第十八章 島を盗んだのは誰だ

 夏が、寒波が、最終決戦が近づいている。


 平原も、青々とした冬の豊かな草原の面影はない。枯れる寸前の丈の短い草がまばらに生えている平原は乾ききっていて、軽く走るだけで砂煙が舞うほどだった。そこに、二頭の馬が猛然と東に向かって走っていたのだから、砂塵の煙は塊のように舞い上がった。


 あと一時間程度でトラディーに着くだろう、という距離で、アヌボットが馬を止めた。まだギリギリ枯れていない木が残っていて、陰になっていた。


「最後の休憩だ」


 アヌボットに抱えられるように乗馬していたサーヤも降りると、ミラウの背負うザックの中で眠りこけているダンチョーを揺らして起こした。


 結果的に、トラディーに突撃する手勢は、いつものこの四人だけだった。


 サーヤたちは、グラウンドタウンに残るレンジャー隊に掛け合ったものの、何があってもここに留まることが団長命令なので、と頑なに動かなかった。隊員たちの前で、二人は、


「したたかだよ、レンジャーは。これであいつの軍隊としては、クーデターに無関係だ。

 元々任務でトラディーを出たんだもんな。この町にとどまっていてもなんの規則違反じゃねぇんだ」

「俺たちの軍隊の解放だって、単身だから、気分次第でいくらでも反故にできる。相手の出方次第で、自分まで助かることができる」


 と毒づいたが、隊員たちは否定も肯定もしなかった。やっぱり、ただの戦闘狂じゃないんだよな、とアヌボットは頭を掻いた。


 朝一番に、一番整備されている山道を抜けてバンガーズ山脈を抜けた後は、パディントンが用意した馬を使って、一時間で十キロ進み、少し休んでまた進み、とずっと繰り返していた。


 既に日は真上に上っていた。砂埃は煙ったいものの、平原はほどよく風が吹きつけて、快適な気候であった。


 サーヤは木を背にして、ダンチョーの首をわしゃわしゃと撫でていた。名残惜しそうに、ゆっくり、何度も何度も撫でていた。


「おいおい、なんだなんだ。死ぬかもしれねぇから、最後だからいっぱい撫でておこう、みたいなことか。縁起でもねぇな」

「そうじゃないけど」

「けど、なんだよ」

「こうしていないと、不安だから」


 アヌボットには目も合わさずに、サーヤは一心にダンチョーを撫でまわしていた。


「心配するな、死んでも守るから」

「アヌボットも死なないでよ」


 おう、と力こぶをつくるアヌボットに、くすりとサーヤが笑った。


「おい見ろよ、この木、ユーカリだぜ」


 花も咲いているじゃねぇか、とアヌボットは花弁を揺らした。そういえば、意外だけど花に詳しかったな、と、木曜岬での出来事をサーヤは思い出していた。


 ユーカリの花は特殊で、よくあるめしべとおしべの周りを花弁が囲むように咲くようなものではなく、まさにその花弁の代わりに、白い糸のようなおしべが無数に生えていて、品種によっては菊の花に近い見た目をしている。


「ユーカリの花言葉、知っているか。

 こんなところに咲いているなんて、俺たちの旅路を後押ししているみたいだぜ」

「なんで知っているんだよ、そんなの」

「俺はよー、花言葉ってのが好きなんだよ。

 その花がよ、どうやって咲くか、何に使うか、っていうのが言葉の由来になるから面白いんだぜ」

「意外だけどね。アヌボットは花に詳しいの」

「さて、ユーカリの花言葉だが、再生だ。

 こいつはよ、火事があっても一番にまた芽が生えてくるんだ」

「今から中央をぶっつぶすから、ってか。いいじゃないか。この国の新しい芽を生やそうぜ」


 さぁ、テンションも上がったし行くぞ、と、アヌボットはまた抱え込むようにサーヤを乗せた。ダンチョーも、ミラウが背負うザックにスルスルと器用に入って、すぐに眠りこけてしまった。


「このまま突っ込むぞ」

「あぁ、問題ない」


 皮肉なものではあるが、二人とも、トラディーは防衛戦を想定した迎撃準備をするほど軍備を整えていないというのは十分に分かっていた。


 向かってくる馬二頭を一瞬で仕留めるような弓矢の技術はないし、城下町には城門はないので、トラディーには簡単に侵入できる。


「後は行き当たりばったりだ」

「それがいい」


 サーヤに少しでも現場の場数があれば、あるいはダンチョーが言葉を話せていれば、もう少しましな作戦を立案できていただろうが、この二人ではどうすることもできなかった。


 地平線の先に、町が見えてきた。潮の匂いもしてきた。三人とも一か月、あるいは二か月ぶりの故郷だった。この長かったそれぞれの旅路に、それぞれが少し感傷に浸っていた。


「おい、アヌボット、サーヤ。俺はこの一か月、そんなに悪い気はしなかったぜ」

「お前もかよ! 縁起でもないことは言うな!」

「ねぇ、みんな無事だったら、これからもこうやって、友人みたいに話しかけて大丈夫?」

「だから、絶対成功する、って思えよ! あと、隊員の前では禁止だ! 舐められるからな」

「団長部屋に呼んでやるよ。そこで、これまで通り話したらいい」

「そうだそうだ。それから、俺の軍団に入ったらいい。隊長も夢じゃねぇぞ」

「ううん、来年の試験を受け直す。絶対五勝できるから。それから、採用してよ」

「そ、そうか?」


 アヌボットの思っていた返答ではなく、少し沈黙が続いてしまった。アヌボットは、ええい、と、気持ちを切り替えるためにも、鞭を入れて加速しようとした。


 一瞬だった。鞭を入れたとはいえ、想定以上に馬が軽やかに加速した。その原因はすぐに分かった。


 サーヤがいなくなっていた。


「おい! ダンチョーが落ちたかもしれねぇ!」


 ミラウも同じようなことを言った。アヌボットは、今起きている事態を理解していないし、納得はしていないものの、こういうことができるのは、一人しかいないとは分かっていた。


「盗士団長か!」


 ◆


 なんだ、この感覚は。内臓がぜんぶ首のところまで浮き上がってきたような、吐き気のする感じがする。


 あぁ、あれだ。古城で、パディントンたちから逃げるために、吹き抜けを飛び降りていたときの感覚だ。っていうことは、今、どこかに落ちているの? あれ、馬の上にいたはずじゃなかったっけ?


 今、わたしは起きているの? これは夢なの? 真っ暗で何も見えないけど、その真っ暗な目の前が目まぐるしく動いているような感じがする。


「やっとここまで来ましたね」


 うつらうつらとしているところに、パン、と手を叩いて目を覚まさせるような、そんな鋭い声がした。


 さっきのは何だったんだろう。とにかく、今、はっきりと覚醒した。


 首の後ろに痛みを覚えた。気を失うように、首に一撃をくらっていたのかもしれない。ギリギリ覚えているのは、馬に乗っていたのに、急に体が浮いたところだけだった。


 ここはどこだろうか。薄暗い、広間の中央のようだ。チャンク城よりも暗い。空気は湿気ていて、じめっとしている。水の腐ったような臭いもする。どこか地下なのかもしれない。


 幸い、体は何も縛られていない。ソードも無事だ。ザックはアヌボットに渡していたから、ソード以外は手ぶらになってしまっているけど。


 何か決戦が起きるのだとしたら、心の準備以外はできている。両足の裏を床にちゃんとつけて立ち上がり、全方位に神経を尖らせた。


「あなたは、ベル・サーヤ。バンガーズ山脈で見かけて以来ですね」


 またさっきの声だ。山脈? 山脈で会ったのは、イノシシに変身したあの人間だけだったはずだ。


「お前! もしかして! あの日ドドラデニメをした犯人か!」

「それより、一人、いや、一匹忘れていませんか?」


 ハッ、と思い出して、ダンチョーを探した。肩掛けのところを切られたミラウのザックが、もぞもぞと動いている。声のする方に目をこらしながら、ゆっくりとザックに手を伸ばす。


「あぁ、警戒しなくても構いませんよ。ちゃんと臨戦態勢を整えてください。それまでは手出しはしませんから。

 万全の状態で殺しますから」


 殺す、と軽率に口にするその声は落ち着き払っていた。油断させるための方便の可能性だってある。ゆっくりとザックをつかんで、横っ飛びをするようにザックに近づいて、ダンチョーを救出した。


 走る馬に乗っているところを拉致されたのだろうか。いったいどんな技術なのだろうか。偽団員ならまだあり得るのかもしれないが、だとしても、ダンチョーが反応できなかった理由がわからない。


「お久しぶりです、団長様。ダーウィンですよ。あぁ、見えませんか。明かりをつけましょう」


 破裂音がした。すると壁一面の燭台に灯がともった。


 目の前の人間は、おそらく男だ。スラリと背が高く、アヌボットよりも高そうだ。両手で腰の高さの、金属で出来ていそうな杖をついている。色の濃い、団長バンダナと同じ色をした、臙脂のロングコートが、明かりにともされている。


「さっきのわたしの質問、答えてないでしょう」

「えぇ。ドドラデニメをしたのは、わたしですよ」

「あなたの名前は知らないけど。でも、ダンチョーも反応できないスピードで、わたしたちを誘拐できた、っていうので、あなたが誰かは分かる。

 もう一人の、盗士団長」


 彼はそれには答えず、右の口角だけ、クイと上げた。


「あなたはおそらく、犬になった団長様と付き合いが長いでしょう。わたしはあいにく一日しか付き合いがなかったのでね。

 実のところ、彼の本当の名前も知らないんですよ。でも、お強いでしょう、団長様は」

「強いけど、それが?」

「それで、どこまでご存じですか」

「どこまで、っていうのは?」


 鎌をかけられている。そしてこの男は、ダンチョーの過去を知っているようだ。ついでに殺しに来ている。物騒な男だ。


 ダンチョーは本当に強い。


 八一砂漠では隊長を一人戦闘不能にしているし、パディントンにも大きな負傷を負わせていた。でも、犬の体には限界がある。今、目の前にいる男と対抗できるほどなのか。


 この男が求めている強さというのが、立ち向かってくることだとしたら、ダンチョーはまた一歩も動かないかもしれない。ダンチョーは、勝算があるときにしか動いてこなかった。


 だとしたら、わたしがやるしかない。隙をつくれば、ダンチョーは必ず加勢してくれる。


 この場を切り抜ける。わたしは静かに抜刀した。


「ゴミクズみたいな構えですね。美しくない。邪魔ですよ」


 視界から、ダーウィンと名乗った男がぼやけて、消えた。この動きは、偽団員の動きだ。やっぱり、この男、ダーウィンは、盗士団長だ。


 まったく気配も感じないけど、必ず今距離を詰めてきている。あんな一瞬でわたしたちを拉致した犯人なのだから、それくらいのスピードはあるはずだ。一瞬だけ、目の前に殺気を感じた。右下から左上へ、振り遅れないようにとにかく我武者羅にソードを切り上げた。


「反応は悪くないようですね」


 バックステップで、簡単にかわすダーウィンが目の前にいた。そしてステップした右足が床についた瞬間、その足が正面を向いていた。また飛び込んできたら危ない、と思い、もう一度ソードを振り下ろした。


「目もいい。動けるじゃないですか。びっくりだ」


 その声は後ろからだった。


 背中を守らなければ。一心不乱に、何も見ず考えず、右手でガードをしながら上半身を後ろへねじった。ダーウィンの正拳突きが飛び込んできていたけど、ちょうど防ぐことができた。でもその威力はすさまじくて、後ろに吹っ飛ばされた。


 少し痺れはあるけど、ケガはしていない。刃物を使わなかったということは、まだ殺すつもりはないのだ。何かを試している? わたしから何かの情報を引き出したい? どっちだ。


「勘もいい。試験のころから、ずいぶん成長している。いや、目覚ましい成長だ。島を一周するというのは、これほどまで人を伸ばすものなんですね」

「わたしを知っているの?」

「このトラディーで起きることはすべて知っています。王が、そこの団長様をかくまっていたことを把握しきれなかったのが残念ですが。

 ときにベル・サーヤ。強い。強くなっている」

「ありがとう、でいいのかな」

「でもわたしよりは、はるかに飛び切りゴミのように弱い」


 みぞおちに打撃が入った。いつのまに接近してきていたのか。蹴りだった。吹っ飛ぶこともできず、前かがみに体をまるめてうめくことしかできない。視界の先で、ダーウィンがザックを掲げている。モゴモゴと動いている。ダンチョーが捕まったのだ。


「楽しむことはできなさそうです。わたしは団長様を人間に戻す。そうして万全な状態で殺す。そのための情報を集めている。団長様について知っていることを話しなさい」


 人間に戻す、ってどういうこと、と聞こうとしたけど、息が止まって言葉が出ない。唾を垂らしながら、手をついて、なんとか起き上がった。


「素直に言わないのなら、まぁ、いいのですが。誰か、来てください」


 一人、どこからか男が飛んできた。どこからか突然現れるのは、偽団員だと相場が決まっている。偽団員はすぐに跪いた。


「やっぱり、盗士団長か」

「えぇ、キチンと自己紹介をしていませんでしたね。

 わたしが盗士団長の一人、ダーウィン。もう一人の団長は、ここにいる団長様」


 やっと少し息が整った。でも、悔しいけど、実力の差がありすぎる。お腹を抱えながら立ち上がった。よろめきながらだったからか、フードが脱げてしまった。


「おや、あなたの目。面白い色ですね」

「チャンクだ! こんなところに!」


 偽団員が、わたしを仇敵と思わんばかりににらんできた。そうだ、盗士は、オリジナルをせん滅するために生まれたのだった。翡翠の色の目を見て、過剰に反応してきた。


「そうか、そうか。

 盗士団長の存在というか、わたしのことは、どこかで生き残っていたチャンクから聞いたのですか。

 その生き残りに、どこで会いましたか? 混血はなかなか見つけられなくて」

「言ったら、殺すんだろう」

「そりゃあ、仕事ですからね。

 でも、正直わたしは、もっと刺激のある戦いをしたいので、もうチャンクへの興味はそこまで高くないんですよ。でも、わたしの団員たちにとっては、それだけが生きる意味なのでね」

「もし、ダンチョーの秘密と、そのチャンクの居場所、どっちかしか言わないって言ったら、どっちにする?」

「取り引きできるほどの立場にはいないんですよ、あなたは。

 あぁ、でも、今あなたは、命を惜しいとは思っていなさそうですね。それは少し厄介です。何としても、どちらも聞きたいのに」


 少しだけ運が向いてきた。


 結果的に、クイズランドと会ったことが生きている。今こうして、ダーウィンと交渉の場に立つことができそうだ。適当な情報を出してこの場を切り抜けて、アヌボットやミラウと合流しよう。


「まぁ、でも、どちらも話す気もないでしょう。アヌボットやミラウもなにか知っているでしょうから、あなたは、もう、いいです」

「ちょっと待って!」

「ゴミと交渉なんて、よく考えれば笑っちゃいますね」


 突然交渉テーブルから外された。それはそうだ。本当のことを言うとは限らないのだから。となるとどうやって隙をつくればいいのか、と考える隙も与えられぬ間に、ダーウィンは偽団員の背中に手をまわした。


「いいですか。あなたは蛇だ。もうゴミじゃないよ。蛇だ。白蛇だ。大蛇だ。目の前の女の子、あれが今日の食事だよ」


 こっちにまで聞こえる声で、恐ろしいことを言う、と思ったが、信じられないことが起きた。その男は、白い大蛇になった。


 わたしの背丈よりも大きい口をめいっぱいに開けて、飛び込んでくる。人間が動物になった。これは、魔法だ。


「ドドラデニメ!」


 どう切りかかっても、それより先に食べられてしまう。飛べ、二メートル飛べ、気合で死ぬ気で飛べ! 真上に飛び上がったわたしをギリギリ食べ損ねた大蛇は、その勢いのまま後ろの壁に激突した。


「ダーウィン!」


 叫んだけど、もう姿がない。ダンチョーを連れて逃げられてしまった。


 どうしよう、と考える間もなく、蛇は、声もあげずに、大きな尻尾をゆっくりと振っている。第二撃の突進のタイミングをはかっているようだ。深く考えている余裕はなさそうだ。


 ダンチョーを人にして、そして殺す、というダーウィンの言葉の意味はまったく分からないけれど、ダンチョーに命の危機が迫っていることは確かだ。


 アヌボットとミラウは、わたしを絶対に守ってくれると言ってくれた。それならわたしも、何度も救ってくれたダンチョーを守り通したい。


 間合いをとりながら、ソードを構えた。


「ダーウィンは何を考えているか分からないけど、とにかく褒めてもらえたでしょ、サーヤ。自信を持って」


 ◆


 サーヤとダンチョーを失ったアヌボットとミラウであったが、既にトラディーを視界にとらえており、ここから退却をすることは得策ではないと分かっていた。二人は城下町の大通りに、馬で突入した。


「やっぱり町はガラガラだなぁ!」

「有事の際は町民はラムシティに避難。ちゃんと統制できているじゃないか」


 城下町を取り囲む防衛手段がない以上、トラディーによる町民保護策というのはラムシティへの避難しかなかった。机上の空論ではあったが、本番である今回、ちゃんと機能しているようであった。


「ここまでは、俺たちの予想通りの動きだ。問題はここからだ。この城の防衛手段として、俺たちの知らない方法をとってくるはずだ」

「方策に数があるわけじゃない。それなら、無策で突っ込んでも、たいして変わらないだろう」


 無策という策があるのかは分からないが、この二日間の彼の作戦のほとんどは無策だった。それでも勢いで町への侵入を許せてしまうのだから、中央の軍事態勢の弱さが見て取れる。


 城門が開いた。功を焦るカンガロ軍と、師団長の腰巾着こと、ピース軍であった。


「おいおい、お出迎えだぜ」

「ありがたいな。開城なんてのは、一番の愚策じゃねぇか」


 この開城に最も驚いていた団長は、ジョルドとキャンビーであった。


「おい、あいつら、何をしているんだ! 加勢しろ! 数で制圧するしかない!」


 城の屋上でジョルドは叫び、キャンビーは城内へ飛んで行った。今回の戦争では頑張らずに、おいしいところだけいただこうと考えていたキャンビーにとっては大きな誤算だった。


 カンガロとしては、こうしてピースが百人の隊員を連れて加勢してくれたことが、意外で、それでいて棚ぼたものの幸運であった。


「ピース、ありがとよ。ジョルド様が無事師団長の首をとって、ここで俺たちであの二人を討ち取れば、俺はめでたく副師団長だ。

 師団長を失うお前としても、必ず良いポジションが与えられるだろう。討伐は俺がやるから、お前は、隊を三つに分けて、それから」

「命令するな!」


 ピースの大声に、カンガロの表情は固まった。


「えこひいきの抜擢だから、団長であることに引け目があるとでも思ったか?

 地位は人を作る。ぼくは、生半可な気持ちで団長をやっていない! 団長に見出してくれた師団長を、必ず守る。

 ぼくがあの二人を討伐する!」


 ピースの指揮を合図に、ピース軍が一番に先駆けてきた。


「おい! ピースが来たぞ! 楽勝だ! 一回退いて、隊列を縦に伸ばそう」

「常套手段だな。でもよぉ、城門が開いているのは、絶好のチャンスだぜ」

「二軍隊合わせて二百人はいるのにか?」

「ミラウ、ドドラデニメで全部鳥にしろよ。お前の論理みたいにビュンビュン飛ばそうぜ」


 冗談を言うアヌボットも、さすがにこのまま城門へ突っ込むのは得策ではないと分かっているようで、一旦退く手段をとった。


「つかず、離れずの距離で退くぞ」


 馬の方向を変えて、二人は城門と逆方向に駆け始めた。


 そのころ、駆け降りていったキャンビーに残されたジョルドは、城門からピースが打って出るところを見ていた。


「あいつ、余計なことを! あくまで無駄に衝突して、疲弊して、この国中に、メルボネの無能さを知らしめることが大事だっていうのに! ピースごときが!」


 手すりを叩きつけて、だれも聞いていないと思っているのか、大声で怒りをぶちまけるジョルドの背後に、三人の影が現れた。


「どうした、お前たち。持ち場に戻れ。大丈夫だ、俺たちの軍は前線には立たないから、それっぽく槍を構えて城中で待っていればいい」

「なぜ、ピース様が飛び出したか分かりますか」

「あん? なんだ急に。そんなの、あいつがえこひいきでメルボネから団長に登用されたからだよ。メルボネにとっては、あいつしか味方がいないからな」

「かつて、あなたは仰っていましたよね。メルボネ様は自分の軍を持たない、いつでも殺せる、と」

「だからなんだよ、一体! 当たり前だろ! お前たちが俺の軍になったから、あいつには一人も直轄軍はいない! なんでそれを今さら確認するんだ!」

「あなたの軍も、いないということですよ」


 嘘だろ、俺は次の師団長だぜ、と、ジョルドは数歩後ずさりした。


「団長に、歯向かうのか? 三人で?」

「百人だよ。思い上がりナルシストが」


 ジョルド軍、いやメルボネ軍総員が、屋上に詰め掛けていた。


 ◆


 何度も突進を重ねてくる大蛇には、スタミナという概念がないのかもしれない。


 逆に、二度、三度大きく飛んでいるだけでも、わたしは集中力と体力が削られていく。


 もしこの変身が、ダーウィンによるドドラデニメによるものだとしたら。ダンチョーがずっと犬のままということを考えれば、少なからず、すぐに効果が切れて人間に戻る、というものではない。


 そして、ダンチョーのことを考えると、自我は保っているし、その上で、しっぽを振ったり、鼻がきいたりと、その動物の特徴を得て、機敏に動けるはずだ。


 でもこの大蛇は、あまりに恐ろしい突進を繰り返してくるとはいえ、動きが単調だ。ダンチョーとは大違いだ。変身したてならこういうものなのか、あるいは、ダーウィンの魔法だからなのか。いや、ダンチョーが団長だから、なのか。


 あの長いしっぽで巻きつかれたら、絶対に逃げられない。締め付けられた時点で、骨が折られるだろう。それだけの知能があるかは分からないけど、それに気づかれる前に仕留めなければならない。


 今度は太くたくましいしっぽで、床をガリガリと削るように薙ぎ払ってきた。新たな動きだ。


 これもギリギリ飛び越えられる、と大きくジャンプをした。隙の大きい一撃だったようで、蛇はバランスを崩した。チャンスだ。一瞬で間合いをつめて、ソードを振りかぶりながら飛び上がり、首元に狙いを定めた。


 あの太い首を一撃で切り落とせるだろうか。いや、自分を信じろ。アヌボットに、レンジャーに、指南されたじゃないか。わたしは強くなっている。必ずできる。


 でも、この蛇は、元々人間だ。


 思えば、城中で会った偽団員も、パディントンも、ウロンゴロンも、クイズランドも、結果的にはわたしはこの拳で殴りつけたにすぎない。真剣で人の命を奪ったことなんてない。わたしにできるだろうか。隊員を目指すなら、迷わず切るべきなのに。


『少しでも、殺そうと思ったのなら、それは殺すべきなんだよ』


 アヌボットの言葉を思い出す。


 この蛇は、わたしを殺そうとしてくる。こいつにとって、わたしは始末するべきなのだ。そんな蛇を、生かしておいたら、どうなるか。そうか。一瞬でも殺意が沸いたり、殺さないといけない理由がある相手を、生かしておくことは、わたしだけじゃない、たくさんの命を守れなくなることになる。


 隊員だから、とか、そんなことは関係ない。切るべきなら、切るべきだ。


「わたしは、何者でもない。ベル・サーヤ」


 全体重をかけて、叩き切った。


 ◆


「ピース、強いじゃねぇか」


 ピース軍の統率は非常によくとれていた。軍隊とよくコミュニケーションをとってきたのだろう。二人を城下町に追いやってから、町の外までは逃がさないように、的確に回り込んできた。そのたびに進路を変えて、馬の疲労も限界になろうとしていた。


 そのころ城門では、キャンビーが飛んできてカンガロの目前に迫り、胸倉を掴んでいた。


「お前、どういうつもりだ! 作戦を無視する行為で、副師団長になんてなれると思っているのか?」

「なにが作戦だ。籠城したら勝てると思っているのか」

「負けないだろ! なのにお前は」

「負けるんだよ、この戦いは」


 先ほどまでの、成り上がるために躍起になっていたカンガロは、既にいなくなっていた。そして突然、キャンビーの首元にナイフが突き立てられていた。いつの間にか、彼は隊員の一人から、後ろから手を回されていた。


「隊員のくせに、お前はなんのつもりだ!」


 キャンビーはすぐに振りほどこうとしたが、あまりの力強さにまったく動けない。動けなさすぎる。キャンビーもさすがに団長なので、これがただの隊員ではないということは分かった。


「キャンビーさん。降伏だよ」


 それは、隊員に紛れてこんでいたレンジャーだった。レンジャーは開城の瞬間を見て、形勢が変わると判断して、すでにカンガロを脅して調略していた。


「ピースさんの暴走は想定外だった。でも、カンガロさんはもうこっち側。今から、カンガロさんの軍を二つに分けて、ピース軍を挟み撃ちにする。なんとか彼を降伏に持ち込む。

 キャンビーさんは、解放したアヌボットさんとミラウさんの軍と一緒に、城内のジョルドさんの軍と衝突してね。三軍で攻めれば、降伏に持ち込めるでしょう」

「お前、本気で言っているのか」

「本気ですよ。このまま長期戦をしたら、被害者があまりに出すぎますから。それなら、ここで師団長側を一気に叩く方が、生き残る人が多いですからね。

 あぁ、ジョルドさんがいたら、ぼくがタイマンしますからね。安心してください」


 キャンビーは、視線だけ上に向けた。城の屋上から、この城門のあたりは見えているだろうが、一人ひとりでこうしたいざこざが起きているのは、ジョルドには分からないだろう。


「ジョルドさんは、来ないですよ」

「見えないなら、ここで裏切っても、バレないな」


 カンガロも続けざまに、キャンビーを諭した。


「このまま師団長側が勝てば、俺たちも取り立てられるだろう。

 だがこの計画には欠点があった。レンジャーをこちらにつけておくべきだった」

「そのうちに、パディさんたちが、ぼくの軍も連れてやって来ますから。それだけの戦力差なら、降伏に持ち込めるでしょう」


 パディントンが来る、といのはブラフだった。カンガロとキャンビーを本気にさせるための方便だった。それにしても、やけに降伏にこだわるな、とキャンビーは漏らした。


「アヌボットさんたちは考えていないでしょうけど、冷静に考えて、トラディーとして軍勢を失うのは惜しいですから。あくまで、師団長を排するだけ。

 あ、あと、ジョルドさんとはやり合いたいので、それだけですよ」


 カンガロとキャンビーは、レンジャーがでっち上げる戦力の膨大さの前に、師団長側の勝利を諦めて従うしかなかった。


 こうして城外では政治戦争が起きている一方で、城内ではサーヤが肉弾戦を続けている。


 ◆


 返り血が目立たないのは、黒のマントにしていて良かったと思う。負傷もしていない。体力は使ったけど、成果は上々だ。チャンク城のときのように、壁に沿うような螺旋階段が見える。急いで上ることにした。


 ここはやはり地下室だったようだ。城内に、あんな場所があったのか。もしかしたら、盗士の存在がずっと噂レベルで済んでいた秘密が、あの地下広間だったのかもしれない。


 階段の終わりとともに、ドアが見えた。これを開ければ城内のどこかに出られるだろう。


 でも、もしかしたらダーウィンか、あるいは盗士がドアのすぐ前で待ち構えているかもしれない。仮に待機させているとしたら、わたしがあの蛇に勝てる可能性を考えているということだ。


 そこまでわたしを買いかぶっているだろうか。


 ふう、と息をついた。今、本能がたぎっている。血が全身を駆け巡っているけれど、体温は上がっていない。冷静だ。たいていのことなら、何が起きても対応できる。


 集中どころだぞ、とドアを蹴飛ばした。


 視界の目の前を横切るように、黒い影が飛び込んできた。盗士だった。


 すでに最上段に構えていたわたしは、飛び込んでくる瞬間に思い切りソードを振り下ろした。背中に、真横に切り傷をくらって、偽団員は仰向けに叫びながら苦しんでいた。


 今はダンチョーはいない。わたしが、ちゃんとしないと。シームレスに、とどめを差した。


 さて、ここはどこだ。城のどこに出たのか。


 給仕のアルバイトをしたときのことを必死に思い出す。多分だけど、城内の一階か二階だろう。


 ダーウィンを探し出さないといけないけれど、まだ城内にいるかどうか分からない。一旦、王様に会う方がいいだろうか。盗士はまだ潜んでいるかもしれない。音をなるべく抑えながら、通路を進んだ。


「何をしている! ダーウィン!」


 大きな声が聞こえる。聞き覚えのない声だけど、聞き覚えのある名前だ。近い。この距離なら、走らなくても大丈夫だろう。可能な限り音を消した。


「勝手なことをして! 既に城は大騒ぎだ! お前はわたしのそばに控えていなければならない、それくらい分かるだろう! おまけに、なんだそのモゾモゾ動いている袋は!」


 声が近い。廊下のつきあたりを曲がったところだろう。ソードを鏡のようにつかって、角を曲がった先の状況を確認する。血が邪魔だ。マントで軽く拭いて、確認した。


 あの後姿は、ダーウィンだ。そしてこちら側を向いて、すごい剣幕で怒鳴っているのは、この距離で見るのは初めてだけど、師団長だ。


 ダーウィンが携えているザックの中でモゴモゴしているダンチョーは、おそらく逃げようと思えば逃げられる気がする。でも、わたしは知っている。ダンチョーは、確実に勝てるとわかっているときにしか動かない。


 今逃げ出すこととのリスクを比較して、まだ逃げ出さないのだろう。


 大丈夫、ダンチョー。形勢を変えるから。


「血生ぐさい! なんだ、この臭いは!」


 師団長の叫ぶ声が聞こえた。でもそれより先にわたしは動いていた。


 たたき切って、ずっと引きずってきていた白蛇のしっぽを、両手で抱えて思い切りぶん投げていた。


 絨毯を引きずるように破りながら、重量感のあるしっぽは床を這いながら飛んでいく。


 ダーウィンは師団長を抱えて飛び上がった。察しがいいね。これくらい、かわされるのは想定内だ。


 空中に浮いたダーウィンをめがけて、今度はさっき仕留めた盗士をぶん投げた。使えるものは、すべて使う。見栄え良く勝つのが目的じゃないから。


「持っていて」


 ダーウィンの声が聞こえた気がした。


 そうだよね、大事な袋だもんね。師団長を守りながら、片手でかわし切れるような、そんなやわな連続攻撃じゃないもんね。傷つけないように、師団長なり、近くの人間に渡すよね。


 ねぇ、ダンチョー。ダーウィンじゃないなら、逃げる算段がつくよね。


 ナイフをくわえたダンチョーがザックを縦に切り裂いて、飛び出した。ダンチョーは師団長を蹴飛ばして、こっちに飛んできた。


「初めて、助けたね」


 クン、と少し鳴いたダンチョーは、ナイフをくわえたまま、四つの足で真っ赤な絨毯を踏みしめた。


「なんだあの犬! おい、ダーウィン、どういうことだ!」

「ドドラデニメ、ご存知ですか」

「なんだ、それは?」

「では、いいです。下がっていてください。彼が、一番の脅威なんですから。

 いやぁ、しかし」


 ダーウィンは真っ赤なコートをばさりと払った。その瞬間、後ろにいたはずの師団長が消えた。


「ベル・サーヤ。大蛇といい、見張りといい。盗士を二人続けざまに殺したんですね。

 素晴らしい。いや、おだてているのではない。心からそう思う。ゴミと言ったことを撤回します。美しいとはまだ言えませんがね」


 褒めてくれてありがとうね、と言いながら、ゆっくりソードを抜いた。


「あなたに発現した翡翠の目が、内なる力を呼び覚ましている。それが急激な成長を呼び起こしたのでしょう」


 少し、楽しめそうですね、と白い歯を見せたダーウィンだけど、わたしはそんな推測に何とも思わない。


「今、わたしは人生で一番血がたぎっている。それが理由だ」


 ◆


 追いつめてくるピース軍をいなす二人であったが、馬の疲れはピークに達しようとしていた。


「アヌボット先生、そろそろ逃げるのは限界だぜ」

「大回りして、城門に向かうかぁ」

「まだ開けてくれているかな」


 のんきに話しながら十字路の角を曲がり、再度城の方角へ向かいだした。


「おお、この路地にも兵を構えたか。マジでやるじゃねぇか、ピース!」


 角で二人のピース軍がアヌボットへ長い槍を突いてきたが、一本は払いのけ、一本は右手で柄を掴み、ぶん取った。


「まぁ、少ない手勢をちょこちょこ置いても、俺たちは止められない。もうちょっとだなぁ、ピースくんよ」

「そのもうちょっとは、ぼくが埋めますから」


 真横の路地から飛び込んできた馬には、ピースが乗っていた。


 ソードで切りかかられ、アヌボットは慌てて槍の柄で受けた。乗馬中は、アヌボット四千のような大刀は振り回せない。槍は、片手で振り回して、進路を確保する分には便利ではあるものの、ピースを迎え撃つには長すぎた。


「ミラウ! なんとかしろ!」


 ミラウも同様に槍をぶんどり、少し後ろからピースに向かって突きをした。しかしそれもピースは必死に受けた。二団長の攻撃を耐えて、むしろ苦しめている。立派な団長の姿であった。


「ピース! メルボネについて何になるんだ!」

「裏切者に話す義理はない!」


 師団長にとっては、駒づくりのための登用だったかもしれないが、団長に選ばれた本人、ピースの喜びようは例えようがなかった。


 両親に、まだ幼い我が子に、祝福を求め、抱き合った。


 身分不相応なのは分かり切っていた。それでも、指名してくれたメルボネに恥をかかせないように、と、必死に鍛錬して、隊員の統率をはかった。


 ピースは、この戦いに、自身の人生だけでなく、師団長への思いも背負って臨んでいた。


 城門の方向へ向かっているとは言え、おそらくこのまま進めば、ピースからの攻撃を受けながら、敵が多数待つ城門前にたどり着いてしまう。それはあまりにも危険だった。


「よく分かったぜ、ピース。お前にとっちゃ、俺たちは悪者なんだな」


 アヌボットは、その槍で、ピースの馬の脚を薙ぎ払った。それだけで、十分だった。背後で、地面に叩きつけられ、転げまわるピースの叫び声が聞こえた。


「悪者の典型例みたいな攻撃だったな」

「見栄えよく勝つなんて、本気でかかってくる奴には無理さ。まぁ、あのスピードだ、死にはしないだろうから、また追ってくるかもしれねぇ。急ごう。

 見ろ! 門はまだ開いているぜ!」


 あと一分だ、ひと踏ん張りしてくれ、とアヌボットは馬の首をなでた。


 そのころ、一命をとりとめた砂まみれのピースは、うつぶせになりながら、折れた右腕で地面を叩きつけた。


 その痛みと、まったく敵わなかった悔しさと、師団長への無念に、下唇を血が出るほど噛みながら泣いた。


「ジョルドも、カンガロもキャンビーも。アヌボットもミラウも。レンジャーもパディントンも。なんで誰も、師団長を守らないんだ」


 今、この国の軍事制度が崩壊しようとしている。当然、ピースのように、あるいはメルボネのように、現状維持を望む者もいる。だが、再生には、一度すべてを壊さなければならない。

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