異世界転移で生きるのが精いっぱいな俺は奴隷少女の面倒まで見る

猫カレーฅ^•ω•^ฅ

第1話:異世界転移で生きていくとか無理ゲー

 僕は言いたい。「異世界転移なんてものは無理ゲーだ。実際に転移してもその世界では生きていく事で精一杯だ」と。


「カズト、ぼんやりしてないでテーブルを拭け」


「はい!」


 宿屋の主人のドダイさんに怒られてしまった。僕は慌てて1階の酒場のテーブルを拭いて行った。



 ――― 僕、六本松 和樹、中三の15歳が異世界に転移したのは約1か月前のこと。その切っ掛けなんかは記憶にない。おおかた異世界もの名物の暴走トラックにでも轢かれたのだろう。


 気付いたらこの町、「ミーミル」にいた。


 高校の制服のブレザーに手ぶら。ポケットにスマホすらなかった。女神様や神様からのお告げ的なものもないので、チート能力も特にない。あっても分からない。


「ステータスオープン」は言ってみたけど、別にゲームの世界じゃないらしい。そんなものは出なかった。


 周囲の人間は麻っぽい素材の服を着ている中、僕だけポリエステルの高校のブレザーだ。めちゃくちゃ目立った。


 言葉だけは通じたので、服を売ろうと思ったけど、どこに売ったらいいのか分からない。知り合いも頼れる人も当然いない。


 単に、知らない町でお金もなく、持ち物もなく、一人いる感じだった。


 ここが「異世界」なら、元居た世界は「現世界」だろうか。現世界では僕は単なるホームセンター好きの中学生。高校受験の勉強も嫌だったし、将来なりたいものもなかったし、やりたいことも特になかった。


 僕の異世界転移はほんの数時間で詰んだ。そして、町中をうろうろしたけど、誰にも話しかけることができず、行く場所も、食べる物も、飲み物すらなく、夜は公園の木の陰にもたれかかって眠った。


 昼間は広場にいたけど、誰とも会話をせず、3日目にはお腹が減って動けなくなった。広場中央の星巫女様の像の下に座り込み、動けなくなってしまった。ゲームならLIFE「1」で瀕死状態。何もせずに瀕死とか恥ずかしすぎる。


 汚れたブレザーを着ている僕は周囲からは特に異質に映ったことだろう。僕がこんな状態でも誰も声をかけてくれる人はいなかった。


「ボウズ、行き倒れか?」


 起き上がれなくなっていた僕の前に立ったのは190センチはあろうかという大男。しかも、かなりガタイがいい。僕は返事もできず、そのまま気を失ったらしい。


 ***


 次に目が覚めたのは、小さな部屋のベッドの上。3日ぶりのベッド。シーツの繊維がチクチクするけど、ちゃんとベッドだった。


 パターンとして、目が覚めたら美少女が横で寝ずの看病をしてくれているのがテンプレートなのだけど……。


「起きたか。飲め」


 すごく低い声。良く言えば「イケボ」。よく知らない僕にとっては「怖い声」。


 部屋を見渡したら、町の広場で見たあの大男がいた。僕のベッド横の椅子に座っていた。ベッド横のテーブルにはスープ。具がほとんど入っていないさらさらのスープ。


 僕はスープを取り、脇目もふらず飲んだ。身体に沁み込む、細胞に沁み込むみたいにうまいスープだった。


「げほっ! げほっ、げほっ」


 急いで飲んだせいでスープが変なところに入った。僕はむせこんでいた。大男が横で「ふっ」と鼻で笑ったのが聞こえた。


「立てるか? 下に降りて来い。もう少し腹にたまるものを出してやる」


 そう言って、大男はドアの外に出て行った。


 僕は大男を追いかけた。ドアを出ると廊下があり、ドアが並んでいる。


「宿屋……か?」


 安い木の板を張った廊下はいかにもって感じの宿屋。イメージする異世界の宿屋だった。


 転げる様に階段を降りて1階へ。僕は2階にいたらしい。1階は広いスペースがあり丸テーブルが10卓はあるだろうか。カウンターがあり、食堂……いや、壁に酒の瓶みたいなのが並んでいるから酒場か?


 あの大男はカウンターの向こう側にいて食事の準備をしていた。僕は吸い込まれるようにカウンターに進み、大男の前の席に座った。


 男はこちらを向くと無言で皿を出してきた。その皿には黒い丸い物(パン?)と、ハンバーグ……いや、四角いからミートローフか? とにかく、ミンチ肉を固めて焼いた料理が載っていた。


 僕は期待して男の顔を見た。大男は何も言わず「ふっ」と笑みを浮かべた後、あごをクイっと動かした。僕は「食ってよし」の合図だと捉えた。


 ナイフと、二股に分かれただけのフォークっぽい何かで僕はその食事を夢中で平らげた。大男は僕が食べている様子をじっと見ていたが、それどころではないのだ。なにしろ3日ぶりの食事だ。なんなら、さっきのスープで余計に腹が減っていた。


 僕は多分、ほんの2~3分でそれらを食べ終わり、ナイフとフォークもどきを木でできたカウンターの上に置いた。そして、立ち上がり、数歩下がり、床に頭をついて土下座して行った。


「ここで働かせてください! 何でもします! 行くところがありません!」


「……」


 10秒か、30秒か、沈黙が続いたが、僕は土下座の姿勢から動かなかった。


「名前は?」


 低い声であの大男の声が聞こえた。


「六本松 和樹です!」


「ろっぽ……カズキか」


 どうやら、「六本松」が言いにくかったらしい。言葉はなぜか分かるけど、名前の変換機能的なものはどうなってるんだ⁉


「立て。今日から働けるか?」


「はいっ!」


 僕はその場で立ちあがって直立不動の気をつけの姿勢をした。


 大男は背が高いし、目つきは怖いし、口元はニヤリと笑っていたし、すごく怖かったが、僕はここで仕事を手に入れないと次の食事もできないことを悟った。


「ドダイだ」


 男はそれだけしか言わなかった。


 ゆくゆく分かって行くのだが、ここは宿屋で宿泊はもちろん、昼間は食堂兼酒場もやっている店だった。ドダイ、はこの大男の名前。


 そして、僕の住み込みでの生活が始まった。僕は荷物部屋を使っていいことになって、そこに寝泊まりするようになった。


 出来ることは少ないけど、朝食の準備の手伝いやベッドメイクの手伝いをした。1階食堂の掃除なんかは一人でできる。ほうきなんかの質が悪いので効率はすごく悪いけど。

 僕は、宿屋を手伝うことでこの世界にいることを許されたと思った。


 ■ 奴隷少女が連れて来られた

 ある日、ランチタイムが終わって夜までの休憩の時間にマントを纏った男が宿屋を訪れた。


 ドダイさんは当然の様に店に招き入れたので、僕は黙ってテーブルを拭く仕事を続けた。


 マントの男は、フードを被ってこれまたマントを纏った小柄な子供を連れていた。二人は店中央のテーブルに座り、その向かいにドダイさんが腰かけた。


「カズキ、ワインを2つ持ってこい」


「はい!」


 僕は言われたまま、ジョッキにワインを注ぎ、ドダイさんのテーブルに持って行った。子供用には水が必要だっただろうか。そう思ってジョッキをテーブルに置いたとき、ドダイさんの目を見た。


「こいつをお前の部屋に連れて行け。そして、部屋から出すな」


 そう言われた。


 マントの男が子供の背中をポンと押した。子供はフードで顔が見えないが、僕の前に来た。僕が部屋に連れて行くということか。


 子供はおどおどしていて、挙動不審だった。


 部屋から出さないということは監禁? いや、自ら部屋に入って自分では出ないのだから、軟禁だろうか。


 とにかく、マントの男とドダイさんが何かを話していた。二人とも声が低いからちょっと離れたら何を言っているのか聞こえない。


 僕は何も考えずに言われた通りに、子供を僕の部屋に案内した。子供は僕の後ろからちゃんと付いてきていた。


 僕の部屋は元々布団などを置いておく物置部屋。来客用の椅子などもない。以前僕が椅子やテーブルだと思っていたものは単なる箱だった。要するに荷物。使わないものを置いておく部屋なのだ。


「あの……マントを預かりますよ?」


「……」


 部屋に入ると僕は手を出してマントを預かる旨、申し出た。旅の時に来ていたマントだ。休憩するなら脱いだ方が楽だろう。


 子どもがフードを取り、マントを脱いだ。その姿に僕は驚いた。


 マントの下は全裸だったのだ。下着すらも付けていなかった。


「ご、ごめんなさい! 知らなくて!」


 僕にマントを脱げと言われたから脱いだのだろう。申し訳ない事をした。僕は目をそらしながらマントを返そうとした。


「あ、あの……」


 子供は明らかに動揺していた。まだ10歳くらいの女の子。全身ガリガリだった。髪はうすぼけた鼠色で顔色は物凄く悪いし、汚れていた。


 動きがおかしいと思ったら、彼女は手錠を付けられていた。両手が固定されていて自由に動かせない状態。そして、その手錠は首輪と鎖でつながれていた。腕は真下まで降ろせない長さだ。相当不便にできている。


 よく見ると、脚も足錠があり、一定以上広げられないようになっていた。歩くことはできるけれど、走ることはできない状態。


 更に、全身に鞭で打たれたようなアザがあり、背中は特にひどかった。


 一目見て「これダメなやつだ」と思った。日本ではありえない。説明されていないけれど、これは奴隷だとすぐに分かった。


 僕はシーツを取り出してきて、彼女の身体にかけた。


「あっ、あの……」


「いいから、使って」


「で、でも、こんなきれいな布は汚してしまいます! すいません!」


 彼女は半ばパニックの様に謝っていた。それでも、裸でいられるとこちらが落ち着かない。いくら子供でも、相手は女の子なのだ。色々ちょっとみちゃったから間違いない。


 彼女にシーツを纏わせて、ベッドに座らせた。


「あの……新しいご主人様は、あなた様でしょうか、それとも先ほどの大きな……」


 少女が変なことを言った。


「ご主人様?」


「はい! あの、すいません! 違いましたでしょうか⁉ 申し訳ありません! ぶたないでください!」


 またちょっとパニックになり始めた。こういう時はどうしたらいいんだろうか。


「あ、大丈夫大丈夫! 僕はきみをぶたないから。落ち着いて落ち着いて」


 なんとか身振り手振りと優しい声で、こちらは害する存在じゃないことを伝えた。


 これはどうしたことだろうか。ドダイさんが奴隷を買ったのだろうか。口数は少ないし目つきは怖いけど、悪い人じゃない。ここ1か月くらいお世話になって感じていたことだ。


 この町の人から言えば、何もできない僕をここに住ませてくれて、食事も出してくれている。こんな、いかにも痛めつけるための奴隷を買ってどうしようというのか。


 ようやく少し少女が落ち着いた頃に部屋のドアが開けられた。ここにノックとか言う概念はない。突然ドアがドンと開けられた。


 少女が驚いて立ち上がった。そして、上を向いて両腕を頭の上に乗せ、お腹を突き出した。そのとき、僕が貸してやったシーツは床にパサリと落ちてしまった。


「「「……」」」


 ドダイさんが何も言わないので、僕も反応に困った。少女は全裸で目をぎゅっとつぶっているし、両腕を上げてお腹を突き出している。何だこのポーズは⁉


「座れ」


「は、はい!」


 ドダイさんの言葉で少女は再びベッドに座った。


「カズキ、シーツかけてやれ」


「はい!」


 僕は言われるままに、床に落ちたシーツを少女にかけてやった。少女は何度もありがとうございます、とお礼を言っていた。


 怖いけど……最悪、ここを追い出されてしまうかもしれないけど……。僕はこぶしを握り、力を入れて目の前のドダイさんに向き合い言った。


「あ、あのっ! これは違うと思います! 僕は奴隷とか分からないですけど、こんな小さな子にこんなっ……」


 ドダイさんは一瞬、目を見開いて驚いた表情をしたが、次の瞬間「ふっ」と口をゆがませていつものあの鼻で笑う仕草をした。


 そして、僕の肩に手をポンと置いて一言 言った。


「まあ、座れ」


 その声が冷静だったのもあるし、やっぱりドダイさんを信じたい気持ちもあって、僕は素直にベッドに座った。あの少女のすぐ横に。


 ドダイさんは近くの箱を手繰り寄せるとドカリと座った。


「ふーーーーー」


 そして、深くため息をついた。まるで「何から話そうか」と言っているようだった。


「この子は追われている。うちで匿うことになった」


「え?」


 やっぱり、ドダイさんはいい人だった。この奴隷を夜な夜な痛めつけるために買ったんじゃなかった。良かった。


 ドダイさんが無言で僕の肩をバンバン、と2回叩いた。結構 力が強いから割とガチでいたい。重いんだよなぁ。「バン」というより「ドン」という感じで。


「この子のことは、今日からお前が面倒見ろ。お前が主人だ。湯あみとトイレ以外は部屋から出すな」


「僕が……主人?」


「そうだ。この子は自分で身体を拭くこともできん。面倒見てやれ」


「え?」


「部屋はここしかない。お前がやれ」


「えーーーー」


 斜め上の展開が目の前で起きていた。


 ドダイさんが1階に降りて行った後、再び少女が上を向いてお腹を突き出していた。


「ご主人様! よろしくお願いします!」


「分かった! 分かったから座って!」


「……はい」


 少女は大人しく、ベッドに座った。またシーツがはだけてしまったので、身体に巻き付け直してやった。


「あの……今のポーズは?」


「あの、全降服のポーズです」


「全降服?」


「はい、人間は心臓や喉など急所となる部分は前に集中しています。それを全部相手にさらけ出すので、私は全てあなたの言う通りにします、という姿勢です」


「そ、そうなんだ……」


「すいません。私の全降服、おかしいでしょうか?」


「いや、僕が遠くから来たからこの町の文化に疎いだけで……」


「そうでしたか、すいませんでした」


 全降服……日本の土下座の様なポーズということか。だったら、最初にドダイさんにした僕の土下座は、何の意味だと捉えたんだろうか⁉ もはや聞くのも怖い。忘れよう。


「僕は別に偉くないから、そんなに恐縮しなくていいよ」


「い、いえ! ご主人様ですので!」


 再び、バッと全降服のポーズをされてしまった。そのたびにシーツが床に落ちて全裸になるので、ぜひやめていただきたい。


「あの……」


「どうした?」


「ご主人様のお名前を教えてくださいませんでしょうか」


「僕はカズキ。カズキって呼んでほしい」


「いえ、ご主人様をそのようにお呼びする訳には!」


 三たび全降服のポーズ。慣れねえ! 異世界! 再度少女を落ち着かせて座らせた。


「きみの名前は?」


「奴隷に名前はございません」


 そうなのか。


 それにしても、金属製の首輪と手錠は鎖でつながっているし、足錠も付いている。なんとかしてやりたいなこれ。


「奴隷になる前は?」


「……ネネと」


 物凄く恐縮した様子で答えた。


「よし、じゃあ、僕はきみのことをネネと呼ぶ。僕のことは……カズキさんくらいで呼んでくれ」


「お、恐れ多いです!」


「じゃあ、カズキ様で! これくらいで手を打ってくれないと僕がもっと困るんだけど……」


「も、申し訳ございません! それでは、大変不躾ではございますが、今後『カズキ様』とお呼びさせていただきます!」


 これがネネとの出会いだった。


 ■ ドダイさんの過去

 その日の夜。今日は宿泊客が全然いなかった。王都で祭りがあるとかで、ごくまれにこんな日があるらしい。夕食の準備は僕達の分だけでいいので楽だった。


「あの子を連れてここに降りて来い」


 夕食の準備を手伝っているとドダイさんが言った。


「分かりました。あ、あとあの子の名前は『ネネ』です」


「……」


 ネネを呼びに2階の僕の部屋に行き、彼女を連れて降りた。あの鎖やっぱり歩きにくいみたいだ。


 1階に降りたら、宿屋の扉にはかんぬきをかけて外から誰も入って来れないようにされてた。


 たまのチャンスだから部屋から出してあげたということだろうか。


 テーブルには食事が三人分置かれていた。


「座れ」


 ドダイさんが低い声で言った。


 僕は椅子に座ったが、ネネは床に座った。


「あ、そっちじゃなくて! ね? ドダイさん、ネネも椅子に座っていいんですよね⁉」


「ん? ああ……」


「ネネ! お前も椅子に座って!」


「はい、あと、えと、あの……」


 ドダイさんもネネも困惑したようだったけど、僕の方が困惑だよ。床に座るって。この1階の食堂は靴を履いたまま入って来るスペースだ。これがここでの常識らしい。


 ネネはシーツの下は全裸だ。それなのにこの床に座るなんて。


「ん。食べながらでいい。聞いてくれ」


 食事を始めてしばらくしたらドダイさんが話し始めた。


「俺は、昔 冒険者だった」


「え?」


 そりゃあ、背も高いし、ガタイも良い。あと力も強いし、言われてみればそうだろうと思った。


 ネネは鎖の範囲しか手を動かせないので、不便そうだがナイフもフォークもどきも使わずに手づかみで食べていた。


「まだ20代の時のことだ。妻と子供を連れて、ある町から王都に向かってた」


 ドダイさんがいつもより言葉数が多い。レアケースだ! 僕は食事をしながら話に耳を傾けていた。


「俺は、ちょっとは名が売れた冒険者だった。妻のレーラが短剣の両手剣使いだったし、俺が長剣で二人とも短距離戦闘型だった」


 あれ? 妻と子供って言ったっけ? ドダイさん独り者では⁉


「子供のルークはまだ3歳だったけど、弓の練習をしてた。将来は長距離型が入ると戦闘がやりやすくなるな、なんて話してた。夜には酒も少し入っていて気が緩んでいたんだと思う」


 嫌な話の運びだった。僕は食事の手が止まっていた。ネネも食べる手を止めていた。


「魔物だった。ほんの一瞬だった。ルークが空中に攫われたと思ったら、次の瞬間物陰から一口でレーラが……」


 えぐい……。これが異世界か。異世界の厳しさなのか。日本じゃ日常でそんな大惨事に会うことなんてまずない。


「俺も気づいたら片足なかった。利き手は腱が切れたんだろうな、動かなかった。2時間くらい引きずり回されてるところを、たまたま近くにいた冒険者に助けられたんだ」


 もう、食事を続けることはできなかった。


「足は義足で、利き腕はもう力が入らん。俺は冒険者を辞めてこの店を始めた」


 そうだったのか。


 だから、この店は昼間も営業しているのか。冒険者が集まりやすい様になってるし、情報交換もしやすい。危ない魔物がいるって分かってたら、それなりの準備をしてから出かけるだろう。


 ドダイさんはドダイさんの戦いをこの店で続けてるんだ。


「子供は弱い。すぐ死ぬ。だから、お前たちは飯食って生きろ」


 ドダイさん、めちゃくちゃいい人だった! 奴隷を買って痛めつけようとしてたとか思って悪かった! ホントに申し訳なかった!


「ドダイさん! 僕をルークだと思ってくれ!」


「どわっ! ルークはもっと可愛かったぞ!」


 僕が立ちあがってドダイさんに抱き付いた。めっちゃ嫌そうなんだけど! でも、僕はメチャクチャ感動していた。


 ネネを見ると、その場で号泣していた。シーツで涙を拭いていた。この子もたいがい良い子だよ。


「ま、まあ、たまには言っとこうと思ってな」


 これまでお世話になっていたけど、ドダイさんと心が通じた気がしていた。


 ■ ネネの身体を拭く

 食事の後、僕とネネは自分の部屋に戻った。この世界には基本的に風呂はない。桶にお湯を入れて持って来て濡れた布で身体を拭く感じ。水も貴重だし、風呂に入るという発想の人がまずいない。


 僕はいつもの様に桶にお湯を入れて部屋に持って来た。ここで気づいた。ネネがいるから裸になれない。


「ネネ、ごめん。これから身体を拭くから少し向こうを向いていてくれ」


「か、かしこまりました」


 ネネは良い子だな。目を瞑って壁の方を向いている。


「目は覆った方がいいでしょうか?」


「いや、そこまでは必要ない」


 僕は上半身だけシャツを脱いで、髪を拭いて、顔を拭いて、上半身を拭いた。ここで再びシャツを着る。


 次にズボンを降ろして、脚と下半身を拭いてズボンを戻す。この世界では、着替えるのは午前中の洗濯の前だ。実に合理的。


 ここで気づいた。タオルはもう1枚持って来ているのだけど、ネネは両手が首と鎖でつながっているので自分では全身を拭くことができない。


 今までどうやってたんだ!?


「ネネ、もういいからこっち向いて」


「はい」


 ベッドの上で壁の方からこちらを向いたネネ。


「タオルを渡すけど、ネネってどうやって身体を拭いてたの?」


「妹奴隷と交代で拭いてました」


 なるほど。一人ではダメでも協力することができるのか。でも、今日はその妹奴隷とやらがいない。


「じゃあ、今日は……」


「あ、私などそのままでも構いません。臭うようでしたら明日にでも川で洗ってまいりますので……」


 そういう訳にもいかない。明らかに髪の毛の色は鼠色だし、全身だって汚れてる。あと、傷が痛そう。


「うーん、僕が拭くけど……嫌か?」


「いえ! とんでもないです! でもご主人様にそんなことをしていただくなんて恐れ多くて!」


 恥ずかしいから僕もそんなことはしたくない。10歳くらいと言えども女の子は女の子。身体を拭くなんて変態じゃないだろうか。


 でも、このまま寝るし……。


「いや、この後同じ部屋で寝るんだ。臭うと僕が困るから拭くぞ?」


「……はい、恐れ多いですが、そういうことなら……」


 言い方を考えないと、ネネはOKしてくれなさそうだった。ちょっと自分を嫌なヤツにして、ネネの身体を拭いてやることにした。


 ネネはこの部屋に来てシーツを纏っているだけだ。脱がすのは簡単なんだけど、身体を拭くとなるとタオル越しとはいえ身体を触ることになる。凄く抵抗がある。


「よし! 拭くぞ!」


「……すいません。お願いいたします」


 女の子に詫びを言われて裸を見せられている。どんな状況だよ。


 ネネはシーツをベッドの上に置くと腕を左右にできるだけあげて立っていた。ガリガリだけど、女の子の裸が目の前にあった。


 僕は立っているネネの前に膝立ちになり、ネネの身体を拭いて行く。本来、頭から拭いて行くべきなのだろうけど、そんなことは頭から抜け落ちていた。


 顔を拭き、首輪を避けて首を拭き、両手……ここら辺までは割と順調だった。身体はそっと拭く。わざとタオルを桶に入れて絞りなおし、呼吸を整えたりもした。


 ■ 夢

 ネネの身体を拭いた体験が強烈なインパクトだったのかもしれない。僕は夢の中であの鎖のことが気になっていた。邪魔だろうなぁ。


 自分の身の回りのこともできなくなるなんて、どういう考えであの鎖は付けられたのか……。


 あのくらいの鎖だったら、うちにあるワイヤーカッターなら切れるのになぁ……。ワイヤーカッターとは、柄の部分が1メートルくらいある大きなハサミの様な工具。その名の通りワイヤーを切るための工具なのだけど、僕は自転車のチェーンロックを切るのに買ったんだ。カギを失くしてしまって、泣く泣く切る羽目になったんだ。


 あれがあれば……。部屋に置いておくと邪魔だからクローゼットの奥に押しこんだんだ。


 そんな事を考えると、自分の部屋が思い浮かんできた。宿屋の物置部屋ではなく、現世界の僕の部屋。


 あった。ここここ! クローゼットの奥! 立てかけてあった。おっと、クローゼットには、ウェットティッシュの買い置きもあった。ネネの髪を拭いてやらないとな。これも必要。あ、ケガしたとき用の救急箱もある。結局、ほとんど使ってなかったなぁ。それも手に取った……次の瞬間目が覚めた。


「知らない天井だ」


 そう言ってみたかっただけで、実際はここ1か月間毎日見ている天井だった。宿屋の物置の天井。


「う……」


 この世界に時計はない。外の具合を見てまだ早朝だと気づく。よかった、寝過ごしてない。


 僕が起きると、ネネが床に跪いて全降服のポーズだった。


「どうした? ネネ、朝から……」


 彼女の行動は時々分からない。異世界特有なのか、奴隷特有なのか、ネネ特有なのか……。


「ご主人様が拷問具をお持ちなので……できるだけ良い声で悲鳴を上げるようにしますので、できればあまり痛くしないでいただけると……」


 こっちは、毎朝お母さんに起こされていたんだ。朝の寝起きはあまりいい方じゃない。頭を掻きながら、右手に持ったものを見た。


「ワイヤーカッター⁉」


 ネネが「拷問具」と言って指をさしていたのは、ワイヤーカッターだった。たしかに僕の部屋に置いてあって、夢で見たワイヤーカッター。


「えー!? あれ―!?」


 ***


 たしかにワイヤーカッターを持っていた。ウェットティッシュの100枚入りパックと救急箱。一応、ネネには説明をしたけど全然理解していないようだった。


 そうだ。このワイヤーカッターがあれば、ネネの鎖を切ることができる!


 そう思いついたら試さずにはいられなかった。


「ネネ、ベッドにうつ伏せになってみて」


「……は、はい……」


 ネネはガタガタ震えながらベッドにうつ伏せに寝た。仰向けの方が作業はやりやすいけど、すごく怖がっているみたいだったから、できるだけ見えないようにして……。


「ご主人様、どうか腕は切り落とさないでください」


 怖い怖い怖い! そんなことできないよ!


 ネネがうつ伏せで寝ているので、ネネを傷つけないようにワイヤーカッターで手錠の鎖部分を切る……んっ?……思ったより硬いな。


 えいっ! 少し力を入れたら、「バチン」という音と共に鎖が切れた。


「やった!」


「え⁉」


 ネネが自分の手首を見て驚いていた。


「鎖が……」


「逆も切っちゃうから、もう一度寝転がって」


「……はい」


 僕は上手い具合に鎖をできるだけ切った。首輪と手錠はさすがに切れなかったけど、それぞれを繋いでいた鎖を切ったのだ。


「ご、ご主人様……」


「だから、カズキだろ……」


「カズキ様……」


 ネネが起き上がって目に涙を浮かべている。鎖が無くなったのがよほど嬉しいのだろう。


「どういうことでしょうか?」


「ああ、たまたま工具が手に入ったから」


「ま、魔法でしょうか?」


 それは僕にも分からない。「夢で見たものが出てきました」なんて言ったら頭がどうかしたと思われるに違いない。


「……魔法だ」


 適当に誤魔化した。


「カズキ様すごいです! しかも奴隷の鎖を切ってしまうなんて!」


「え? ただの鎖でしょ?」


「奴隷の鎖は、絶対に切れない様に金属でできている上に、魔法がかけられています」


 魔法……。そう言えば、見た目より硬かったか。しかし、所詮は鎖。物理の力には勝てないのだ。


 あまりにネネが、すごいすごいと言うので、僕は調子にのってウェットティシュで彼女の髪を拭いてやり、比較的新しい傷に救急箱から取り出してキズ薬をぬってやった。


(ガチャ)「カズキ、朝飯だ。下にこ……」


 ドダイさんがドアを開けたところで止まった。


「これは、どういうことだ?」


 ネネの奴隷の鎖が無くなっていたのだ。それどころか、昨日まで鼠色だった髪はきれいで輝く銀髪になり、鬱陶しい前髪は救急箱の中のハサミで軽くカットした。


 体中の傷とアザはどうにもならなかったけど、キズ薬を塗ったらみるみる治って行き、少なくとも赤みが引いた。


 シーツはすぐにはだけてしまうので、救急箱の中にあった安全ピンで何点か止めて服っぽくしてあげたのだ。


「これは……、天使か?」


 極端! ドダイさんが目を見開いてネネを見ている。


「カズキ様に……女にしていただきました」


 言い方! そこ気を付けて!


「ま、まあいい。カズキ、飯だ今日も下に来い」


「あ、すいません。ありがとうございます!」


 今日はネネの身の回りをきれいにしていたので、朝食の手伝いをすることができなかった。お客さんもいない日だから、セーフとしておきたい。


 それにしても……。僕はネネの方をチラリと見た。ネネも僕の視線に気が付いたようだ。


「カズキ様、ありがとうございます」


 その声は、本当に嬉しそうで、「鈴を転がすような声」ってこれなんだと思ったのだった。


 そして、僕はこの痩せこけた10歳の少女の笑顔に胸がぎゅっと締め付けられてしまった。


 ■ 僕の将来

 僕とネネは急いで1階に降りた。そこにはもう朝食が準備されていた。


「すいません。ドダイさん」


「いやいい」


 僕は席についた。ネネがまた地面に座ろうとしていたので、抱きかかえて、椅子に座らせた。


「申し訳ありません」


 僕の意志と違っていたから謝ったのだろう。ネネはすぐに謝る。今までどんな生活をしていたのか……想像すると胸の奥がチクリと痛んだ。


「……なあ、カズキ」


「は、はい」


 ドダイさんの視線が少し厳しかった。遅く起きて来たことのお説教が始まるのだろうか。


「お前、将来ネネとつがいになってこの宿を継がないか?」


「え? ええ!? ええーーー!?」


 斜め上の言葉が出てきた。


 たしかに、ネネは可愛いと思い始めてきた。白い肌も綺麗だし、よく見ると可愛い。さすがに全身ガリガリなのでもう少し肉を付けたいところだけど……。


「カズキ、お前はいい。誰も奴隷と同じ席で飯を食おうと思わないし、同じベッドで寝るヤツなんていない」


 そうなのか。この世界ではそれが普通なのか。


 日本には奴隷制度なんてないから、俺にとってはこれが普通だったのに。


「どうやったのか、奴隷の鎖まで切っちまいやがって。そんなことできるヤツは見たことがねぇ」


 ワイヤーカッターの説明……これは難しい。なにしろ、自分でも何がなんだか分からないのだから。


「ネネは普通の奴隷じゃない。お前と一緒にいるのが良いと俺は思ってる」


 ドダイさんが俺の目を見ながら言った。俺はネネの方をチラリと見た。


 ネネは胸の辺りで両掌を重ねて祈るようなポーズをとっていた。そして、その目は期待している目をしていた。


「僕はまだ15歳です。日本では……自分の国では未成年でした」


 ここまで言うと、ネネの表情がすごく暗くなっていた。


「……それでも、ここで生きていくって決めたんで、もし許されるなら、僕もそれを望みます」


 ネネの表情が一気に明るくなった。ドダイさんも口元がニヤリとしている。この答えで正しかったらしい。


「じゃあ、朝飯を食うか」


「はい、いただきます」


「い、い、いた、いただきます……」


 僕の本当の意味での異世界生活が今始まった。

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