第53話 お金を稼ぐ 6
ショーが始まってもしばらく呼び込みを続けていたが、やがて座長がやって来てマルの肩を叩いた。
「入っていいよ。もう十分客は入ったよ。それにしてもあんたの声はよく通るねえ。何だか歌うみたいな奇妙な呼び込みだったけど、客が入ったからいいや」
マルは客席の脇にしゃがみ込むと、舞台の端で太鼓を打っているトアン大学の「革命家」にじっと目を凝らした。温厚そうで、暴力ざたを起こしそうな男には見えない。マルは時々舞台に視線を向けつつ、舞台から漏れて来る明かりを頼りに明日までに提出しなければならないレポートを膝の上で書いた。
ショーが終わると、座長の指示に従って舞台や客席のごみを拾い、箒で掃き、座席を拭いた。
後片付けが終わり、舞台裏の部屋で客からの差し入れの菓子とお茶を分けてもらって口にしながらようやく一息ついた。その時マルの前に茶色い封筒が差し出された。
「今日のお駄賃。ほとんど呼び込みの分だよ。掃除なんてまるでなっちゃいないんだから」
マルはいくらかがっかりした。タガタイ第一高等学校で鍛えられ、いくらかシャキシャキした人間になったつもりでいたのに、全然そんな事は無かったらしい。封筒を開けて中を見ると、思ったより多くの金額が入っていた。ヒサリ先生に会いに行く船賃は案外早く貯まりそうだ。ただし学費や下宿代の事を考えると、なかなか厳しい。一日の疲れが全身の毛穴から溢れ出した。
「君が噂の新入り君だね」
マルに声をかけてきたのは、舞台で太鼓を叩いていたトアン大学の学生だという青年だった。
「君は外国人だね」
「カサン帝国人です。外地のアジェンナ出身です」
「ふうん。しかしまあ、なんでこんな所で働こうと思ったのかい?」
「お金が稼げると聞いたもんですから。アジェンナにも、ここと似たような所があって、よく足を運んだものです」
「へえ、それはなかなか興味深いね」
相手は頷きながら言い、紙煙草を取り出し火を点けた。そのまま彼は黙って煙草を吸っていた。マルは彼にいろいろ尋ねたい事があったが、彼は自分から積極的に話すタイプでは無いようだった。彼に質問をあれこれするのも失礼かと思い、マルはまず自分の事を話した。
「リュン殿下青年学術協会から奨学金をもらって勉強していたんですが、打ち切りになっちゃったんです。それでどうしてもお金を稼がないといけなくなって」
「そりゃまたどうして?」
「軍艦ヤシャクについて私が書いた詩が、どうも協会の運営者の気に入らなかったみたいなんです」
「へえ、君、もしかして反戦的な詩でも書いて提出したのかい?」
「いいえ、とんでもない!」
マルは慌てて否定した。「反戦的」。これは軍事大国であるカサンにおいては最も忌み嫌われる言葉だ。カサンの男はみな軍人に憧れて強くなり、軍需産業はカサンを豊にしている。己の身を犠牲にしても国を守るために戦う軍人の姿勢は国の模範とされる。そして「反戦的」であるという事は「弱虫」や「卑怯者」と同じ意味を持つ。でも、マルはなんとなく、相手の言う「反戦的」という言葉にそのような忌まわしい響きを感じなかった。
「私はただ、自分の胸に浮かぶ言葉を書いたんです。反戦的な物を書く気は少しも。戦艦ヤシャクは勇敢に戦おうとしますが、撃沈されてしまいます」
「おいおい! やらかしたな! そんなのダメに決まってるだろう。軍艦ヤシャクは絶対に沈まない事になってるんだ!」
相手は呆れたように言った。
「そうみたいだですね。聞こえたまま、心に浮かんだままの言葉を書いちゃいけない。それがこの度の件でよく分かりました。でもそうなると私は何も書けない」
「いいかい。今のカサン帝国で求められてるのはプロパガンダだよ。芸術ではない。そう割り切って書くしかないのさ」
「プロパガンダ……私はそういう物がどうしても書けないんです」
「真の芸術とは、案外こういった場末の、いかにもごみごみした場所にあるものさ」
それを聞いたとたん、マルは思わず膝を叩いた。
「そうですね! 本当にそう思います! 私の故郷の見世物小屋の踊り子は、本当に素晴らしかったです! あんな風に踊るのはとても無理だけど、私ももっとダンスという芸術に触れたくなりました。もうちょっと頑張ってみようと思います!」
「いいや、あんたは踊らなくていい」
座長が口を挟んだ。
「あんたの踊りを見たらみんな怒り出すよ。それよりもコメディーショーに出てみないかい? 彼が脚本を書いたんだよ。ほら、ちょうどアジェンナ人の役が出て来るじゃないか。あれをやらせてみようよ。彼に台本を渡してやりな。明日まで台詞を覚えておいで」
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