最終章 拳の証明
赤いコートを脱いだダーウィンは、グレーのスーツのような服を着ていた。町中で歩いていても、これが盗士団長だとは気づけないかもしれない。
わたしたちが向かい合っているのは、城内の長い廊下。逃げ場は一つもない。正面衝突しかない。
「目の前にいるのは、伝説の盗士団長ですよ」
それでも勝つ気でいるのか、と言いたげだった。誰もが、絶対に無理だろう、と言うだろう。百人いたら、百人無理だと言うだろう。でも、一歩も退く気はない。
「百人が百人無理って言うなら、百一人目になってやる」
そう啖呵は切ったし、ダンチョーも身構えているけど、自分から飛びかかっていかない。わたしを守るためだけに、戦闘姿勢を取ってくれているのだろう。
おそらく、まだ、勝算が足りない。自分から攻めないダンチョーと、勢いだけのわたし。まだ、足りない。勝利には、あと、ワンピースは必要だ。
「何度も盗士と戦ってきたでしょう。なら、これも見ているはずですね。
とくと御覧なさい、盗士団長の疾速の輝きを!」
ダーウィンが一瞬中に浮いて、消えた。こうなると、どこからやってくるか分からない。
さっきみたいに、切りかかってくる直前に感じ取れる殺気を感じるしかない。そうだ、さっきも惜しかった。きっともう一発なら、大丈夫。
ガウ! とダンチョーがわたしの右手に飛び跳ねたと思うと、ダーウィンが気配もなく切りかかっていた。ダンチョーがなんとかナイフで受けてくれていた。
何も感じられなかった。
そうか、さっきまでは、まだダーウィンに殺意はなかった。でも、彼に明確な殺意があれば、気配も消すのはお手のものなのか。
こうなると計画が変わってくる。ダンチョーの反応に合わせて切りかかるしかないのか。でも、ダンチョーを見てから動いていては、わたしの感じる身の危険での動き出しよりは、確実に遅れる。
勝算が、なくなっていく。盗士団長に追い詰められていく。
わたしが翡翠の目とバレたのだから、このままだと、父さんや母さんも狙われるだろう。なんとかしたい、なんとかしたいのに。なにか形勢が変わる一手があれば。
「言っただろ、ベル・サーヤ。親玉は、あたしがぶっ殺すって」
聞き覚えのある声が背中から聞こえた。
でもそれは、警戒すべき声ではない。そして唸りとともに、ダーウィンに向かって鋭い射撃が飛んで行った。
ダーウィンは簡単にその弓を目の前で掴んでしまった。
「その目は。なるほど。ベル・サーヤに盗士団長の話をしたチャンクは、あなたですか」
「清算の時間だぜ、ド派手野郎」
クイズランドが助けに来てくれた。
両手に短刀を構えた彼女は、こっちを振り向きもしないけど、わたしたちの前に立って姿勢を低く構えた。その後ろ姿はとてつもなく頼りになった。
「サーヤ。わたしはきみを守る。至近距離で、庇ってでも守る。そのゼロ距離から、あいつの頭に、きみの馬鹿力を叩き込め」
彼女は腰からナイフを三本同時に投げ放った。挑発行為だ。それをいなしたダーウィンは、一瞬で姿を消した。
どこから来る。右か、左か。それとも後ろか。
「背中につけ! サーヤ!」
彼女と背中合わせになった。クイズランドの心臓の音が伝わってくる。きっとわたしの音もそうだろう。緊張、高ぶり、共に最高潮だ。
ダンチョーの耳がピクンと動いて、吠えた。
「下だ!」
ゴワゴワになった絨毯で分からなくなっていたが、床をたたき割って、下から突撃してきた。
わたしたちは別々の方向に飛び跳ねてかわした。わたしとクイズランドとを分断したダーウィンは、先に彼女に向かっていった。
金属でできた杖だと思っていた彼の武器の、薙ぎ払った一撃がクイズランドを直撃した。それは斬撃ではなく打撃のようで、杖の柄自体には裂傷を与えるような危険はなさそうだ。
でも、彼女がかわしたその突きは、絨毯をスーッと裂いた。剣先が鋭い針のようになっているのだろう。
「動きの荒々しさはチャンクそのものですね。血も濃ゆそうだ。その上動きのキレがいい。
美しいですよ、あなた」
どうする。距離をつめて、至近距離になるか。
いや、クイズランドの考えなら、わたしとダーウィンとの間に誰かがクッションとなり攻撃を受けることで、わたしがこの拳を叩き込むという算段のはずだ。このままわたしが軽率に近づいても意味がない。でも、このままではクイズランドが危ない。助けないと。
いや、彼女を信じよう。クイズランドは、必ず成功させてくれる。そして、わたしは思い切りぶん殴る。一時の感情で、この作戦を破るわけにはいかない。
ダンチョーが先に彼女へ加勢した。同じ考えなのだろう。なんとかわたしの方へクイズランドを盾として向かわせたい。
ダーウィンも、まさかわたしの一撃が秘密兵器だとは考えていないだろう。わたしは保護対象。クイズランドもダンチョーも、わたしを守るのに必死だと思っているだろう。
でも、ダーウィンの薙ぎ払った一撃が入ったクイズランドの動きが、明らかに鈍くなっている。押され始めているのは明白だ。
それでも、間合いを詰めるダーウィンに、いったい何本仕込んでいたのかと思うほどナイフを投げつけている。
ダンチョーも、廊下の壁も天井も床も何度も飛び跳ねて、ダーウィンに斬撃を与えようと突進を繰り返している。ダンチョー自身、自分には致命傷を与えないだろう、と踏んでいるのか、真正面から飛び込んでいくこともある。
今ここに加われば、一撃、加えられるのではないか。そんな甘い考えが、全身に血を巡らせた。膝から一歩、右足が進んだ。
「動くな! サーヤ!」
そのクイズランドの叫びが、彼女に隙をつくった。右下から薙ぎ払ったダーウィンの一撃は彼女の脇腹を完全につかみ、そのまま窓をたたき割り、城外へ放り出された。
「クイズランド!」
叫び声は届かない。口角を上げながら、ダーウィンは振り向いた。
「さぁ、盗士としての仕事は終えました」
すぐに、ダーウィンの姿が消えた。来る。この男は、今、わたしを仕留めに来ている。わたしを攻撃して、ダンチョーをその守備にまわすことで、隙をつくるつもりだ。
だとすれば、背後から一瞬でひと突きなんてことはしない。分かりやすい方向から、追いつくようなスピードでやってくる。わたしが見ている、この視界の範囲からやってくる。
ソードを手放した。右手の拳に力を込める。姿を見てからじゃ遅い。一か八か、先に殴るしかない。間に合うか? ちがう、間に合わせるんだ!
「犬がぁ!!」
視界から消えていたはずのダーウィンの叫び声が、目の前で聞こえた。
まさに正面から飛び込んできていたダーウィンのどてっぱらに、真下から、ダンチョーの頭突きが決まっていた。
そしてその間合いは、すでに殴りつけ始めていたわたしの射程範囲だ。拳の延長線上に、ダーウィンの顔がある。
「ふっ、」
顔が見える方が、やはり、気持ちが入る。
「ふっとべええええ―!!!」
この一か月の一番の右ストレートが、ダーウィンの左頬に入った。
◆
城門に残っている隊員たちは、武器を下ろしていた。二人は息が上がった馬を降りて、その場にいたカンガロの隊員を一人つかまえて状況確認を急いだ。
「お待ちしていました。お二人はここで休んでください」
「一体どうなっているんだ。城内に行くんだよ俺たちは!」
城門では馬を降りて大激戦だ、と身構えていた二人は、肩透かしをくらったように、目を丸くしてキョロキョロしていた。城内からも騒ぎ声が聞こえていた。
「城内は、お二人の軍隊と、キャンビー様の軍が飛び込んでいます」
「俺とアヌボットのか!」
二人も息が上がっていたが、自身の軍隊が無事だった、という事実に安堵した。
「なおさら合流しねぇとな!」
「城内での師団長陣営は、もうジョルド様の軍だけです。そして、レンジャー様のご指示通り、全面衝突は避けています。
団長同士での決闘で済ませて、被害を最小限に抑えるそうです」
「聞こえがいいな。あいつは戦いたいだけだろ」
「そうだ、そうだ! いいからぶっ飛ばそうぜ。サーヤも心配だ!」
そう意気込んだアヌボットだったが、急に膝からガクンと落ちた。
「おいミラウ、余計な魔法でもかけたか」
「するかよ、バカ」
今朝早くに山越えをしてから、ずっと駆け抜けてきた疲労は、確実に二人の体に溜まっていた。城下町でのピース軍との交戦も、確実にダメージになっていた。
「でもよ、ミラウ。サーヤが心配なんだよ」
「俺だってそうさ。でも、ここで城内に突っ込んでも、サーヤがいるとも限らない。
一旦、ほんの少しでも、体を休めるほうが良いんじゃないか」
けどよう、と言いながら、アヌボットも、このまま立ち上がれそうにない自分の体力を察した。そして、そのまま腰を下ろそうかという直前であった。
頭上で、窓ガラスが激しく割れる音がした。見上げたミラウが、
「何か落ちてくる! 人だ!」
と叫んだ。その影は木に叩きつけられ、地面に落ちた。その姿には、二人とも見覚えがあった。
「お前、クイズランドじゃねぇか」
「サーヤが、いる」
二人は顔を見合わせた。
サーヤの居場所が分かった。その事実が、体力なんてとうに尽きたアヌボットをなんとか奮い立たせた。
「ダーウィンだ。盗士団長と、戦っている」
「最終決戦中ってわけだな。よし、今落ちてきたところだな。まかせろ」
制止する隊員たちを振り切って、二人はもう一度走り出した。
カンガロの隊員としては、真意としては、彼らを休ませるために留まらせたかったのではなかった。レンジャーからは、
「あの人たちはバカだから、軍勢をなるべく減らさないように、なんて考えずに、いくらでも暴れちゃう人だからね。城門まで来たら、そこで休ませておいて」
と言われていた。そんな暴れ馬を二人とも城内に放ってしまい、これから大暴動が起きてしまう、とカンガロ隊員たちは戦慄した。
城内に入ると、アヌボット、ミラウたちの軍勢が一斉に振り返った。
「アヌボット団長!」
「ミラウ団長!」
「おう! よく生きていた! で、ジョルドはどこだ」
「殺されました」
おい、レンジャー、早すぎるだろ! とアヌボットは叫んだが、それはどうやら違うようであった。
「ジョルド様の軍隊は、メルボネ様の軍だったでしょう。
その師団長をあわよくば裏切る、という行為に、隊長たちは知っていて、それで、先に」
城内で暴徒と化していたのは、ジョルド、いやメルボネ軍だった。この国でかつて最強軍と呼ばれた軍隊だ。
「レンジャー様は、このメルボネ軍を鎮めるために、いったんご自身の軍隊と合流するために戻りました。今は、キャンビー様、そして私たちの軍との膠着状態です」
「あれ、レンジャーの軍って来るんだっけか?」
「え?」
アヌボットとミラウは大きく伸びをした。にらみ合っていた軍勢たちとは対照的な、呑気な態度だ。
「お前たち、解放されてどれくらいだ」
「まだ、数時間です」
「何か月もとらえられていたんだからな。まだ体は万全じゃないだろ。無理はするなよ」
そう言って自身の軍をかきわけながら、二人は膠着状態にある最前線へ向かっていった。
「よう、キャンビー。ジョルドの腰巾着だと思っていたが、こんなところで共闘するなんてな」
「アヌボット、ミラウ。
分かっていると思うが、相手はメルボネ軍だ。俺の軍でも当然かなわないが、ブランクのあるお前たちの軍でも、相当厳しい。レンジャー、パディントン軍の合流を待ってからでも」
「あれ、パディントンは来るんだっけか?」
「え?」
まぁ、来るとしても遅いよな、とアヌボットは吐き捨てた。
「考えてみろよ、キャンビー。あっちは、指揮官を自分たちで殺したんだ」
「それは、そうだが。だから尚更、降伏を迫りづらいんだよ」
「俺たちゃ団長だ。何が降伏だよ。全部ぶっつぶしてから、再編してやるよ」
極力被害を出さずに降伏を、という、レンジャーの考えは、武闘派団長二人の前では難しすぎる作戦だったようだ。
肩をグルンと回したアヌボットを横目に、ミラウも首を鳴らしていた。
「頼もしいね、アヌボット先生は。この島中をみてきたから、この国の行く末だとかビジョンだとか、見えているんだろうね」
「細かいところは、パディントンやレンジャーになんとかしてもらうさ。
でもさ、この国を、一番ぐるっとまわって調べたのは、俺でも、お前でもねぇだろ」
アヌボットは上を見た。何人、何十人ぶっとばせば会えるか、とつぶやいた。
「さぁ、勇者になろうぜ、ミラウ。サーヤは、この国に必要なんだ」
◆
くらわせた一撃は、ダーウィンに確かにきいている。目の焦点が合っていないようだ。生身の顔にぶつければ、わたしの拳も、盗士団長にきくのだ。
今こそ追撃するべきだと思う。だけど、自分から距離を詰めるのは危険だ。あくまで迎撃、カウンターを狙う。あと一発で、仕留める。
「美麗だ。美、そこにはわたしの全てがある」
ダーウィンが何かを言って、また姿を消した。
だが、やってくる気配がない。ダンチョーも、ガウ! と叫んだ。迫ってきていないのだ、姿をくらませたのだ、一度退かせたのだ。盗士団長を退かせたのだ。
ダンチョーが先行して駆けていく。待ち構えている様子はなかった。偽団員がはびこっている可能性もあったけど、ダンチョーの様子を見る限りそれも大丈夫そうだ。
大丈夫だと信じて、前に進むしかない。ソードを拾って、城内の廊下を進んだ。
給仕室の前を通り過ぎた。
かつてこの部屋から見えた景色の、すべての場所をこの目で見て、この足で歩いた。あの頃のわたしじゃない。成長した。
団長部屋がずらっと並ぶ廊下を進んだ。この先は、王室だ。ドアが半開きだ。危険か。ダンチョーはわき目も振らず中に入っていった。なら、大丈夫だ。
最後の部屋だ。
最後の決戦だ。
父さん、クイズランド。わたしがわたしなりにできること、そのフィナーレが、今始まるよ。
ダンチョーにつづいて、わたしも勢いよく王室に入った。部屋の中には、三人の男がいた。ダーウィン、師団長、それから、シャドニー王だ。
「サーヤくん!」
「王もご存知ですか。彼女のことを。美しいどころではない。麗しい。美麗だ。
ねぇ、師団長。これは相談なのですが。王もぜひ、聞いてください。
彼女こそ団長にふさわしい。これからもっと成長すれば、優秀な団長になれたはずですよ」
ダーウィンは赤いコートをするすると着ながら、そのようなことを言っている。
「お前、そのためにわざわざ、あの危険な二人をここまで呼び寄せたのか! わたしのことも突然王室に送り込んで、お前はいったい!」
「ええ。彼女が素晴らしかった、ということはお伝えしておきたかったものですから。
ベル・サーヤ。これであなたの戦果は、王にも師団長にも記憶されました。
わたしは表舞台に出ることはありませんから、お二人に、どうしても伝えたかった」
話の本筋が読めない。だが、そこまで話したところで、ダーウィンから殺気が放たれたのは分かった。
「団長。あなたを人間に戻せるかは分かりませんから。今日は、彼女と相手しますよ」
ガウウ、とダンチョーがうなった。
「さぁ、ベル・サーヤ。美麗な者よ! この二人の前で、存分に戦いなさい!
伝説を始めよう!」
ダーウィンの姿が消えた。さっきの一撃で頭に多少はダメージを与えたはずなのに、まだこのスピードを出せるのか。
「サーヤくん、逃げるんだ! 彼はダーウィン! 盗士団長だ!」
「これはシャドニー王、よくご存知で」
「師団長こそ、なぜきみが団長を」
「王こそ、盗士団長を携えていたでしょう」
二人がなにかごちゃごちゃと言い合っている。うるさい。政治は後からだ。今は、決死の戦闘だ。
ダーウィンの攻撃は、先ほどの突進と同じだ。どの方向から来るのかの予想ができない。
全神経を尖らせろ。あいつの射程範囲は、杖の長さを使っても二メートルだ。半径二メートルでいい、集中しろ。
集中の糸を切る意図なのか、想定していない攻撃が飛んできた。目の前から、玉座が飛んできた。でも、驚くようなスピードじゃない。避けられる。いや、遅すぎないか? このスピードは、確実に罠だ。
玉座に背を向けて、背で受けた。木が割れたか、骨が折れたかも分からないような乾いた音がした。思わず声が出るほどの痛みだけど、あいつのスピードなら、投げつけたものの逆方向から攻めて来る、なんてことはできるはずだ。
だから、迎え撃つなら、真逆のこっちの方向だ。
「惜しいですね。考えすぎ」
視界の端で、背後にダーウィンを捉えた。放り投げた玉座の影に潜んでいたのだ。
体が勝手に、腰のナイフを投げつけて応戦していた。考えずに、動けている。わたしも、成長している。
ダンチョーのタックルも空振りに終わったけど、わたしたちの攻撃で、ダーウィンは一歩退いた。
長期戦に持ち込もうか。いや、長期戦は手数が多い方が有利だ。
玉座に手をかけて、思い切って接近した。迎撃じゃない以上、一瞬でいい、不意をつく隙がいる。ダーウィンが予想していない動きをしろ。
ダーウィンは杖を右手に持ち替えて、剣先をこちらに向けてきた。
「玉座を掴んで向かってくるとは! 変わった動きをして、隙をつくろうということでしょう。その程度で驚くわけがないでしょう!」
分かっている、狙いはそこじゃない。杖を思い切り突いてきた。狙いはここだ。
「集中どころだ!」
薙ぎ払うような右のジャブで、金属の杖を叩き割った。
さすがに、少し、ダーウィンの表情に驚きが見えた。これでいい。わたしの武器は、殴るだけじゃない。
少し止まった時の後、ダーウィンの左側頭部に、わたしのハイキックが入って、時がまた動き始めた。
鉄板の入った靴先がめり込むのが分かる。
すかさず、ダンチョーのタックルが、逆側の右側頭部に入る。ダンチョーにとっても想像できないわたしの行動だったはずなのに、チャンスとみるや畳みかけるのは、本当に助かる。
ダーウィンは口をへの字に結びながら、血を吹いて、後ろによろめいた。
「ダーウィン! お前、どうした!」
師団長が大声で叫んだ。その声も、今のダーウィンには届いていないだろう。わたしも、必死の一撃だった。追撃をする余裕はない。よろめいて、そのまま倒れてくれ、と祈るしかない。
彼の右足は、倒れそうな上半身を支えるようにしっかり踏ん張った。顎を天井に傾けて、表情が見えない。肩が小刻みに痙攣しているのが分かる。今の一撃が確実にきいていることが分かった。
あと一撃。もう一撃だけ、ゼロ距離肉弾戦を仕掛ければ、全てが終わるはずだ。息を整えろ、集中しろ、それから冷静になれ。
「だれか、だれかいないのか! ジョルド! ピース! だれか、だれか!」
師団長の情けない叫び声が部屋に響く。ここで加勢されたら困る。誰も来るな。
バン、と、ドアが開く大きな音がした。誰か、来てしまった。
でも、なんでだろう、嫌な予感は何もしなかった。落ち着き払った、安心した心持で、ドアの方を振り返ることができた。
見慣れた二人がいた。頭から血を流して、息も切れ切れで、肩は大きく上下している。服もボロボロだ。
それでも、こんなに頼りになる人たちは、他にいない。
「おまたせ、お嬢様!」
ふらふらになりながら、アヌボットとミラウが入ってきた。部屋に入ってきて、わたしたちのそのすぐ横にやってきた。
金髪を汗と血で濡らして、クタクタになりながら、口角を上げて笑っているアヌボット。弦が折れたサングラスを投げ捨てて、前髪を手で掻き上げるミラウ。勝算があれば、先頭で唸って相手をにらみつけるダンチョー。これで、いつもの四人だ。
「お久しぶりぃ! メルボネ師団長」
「お前ら! ここまで、いったい、どうやって、なぜ!」
「質問が多いな。あんたが俺らを始末して、王も排除しようとしたから、ちょびっと歯向かっただけさ」
「答えすぎだぜ、ミラウ。ここに来た理由だろ?
俺のお嬢様、サーヤを助けにきたんだよ」
メルボネは三歩後ずさりした。よ、四人で、今のダーウィンは、と、途切れ途切れに弱気なことを口走っている。
「ねぇ、ダーウィン。わたしね、かっこよく勝つのが目的じゃないから、今からは四人でやるよ」
ダーウィンは何も答えず、大きく上に傾けていた顎を引いて、血まじりの泡を吐き捨てて、こちらを見て仁王立ちをした。
「おい! ここは退くぞ、ダーウィン! 一度体制を整えなければ!」
「退く? どうして?」
「勝ち目など万に一つないだろう! ここで戦うバカがいるか!
お前は賢の団長だろう!」
ハハハ! とダーウィンは高らかに笑った。
「ええ、ええ、そんな話はありましたね。勝てる戦いに持ち込む賢の団長、それと、どんな戦いにも首を突っ込んでしまう、愚の団長。
師団長。わたしは、賢だと思っていましたか!」
ダーウィンは肩をグルリとまわした。その様子を見て、恐らくこの場にいる全員が、勝敗を察した。
とくにメルボネの落胆ぶりがすさまじかった。背骨を引き抜かれたみたいに、ぐにゃりとその場に膝から崩れ落ちた。
「師団長。もはやわたしに、あなたを守る余裕はない。わたしはここで、わたしをゴミのように見ている、この尊大なる貴人たちによって、華々しく殺される。
師団長、あなたも、数分単位かと思いますが、長生きしてくださいね」
さぁ! とこちらを向いて、両手を大きく広げた。
「最後の盗士団長の疾速、刹那に目に焼き付けろ!」
ダーウィンの姿が消えた、ように見えたが、その動きが見えた。彼ももう満身創痍なのだろう。ジグザグに地面を蹴りながら、こちらに迫ってきていた。
最後の一撃、その瞬間が迫っている。
「ミラウたちの前で、わたしが戦っているのを見せるのは、初めてじゃない?」
「期待しているぜ、この島のヒーロー」
「ねぇ、アヌボット。わたし、もう、躊躇しないから!」
「あぁ、信念持ってやっちまえ!」
ミラウが指先から勢いよく火炎を放射した。ダーウィンの進行方向が修正された。そこにアヌボットとダンチョーが切りかかった。
ダーウィンはかわしたけど、ダンチョーはアヌボットを踏み台に、思い切りタックルを繰り出して、ダーウィンのどてっぱらにヒットして、動きが止まった。
そう、この角度、この距離。ちょうどいい。
「ダーウィン。あなたを知った時から、生かそうと思ったことはないんだ」
最後の右ストレートは、隙だらけの顔の正面が的だった。
ためらってしまう程丸出しの大きな的に、容赦はしなかった。大きく上げた左足を思い切り踏み下ろして、着地した瞬間、右足に乗っかっていた体重を、左太ももの内側にすべてぶつけた。そうすると、腰の右側が風よりも早く回転して、その体重が上半身に連動した。だんだんと右腕に伝わっていく体重移動でバランスが崩れないくらいには、体幹は鍛え上げている。右肩、右ひじ、そして拳と、体重、血液、そして熱が順番に、流れて、溜まって、爆発した。
拳が触れる彼の顔の肌の奥で、血管がズタズタになって、骨が砕けて、そのさらに奥の脳が破裂するのが分かる。
わたしは何度も誓い直した。隊員になる。家族を守る。地図を作る。木曜岬を見る。密書を取り返す。人質を解放する。殺神に会う。何度も何度も誓い直して、ブレブレだったけど、これが最後の誓いだ。この一撃がピリオドだ。
この目で、わたしのままで、アウスリアで生きていく。
◆
その後、レンジャーとパディントンが王室に入ってきた。アヌボットもミラウも師団長を殺してしまう寸前であったが、二人の制止により、師団長は生かされた。
シャドニー王は、目の前で起きた大激戦を前に、腰を抜かしていた。玉座に腰かけて誤魔化そうにも、それさえも部屋の真ん中で粉々になっていたので、玉座があった段差に腰かけていた。
かつてメルボネが、
「王という絶対的な立場という余裕があるから、改革を望んでいるんでしょう。似た者同士ではないですか」
と彼に言い放ったことがある。安易に、地図をつくり統治を広げよう、邪魔をするなら師団長職の世襲制の権益を取り上げよう、と動いた政治は、ちょっと見方を変えれば、自分勝手な帝国主義が目立ち、そして既得権益を蔑ろにしすぎていた、という、十分すぎる悪政とも言える。
確かに玉座という余裕のあった立場で、だれにも相談せず、余裕という言葉を純粋培養してしまった結果なのかもしれない。
結果の話をすれば、結果的には、シャドニーのこの地図作り計画から始まったアウスリア政変未遂事件で、アデライト、ウロンゴロン、そしてジョルドコーストと三人の団長を失っている。また隊長も、殺神騒ぎを含めると六人失っている。
外敵がこの事情を知れば、トラディーは危機に陥る。いや島の外だけではない。
「カラマリという町で、偽団員対策として遠いサツシマの軍を派遣要請しています。
今このトラディーを攻められれば、政権転覆もありえます」
まだうなだれているシャドニーにそう話したのは、サーヤだった。そのすぐ後ろには、血まみれのアヌボットとミラウ、そしてレンジャーとパディントン、最後にダンチョーが控えていた。
「島のいたる場所で、偽団員、いえ盗士がはびこっています。
みな、もう簡単には見つからないチャンクの殲滅のために徘徊して、ろくな恩賞もないので狼藉もはたらく、という繰り返しです。町々の人々も、そして盗士も、自分たちの、そしてお互いの歴史を知らないので、尚更恐怖に陥っています」
「詳しいね、サーヤくん」
「この足で、歩いてきましたから」
説得力というのは、頭で考えたロジックや、相手が理解できるような比喩で決まるものではない。生々しい事実の羅列にかなう言葉はない。
「今、盗士団長を討伐しました。
これを機に、この島の歴史の真実を、島中に伝えませんか。チャンクから始まって、盗士が生まれて、見捨てられた、そのすべてを。
情報がつぎはぎで、とびとびで。そんな状況だから、みんな、その情報と情報のあいまを想像で埋めて、自分勝手な解釈をしている。
たとえわたしたちトラディーの人間に不都合な事実だったとしても、すべて開示して、盗士の活動を止めて、偽団員騒ぎを止めるべきです。それだけの、島全体に影響がある政治をすれば、島中に十分な統治は示せませんか」
パディントンでさえ、おぉ、と小さく唸った、サーヤの大演説だった。
一か月前。シャドニーはサーヤに封筒を渡した。彼女に拒否権はなかったが、それは、ロジックや納得など度外視した、王と平民という身分差によるものであった。
そして今。サーヤの大演説に、シャドニーに拒否権はなかった。それは、身分差を度外視した、ロジックと納得に根付いたものだ。
部屋の中央では、玉座が粉々になっていた。
クン、と小さく鳴いたダンチョーが、サーヤの脛にすり寄ってきた。彼女はしゃがんで、たぎった血でぐんと体温が上がったその首筋を、ワシャワシャと撫でた。
「父さん、クイズランド、それからきっとどこかにいる、同じような目の人。それから、わたし。
これで、安心して、どこでも行けるね」
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