第71話 油の木 2

 翌朝、ラドゥは地主で村長でもあるシュヴァンカイン家の門の前に立ち、人が現れるのを待った。使用人が姿を見せると、大きな声で呼び止めた。

「小作人のラドゥです! 旦那に話があって来ました!」

 初老の使用人の男は、長年この家に仕えているラドゥの見知った男だった。彼はラドゥを見て頷き、屋敷の中に姿を消した。しばらくして再び姿を現すと、ラドゥに中に入るようにと促した。

 梯子段を上がり足を踏み入れた家の中は広々としていた。床には茣蓙ではなくもっとふかふかとした柔らかい敷物が敷いてある。壁に掛けられた掛け軸や部屋の隅に置かれた壺はどれもカサン風だった。

 広々とした部屋の真ん中には椅子とテーブルがあり、二人の男がいた。そのうちの一人が村長だ。立ち上がるとスラリと背が高い。彼はラドゥの方に歩み寄って来た。

「そこに座りなさい」

 村長は空いている椅子をラドゥに勧めた。もう一人の椅子に腰掛けている男は役人のバイラフティという人物だ。

 村長はラドゥと向かい合う形に、椅子に腰かけた。ラドゥは村長の、息子のエルメライとよく似たやや神経質な顔をまっすぐに見据えた。

「ラドゥか。君とは一度じっくり話をしたいと思っていた。村のために相当頑張ってくれているようじゃないか。さすがはオモ・ヒサリ先生の教え子だ。息子のエルメライは今もハン・マレン君と手紙のやり取りをしているようだ」

 ラドゥはその言葉を聞いて少し驚くと同時に、ああなるほど、あの人懐こいマルなら村長の息子とも打ち解け仲良くなるだろう、と思った。

「ラドゥよ、君には期待している。君が中心となって、ここの土地を油の木の畑に転換するのを推し進めてくれ。簡単な事ではないが、間違いなく村は豊になり人々の生活は向上する」

「その事ですが……」

 ラドゥは村長の目をまっすぐ見据えて言った。

「私は田んぼをつぶして油の木の畑にするのは反対です」

「何!? 君は協力出来んと言うのかね?」

「はい。この土地に油の木は合いません。ここの土地は確かに村長様のもんです。でも耕してるのはおら達ですから、それがよく分かっとります」

「あの優秀なオモ先生から学んだ君がそんな事を言うのかね? まさか君も、一部の農民が言うようにこの土地に油の木を植えたら土地の神が祟るとか悪い妖怪が憑くなどという迷信を信じているのではあるまいな」

「旦那様、私も、妖怪に触れたら穢れるだの、くだらねえ迷信を信じてるわけじゃねえんです。ただ、我々は土地の神様に対する恐れってものを持たなきゃならんと思っております」

 村長は顔を引き締めたまま、じっとラドゥの顔を見返していた。

「君がラドゥ君かね」

 村長の横に座っている役人バイラフティも口を開いた。

「君達や我々は、この事に関して決める立場には無い。この決定は覆す事が出来ない。これはカサン帝国が決めた事だ」

「え!」

 ラドゥは息を飲んだ。

「そうなのだ。これはカサン帝国が我々に命じた事だ。だからこの決定を覆す事は出来んのだよ」

 村長も、じっとラドゥの目を見据えながら言った。

「カサン帝国の、一体だれがこんな命令を出したんです? どこの誰が決めたにせよ、おら達以上にここの土地の事が分かってるはずありません!」

「我々は『物事を決める』という立場には無い。上が決めた事の中で精いっぱいの成果を出すのが我々の務めだ」

「そうだ。ラドゥ、君はそのために農民たちの力を束ねる事が出来る男だと思っていたのだが」

 村長と役人が次々言うのを聞きながら、ラドゥの胸の中では様々な思いが渦巻いていた。ラドゥはこれまで、村長様の事を強大な力を持つ存在だと思っていた。それなのに、その村長が「自分は何も決められない」などと言うとは! それでは我々小作人と変わらないじゃないか。ラドゥは村長を説得するために様々な言葉を用意してここに来た。しかし「我々は決める立場にない」という言葉を前に、それらはみな脆くも崩れ落ちてゆく。しかし、だからといってこのまま引き下がるわけにはいかない。

「カサン帝国の一体誰がこんな事を……」

「ただ『上からの命令』、という事しか分からない。もともと誰の命令か、などという事は私のような下っ端役人には知らされない。カサン軍かもしれないしカサン皇帝かもしれん。あるいはアジェンナ総督府の思い付きかもしれん。ただそういう事を詮索しても仕方が無い。ただ国家を強大にするには油を増産しなければならず、この地区がそれに割り当てられたという事だ。我々はただ上からの命令を粛々とこなすより他無いのだ」

 小柄な色黒の役人の言葉を聞きながら、ラドゥは絶望的な気持ちにかられた。これまでも小作人の要求を通すために様々な話し合いを重ねてきた。しかしそれは相手があって出来る事だ。「上からの命令」などと突っぱねられたら、この要求は一体どこに持って行けば良いのか。

「ラドゥよ、この計画は迅速に進めなければならん。カサン帝国はこれ以上待ってはくれない。頑迷な農民達をただちに説得するのだ。たとえ時間がかかり困難が伴おうとも、この国と地域を豊かにするには必要な事だ。今この村に求められるのは改革だ。全てを変えなければこの地域の遅れと停滞は永遠に変わらん。分かるね」

 ラドゥは、息子エルメライを髣髴とさせる村長の端正でやや神経質そうな顔を言葉も無く見返し、そして重く頭を垂れた。

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