第50話 お金を稼ぐ 3

 マルはテセ・オクムと別れ、酔って少しふらふらした足取りで通りに出るやいなや、オート三輪を呼び止めた。乗り込むと即座に運転手に告げた。

「運転手さん、どうか私を『悪所』へ連れてって下さい!」

 運転手はプッと噴出すと同時に大きなハンドルにごちんと体をぶつけた。

「おやおや、お客さん、あんた外国人かい? 『悪所』の意味、分かってる?」

「分かってます。どうか連れてってください!」

 きっぱりと言うマルの頭からすでに大学に払わなければならい学費の事など消え失せていた。マルの胸にあるのは一刻も早く旅費を稼いでアジェンナ国の首都タガタイのヒサリ先生に会いに行く、という事だった。

「あんたみたいな子が悪所をうろついてたら、たちまち食われちまうよ!」

「悪所には人を食べる妖怪でもいるんですか!?」

「何だって? 妖怪!? あんた面白い事言うねえ」

 ボロのオート三輪がしばらくガタガタ大きく揺れながらたどり着いたのは、既に日が暮れた後だというのにまるで昼間のように明るい場所だった。明るいのは石畳の道の両脇にずらっと並んだ街灯のせいである。隙間なく立ち並んだ石造りの建物の前には、どこも吸血鬼のような女が数人立っている。マルは一瞬ギョッとしたが、よく見ると彼女らは皆、こってりと厚い化粧を施した人間だった。彼女らは通りをずるずる這ってゆく車に手を振ったり嬌声を浴びせかけたりしている。マルには見覚えがあった。彼女らは故郷のスンバ村のロロおじさんの芝居小屋にいた踊り子のミヌーの様子を思い出させた。彼女はショーがはねた後、テントの裏で男達と体を重ねていた。マルはそれに気付いたとたん、思わず自分の両手に視線を落としていた。

「ほうらお客さん、娼婦があんたに手招きしているよ。どうだい? お客さんにはちょっと刺激が強過ぎるんじゃないかい? なんなら引き返してもいいぞ」

「いいえ、大丈夫です」

 マルは自分に言い聞かせた。考えてみれば故郷で共に学校に通ったミヌーもああして自分でお金を稼いでいるんじゃないか。何も驚くような事じゃない。マルはオート三輪から降りると、店の前で自分に手招きする一人の女性に向かってまっすぐ歩いて行った。

「あーらお兄さん! あなたこういう所来るの初めてじゃない? 見れば分かるわよ! お姉さん達がいろいろいい事教えてあげるわよ!」

 吸血鬼めいた扮装の下から白蛇のような腕が現れ、マルの肩にスルリと巻き付いた。

「すみません。私、お金持ってないんです。ここにはアルバイトを探しに来たんです。どこか働ける場所を知りませんか?」

「男ならあっちだよ! ほら、紫の看板が見えるでしょ。でも悪い事言わない。やめた方がいいわよ。あんたみたいな純粋な子が穢れてしまう」

(穢れる……?)

 マルはその言葉を自分の中で反芻する。

(なに、自分はもともと『穢れた』妖人じゃないか! ならば何も怖がる事は無い。まさにこここそ、おらが働くにぴったりの場所なわけだ!)

 紫の看板がぼんやりとした明かりに照らされたその建物の前には呼び込みをする人もおらず、一見何の建物か分からなかった。看板には「蛍男館」と書かれている。「蛍男」という言葉は、マルが初めて目にするカサン語だったが、マルの心を微かにざわめかせた。

 扉の隙間から音楽と大勢いるらしい人々の歓声が聞こえてきた。マルは扉の前で、息を詰めたまま小さな建物に充満しているざわめきに意識を集中させていた。

(ここはきっとロロおじさんの見世物小屋のような場所なんだ。おらは昔、あそこで働かないかって誘われたんだ。ここで何をやってるにせよ、おらに出来ないはずはない)

 マルはそう思いつつ、扉に手をかけた。

「ヒサリ先生……!」

 マルは思い切って扉を引いた。

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