第72話 油の木 3

「そんな事ってある!? そんならあたしが話をつけに行ってやる! それでも話が通じないってんならひっぱたいてやる!」

 スンニがそう言って地団太を踏んだ。

「よせと言ってるだろう。これを決めてるのは村長じゃねえ。村長だって命じられてやってるんだ」

 ラドゥは腕組みしたまま興奮する妹を制した。

「命じるって誰が?」

「カサン帝国がだ」

「カサン帝国の一体誰よ」

「誰かは分からん」

「分からんなんて、そんな事ある!? 村長は一体誰の命令を受けたのよ!」

「そんな事詮索してもどうにもならん。村長や役人に命令した人もまたもっと偉い誰かに命令されている」

「じゃあどうすればいいのよ!」

 スンニは兄に似た太く逞しい腕で柱を叩いた。

「分からん……どうしたらいいのか分からん」

 ラドゥは腕を組んだまま呻いた。かつては「妖人の学校で勉強した半分妖人の若造」と周りから罵られてきたラドゥだったが、今ではその知識ゆえに周りの信頼を得て村人を引っ張る立場にある。そんな自分が「分からん」などと言って腕組みなどしていて良いわけがない。

「今、ちょっと思いついた事がある……一緒に勉強した仲間の中で、カサン語の抜群に出来る男がいる。彼の言葉は人の心を動かす」

「マルね!」

「彼は今、カサン帝国の首都のトアンという所で彼にこの事を書いてもらい、周りの人達に配ってもらう。そうしたら、カサン帝国の権力者の目に留まるかもしれねえ。勿論マルだけに頼るわけにはいかねえ。おら達はおら達で出来る事をしっかりやっていく。つまりこれまで通り米を作り続けるんだ。そうすりゃそれを邪魔したりやめさせようとする人がやって来る。そういう人達を片っ端に説得するんだ。大丈夫だ。我々には言葉がある。カサン人は頭がいい。説明すれば分かってくれるはずだ」

 ラドゥはそう言って周りの農民達の顔をサッと見回した。

「カサン人が我々の話なんか聞いてくれるか?」

「どうせ聞き入れてもらえないと諦めて口を閉ざすのが一番良くねえ。人はみんな耳を持って生まれてくる。我々の言葉を聞かねえなら人でなしだ」

 ラドゥの言葉を聞き、そこに揃った者は張り詰めた面持ちで頷き交わした。

 農民達は、その翌日も、そのまた次の日もひたすらに田んぼを耕し続けた。

 しかし、彼らはある朝、ついに驚くべき光景を目の当たりにする事となった。

 その朝、村で一番早起きのニカソが大声で村の者を起こした。

「大変だ! 大変だ! みんな起きろ! 妖人どもが田んぼをひっかきまわしてる!」

 ラドゥは飛び起きて、高床式の家の梯子段を転がるように駆け下りた。ラドゥの家のある小高い丘から見下ろした田んぼには、黒々とした大勢の人々が田んぼをひっかき回す如く蠢いている。一目で妖人と分かるような、みすぼらしい格好をした人々だった。足を引きずっている者やマルのようにイボだらけの者もいる。恐らく遠くから集められたのだろう。誰一人見知った顔は無かった。よく見ると彼らは田んぼの中に次々土を運び込んでいるのだ。

 そこにいるのは妖人達だけではなかった。田んぼをぐるりと、馬に乗ったカサン人の兵士が取り囲んでいる。彼らの背中の銃の先がチカッチカッと鋭い光を放っている。

 駆け付けた農民達のうちある者は涙を流して地面に崩れ落ち、ある者は地団太を踏んだ。

「畜生! この汚らわしい妖人ども! 俺らの土地を汚すなーー!」

「よせ! ニカソ! 彼らは命じられてやってるんだ!」

 ラドゥは今にも田んぼの中に走り出そうとする仲間の肩を掴んで制止した。鋭い銃声が空気を貫いた。カサン兵が空に向かって発砲したのだ。怒りの声を上げていた農民達は、その瞬間、口に泥を押し込められたように言葉を失った。しかしそれでも漏れる嗚咽が低く響いた。皆が崩れ落ち、地面に膝を付いている。ラドゥだけは崩れる事無く、しっかり地面を踏みしめて立っていた。まるで自分の身体が、大地から生える一本の樹木になったかのように。しかし、この土地に根を張ってきた身体までもが切り離されようとしている。ラドゥはそう感じた。高く昇るにつれて次第に熱を帯びてくる太陽の光が、いつもにも増してラドゥの身体を押しつぶすかのように重かった。

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