第59話 あの人が暮らす街 2
マルが地図を頼りにタガタイ大学にたどり着いたのは、いくらか弱まった太陽の光がタガタイの町にこの日最後の光を投げかけている頃であった。
どこか寒々としたレンガ造りの建物を見上げていたその時だった。
「マレン先輩! マレン先輩!」
聞き覚えのある声に、マルはハッとして振り返った。薄暗がりの中に立っていたのはなんと、タガタイ第一高等学校の寮で同じ部屋に入っていた後輩のコイ・タイではないか!
アジュ人らしい浅黒い肌を持つほっそりした彼の体は、夕暮れの中に紛れてしまいそうだった。声をかけられなかったら気付く事もなかっただろう。成績優秀なこの後輩は、タガタイ大学に入学したとしばらく前にマルに手紙を送ってよこしていた。
「小学校時代の先生が病気になられたというんで来たんだけど、ついでだからここに寄ってみたんだ。友達もいるもんだから」
「友達は寮生ですか? 寮はこっちです」
マルはコイ・タイの後について歩いた。
「いやあ、君に会えて本当に良かった! 元気にしてるかい?」
「ええ、まあ。先輩こそどうですか? トアンの生活の事、もっと聞きたいです」
コイ・タイはもともと口数が少なく、自分の事はほとんど喋らない生徒だったが、それは今も変わらないようだった。
コイ・タイに案内されてたどりついた建物の門の前に、守衛の男が立っていた。コイ・タイはマルの方を振り返って
「身分証明書を」
と言ったので、マルは学生証を取り出して守衛に見せた。
「トアン帝国大学!? 君はトアン帝国大学の学生なのか!?」
守衛は明らかに驚いた様子で、マルの顔と学生証を交互に何度も見た。
「はい。あのう、エルメライ……いいえ、えっと……ネイ・ワンの部屋はどちらですか?」
マルはようやくエルメライのカサン名を思い出して尋ねた。建物の中に入り、階段を上がり、教えてもらった部屋の来てドアをノックした。
「エルメライ! いるかい? ハン・マレンだよ!
扉がサッと開いた。久しぶりに見るエルメライの顔はパッと明かりが灯ったような表情を浮かべた。
「ハン・マレンじゃないか! 何の予告もなく唐突なんて! もし十日前にでも知らせてくれたら、俺はまるまる十日間幸せに過ごせたろうに! 俺に会いにわざわざトアンからここまで来たのかい? ……と思いたいけど、勿論そんなはずないよな?」
エルメライは冗談めかして言った。
「一体どういう風の吹き回しでタガタイへ?」
「実は小学校の時の先生が病気になられて……」
「あのオモ・ヒサリ先生かい? まだ若いのに。それで、もう会ったのか?」
「実は会う事が出来なくて……」
「なに? それは心配だな。まあいい。後でじっくり話を聞こう。近くにいいレストランがあるから行ってみないか」
「うん。彼も一緒でいいかい? 高等学校で一緒の部屋だった後輩なんだ」
マルはその時、エルメライの顔が一瞬曇ったのに気付いた。彼は自分と一対一で話がしたかったのだろう。しかし彼はすぐに笑顔を見せて言った。
「そうかい。君もタガタイ第一高等学校の卒業生かい。それはいいね。一緒に行こう」
そう言うなり彼は部屋に戻り、洒落た帽子と上着を身に付けて颯爽と歩き出した。
(エルメライはハンサムだからなあ。さぞかし女性にもてるだろうな……)
その後ろ姿を見ながらマルは思った。しかしマルは彼の誰にも言えない秘密を知っている。彼は、女性には全く興味が無い。その一方で、マルに対し単なる友情とは違う種類の感情を抱いている、という事も。
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