エピローグ
十一か月が経ち、アウスリアにはまた夏が近づいていた。ひんやりした風が心地いい、一番過ごしやすい季節だ。
「なぁ、辞退させてくれよ」
「ダメ、ダメ」
「絶対負けるのにやるなんて、俺が愚か者みたいじゃないか」
「逃げるだけじゃ変わらないよ。ほら、呼ばれたよ、早く行こう」
わたしは当然、最終試験会場にいた。
すでに四勝していたし、一年前の試験のあと、わたしがどんな一か月を過ごしたか、この島で知らない人間はいないと思う。だから、彼が嫌がるのは無理がない話だった。
今回は既に採用の話がたくさん来ていた。ほとんど形だけのこの実技試験を五勝して、あとは、どの団に入るかだけ決めればいいだけだった。まぁ、どこに入るかは、もう決めているんだけど。
それでも、この試験はどうしても受けたかった。試験場の観客席や来賓席にいる団長たちは見慣れた人たちだ。今度は、だれもが、わたしが今日隊員になれると信じている。
百一人目になって、証明してやった。
◆
少しだけ、ダンチョーの話をする。本当に、少しだけ。
ミラウの予想は少し当たっていて、少し外れていた。チャンクたちが研究所を設立した、というのは本当だった。でもそれは、復讐のためではなかった。
彼らが開発したドドラデニメは、自分たちが動物になってしまえば、もう命を狙われることはないだろう、という、逆に消極的なものであった。しかし、いざ実行となると勇気は出なかった。
さて、ダーウィンである。師団長同様、世襲制により盗士団長を引き継いだ彼は、まさに戦闘マシーンで、並ぶ者がいなかった。
一方で、一方的な殺害となるチャンクたちの暗殺にはさほど興味を持たずに、なんと団長の命を狙っていたほどで、パートナーであるメルボネは頭を悩ませていた。
当然、盗士も一枚岩ではない。反ダーウィン派閥も生まれ始めた。そして担ぎ上げられたのが、ダンチョーであった。ダーウィンに匹敵するのは彼しかいない、と、穏健派たちはダンチョーを旗印にした。
それは穏健派たちにとっては隠し玉であった。なぜなら彼は盗士のトレーニングは受けていたものの、任務には一度も出ておらず、あくまで実技トレーニングでの動きが良いというだけでの抜擢だったからだ。
もし彼が本当に任務に出ていれば、ダーウィンに双肩する結果を出していただろう。
だが結果的には、ダンチョーは急に抜擢されて、この国最悪の戦士ダーウィンの対抗馬にあてがわれたに過ぎなかった。
ダーウィンは喜んだ。匹敵するような人間がいるのか、それならぜひ殺したい、と。
こうした盗士たちの勝手な人事に驚いたのがメルボネだった。メルボネは、盗士内で大戦争が起きて、盗士の存在や、チャンクの歴史が明るみに出ることを防ぎたかった。
その結果、ダンチョーを盗士団長に任命した。影の集団とはいえ、団長同士の決闘禁止、というルールには変わりはない。これでメルボネは胸をなでおろした。
しかし、ダーウィンはルールも気にせずに、その日のうちにダンチョーを襲撃するつもりだった。
ダンチョーは聡い人間だった。ダーウィンに狙われる前に王に接触した。相談を受けたシャドニー王は、しかし何とも歯切れが悪く、
「分かった。何か方法があるはず。あー、あー、今思いついた。気がする。だが、ちょっと待ってくれ。多くは語れないな」
のれんに腕押しのようで、これでは無理だ、と、ダンチョーは単独で城内を早々に逃げ出した。盗士たちは、研究所がチャンクのものだとは把握していなかったものの、ダンチョーは、ドドラデニメの存在を知っていた。
「誰がドドラデニメをできる? 俺にかけろ」
「いや、しかし、まだ試したことは」
「いいから、今すぐにだ」
彼らの目的である、動物になってしまおう、という、勇気を出したのは、結果的には研究所の誰でもなく、ダンチョーであった。そうして、ダンチョーは犬になり、研究所を抜け出した。
ダーウィンはダンチョーのすぐ後を追っていたので、研究所にもすぐに襲撃した。ドドラデニメを習得してしまったのは、このときだと思われる。このとき、所員の誰もが非力であったから、誰も彼に相手にされず、殺されなかったのは幸運であった。
タッチの差でダーウィンから逃れたダンチョーは、まだ慣れない体を押して、四足歩行でなんとか城にたどり着いた。盗士だけが知っている地下室への通路を使って侵入して、王室に潜り込んだ。
「シャドニー王。わたしをかくまってくれ」
もうほとんど途切れ途切れではあったが、まだ魔法が完全にかかりきっておらず、ダンチョーはなんとか王に話しかけた。
「あいつを仕留めるのは、ひとりでは無理だ。だが、あいつは危険だ。必ず殺す。
この国中のチャンクの混血を見つけ出せ。まだ少しは生き残っているだろう。あれくらいの力を数人でも集めれば、あとは団長数人がかりでつぶせる。手勢を集めろ」
「見つけ出せって、どうやって。地図もないんだぞ」
「いい機会じゃないか。やってみなよ」
まだ何か言おうとしていたが、そこでダンチョーはバタリと倒れてしまった。
「そうは言っても、どうしたらいいんだ」
シャドニーが、この一人、いや一匹の盗士団長に人生を狂わされ始めたのは、この日からであった。
◆
一年前の政変で、アデライト、ウロンゴロン、そしてジョルドコーストと、三人の団長、それと盗士団長を失ったこの国の軍隊は、メルボネを団長格に降格させ、そして新たに二人の団長を迎え入れることで、なんとか体制を維持することができている。
新しい団長のクイズランドは、王からその役職を乞われたときは驚きを隠せない表情をしていた。もうチャンクに帰る必要はない、と、今後の進退を悩んでいた彼女に、その役職を王に進言したのはわたしだった。
「胆力がすごいよ、ベル・サーヤ。わたしの存在意義を覚えているだろう? この町に味方するなんて、反吐が出る、大反対するだろう、なんて思わなかったのかい?」
「きっとね、隊員たちの中にも、無自覚の、隠れチャンクはいると思うんだ。その人たちがいづらくならないために、先頭に立つ、翡翠の目をした人が必要でしょう?」
「それなら、きみでもいいじゃないか」
「うん。ゆくゆくはそこまで昇格するから。それまで待っててね」
本当に引き受けてくれるとは思っていなかったけど、その後の団長としての仕事ぶりは、パディントンに匹敵するほどのことだった。
顔の見えない敵にむやみに備えるということがなくなったから、このトラディーを守るのは団長は三人で大丈夫になった。
残りの七人のうち六人は、二手に分かれて、カラマリと、グラウンドタウンとを中心に統治している。今は、それぞれの町からトラディーへの交通整備が進められているけど、アヌボットとクイズランドの指揮で、だいぶ順調なのだ。
「さっさと隊長になれよ、サーヤ。鍛えたのは俺だからな!」
統治については、それぞれの三つのエリアは三年任期として、毎年一人はローテーションをする。
遊軍という縛りをなくして、すべての軍隊が、この島中のことを歩き、感じ、知るようにしよう、と、パディントンとレンジャーが陣頭指揮をとって、この制度が作られた。
来月には、初めてのローテーションがされる予定だ。
ミラウは初めから、チャンク配属を志望した。そして、研究所の人たち、つまりチャンクの子孫がたくさんいる人たちを連れて、サザンクロスにも出向いた。
「それで、どうだった? 懐かしさとかあった?」
「そんなのはないよ。ただの、お墓参りみたいなものさ」
もう、危険な魔法を開発しなくていい。研究員さんたちはに、その事実を安心と一緒に見せたかっただけだったようだ。
彼らは、ドドラデニメを封印するために、それから、かかった人をもとに戻すために、研究を続けている。
そして、最後の、もう一人の団長、いや、もう一匹の団長は。
「ダンチョー。また、研究所の人たちが呼んでるよ。今度こそは成功するはずだ、って」
どうせまた痛いだけだろ、と言わんばかりに、興味なくそっぽを向いて、ダンチョーは尻尾だけゆらゆらと揺らした。もう諦めているのか、これはこれでいいやと思っているのか。
「ほーら。持ち上げるよ。あー、夏毛だからフワフワでモコモコだ」
純白の体に、顔をうずめた。クン、と鳴いたダンチョーが、わたしの頬をチロリとなめた。
ドドラデニメ 鮪山ちひさ @mttuna
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