとる?」

「地角ですもん」

「地角言うん? ……って、それは別にどうでもええねん! 鬼て。酒呑童子て、どういうこと?!」


 鬼束青年に手を掴まれ、無理矢理に角を撫でさせられながら、立花は叫ぶ。大吟醸の酔いが一瞬でぶっ飛ぶくらいには驚いている。

 鬼なんて、昔話に出てくる架空の生き物だと思っていたのだから。


「鬼以外にも、妖狐とか天狗とか、色々なあやかしがいるんですよ。実は」

「あやかし? そんなん見たことないで!」

「当たり前じゃないですか。みんな、上手く隠してるんです。だって、人間って僕らを怖がるでしょ? 僕はお兄さんにバラしちゃいました。なぜだか分かりますか?」

「分からへん。君の言うてること、だいたい分からへん」


 立花はもう一度最初から説明してほしかったのだが、鬼束青年はやはりおかまいなしだった。この子は人の話を聞かないらしい。


「酒呑童子って、大昔に悪さをして、源頼光に討たれたんです。お酒が大好きだったから、毒のお酒を飲まされて、その隙に。聞いたことありますか?」


 立花が「知ってはいる」と自信なさげに返すと、鬼束青年は嬉しそうに「実はそれ、違うんです!」とどや顔で語り出す。


「酒吞童子は頼光と取引をしたんです。頼光に見逃してもらう代わりに、以後酒を断つと」

「えー……。なんか取引にしては、釣り合わんくない?」

「と、思うでしょう? 当然、頼光はそんなに優しくなくて」


 すると鬼束青年は、ぺろりと舌を出してみせる。舌の上には笹竜胆――源氏の家紋が刻まれているではないか。


「かっこええけど、なんでべろに」

「かっこよくなんかないですよ! 初代から受け継がれる【呪い】なんです。お酒を一口でも含めば、【呪い】が発動して、僕は源氏の奴隷になっちゃうんですよ! 怖くないですか? っていうか、罪のない子孫まで呪うなんて、安倍晴明、性格が悪すぎる。……あっ。呪うよう指示したのは頼光なんですけど、実際に呪術を使ったのは晴明なんです」

「ちょ……。えぇ……。待って。情報量多いわ!」

「別に理解してもらわなくても大丈夫です」


 立花がまばたきをする間に、鬼束青年は調理場からひらりと飛び出し、気が付くとカウンター席の後に立っていた。いつの間に、と言う隙すらなかった。


「僕ね、お酒が大大だーい好きなんです。でも、呑めない。味すら知らない。だから、僕の代わりに美味しくお酒を呑んでくれる人を探してました。その様子を眺めているだけで、僕が酔えるような人を」

「は……? 何言うてん……」


 鬼束青年の瞳が紅く妖艶に光り、立花はぞくりと震えた。

 けれど、鬼束青年はあくまでも甘い笑顔を浮かべたままだ。


「立花さん、お酒大好きですよね? ここにはいっぱいありますよー。お酒。それに、仕事が終わるのがいっつも遅くて、帰りはお腹ペコペコですよね。なのに、この辺には食べ物屋さんもコンビニもない。あと、男の子の筋肉も好きだ」

「へ……。なんで、名前……。ってか、えっ? なんで?」


(なにコレ‼ めっちゃ怖いんやけど‼)


 立花は「ひえっ」と短い悲鳴を上げると、足をもつらせながら店の外へと逃げ出した。オーバー三十歳の全力ダッシュは心臓に悪いが、そんなことにかまってはいられない。

 まさか、年末に鬼に出会うなんて。


 店の中から「あはは…! また来てくださいね」という笑い声がして、立花は「二度と行かへん!」と涙声で叫んだ。



 ◇◇◇

「あーあ。立花さん、帰っちゃった。せっかく会えたのに」


 立花が逃げるように店を出て行ってしまったので、鬼束はしょんぼりしながらテーブルを片付けていた。

 せっかく、「僕が料理とお酒を用意して、立花さんがそれを美味しく飲み食いする」という素晴らしいギブ&テイクを提案しようとしたのに、愛が重いすぎて伝わらなかったらしい。いやぁ、反省反省☆ である。


 そこで気を取り直して、立花が忘れて帰った社員証をじっくりと眺め――。


「きっと取りに来てくれるよね。千暁さん♡」


 呑めない酒呑童子は、大好きな人の社員証を首にから下げてクスクスと笑った。。


『明日の事を言えば鬼が笑う』。


 二度と来ないと言った立花が、明日にでもまた現れるかもしれない。

 未来はどうなるか分からないのだから。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

社畜リーマンと呑めない酒吞童子の秘密 ゆちば@「できそこないの魔女」漫画原作 @piyonosuke

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ