第49話 お金を稼ぐ 2

 たどり着いたのは、瀟洒なレンガ造りのレストランだった。

中に入ると、一番奥の席でテセが一人、マルの到着を待っていた。テーブルの上には、カサンの地酒のボトルと二つのグラス。しかしその顔は厳めしく、相好を崩してマルを迎える、という風ではない。

(一体何を言われるのか)

 マルは緊張しながらテセのいるテーブルに近付いた。

「まあ、座りなさい」

「はい」

 テセはしばらくマルの顔を見詰めていたが、その視線はだんだんと、マルの足元まで下がって行った。やがてこらえていた物が溢れだすようにフッフッフッと笑い出した。マルもようやくにっこりして挨拶した。

「テセさん、久しぶりです」

「しばらく会わないうちに随分変わったねえ。さては女でも出来たか」

 マルはテセの言葉に慌てた。テセには自分が勉強などそっちのけで恋愛にうつつ抜かしているように見えるのだろうか?

「それにしても君は大人しそうに見えて随分いろいろやらかしてくれるもんだね」

「申し訳ありません」

 マルは項垂れたが、再び顔を上げた。そしてテセの顔をまっすぐに見詰めた。

「でも私にはどうしてこういう事になったのか……つまり私がなぜ反カサン的思想の持主だと言われるのかまるで分からないんです。カサンの全てが好き、とは言いません。けれども私はカサンの人々と文化を愛しています」

「わしは分かってるぞ。君の書く物は全てカサンへの愛に溢れている事はな。だから軍艦ヤシャクの詩も、どういう考えであのような不吉な物を書く気になったかは分からんが、君の帝国の行く末を案じる気持ちから出たものかもしれぬと、わしは解釈している」

「軍艦ヤシャクの詩……やはりそうですか」

 マルも薄々あの詩が問題になったのだろう、と感じていた。マルは軍艦から聞こえてくる壮絶な苦しみに満ちた叫び声をそのまま詩に書いて提出した。それは大学の求める課題とはかけ離れた内容である事は理解していた。

「あの詩を、リュン殿下も読まれたのでしょうか」

「リュン殿下は君の書く物をとても楽しみにされていて、大学に提出される詩や作文には全て目を通しておられる。軍艦ヤシャクの詩についても、殿下は感心して読まれたようだ。しかし奨学金支給の可否を決めるのは実はリュン殿下ではない。軍需関係の船舶会社も資金のうちの多くを出しているから、こういう内容を書いたら一発アウトだ。わしも君に注意しておけばよかったが。まあ飲みたまえ」

 テセはマルの目の前のグラスにとぷとぷと酒を注いだ。

「ありがとうございます。リュン殿下があの詩にお怒りではないと知ってほっとしました」

 マルはそう言うと、酒の注がれたグラスを一気に傾けた。

「しかし君はあの軍艦ヤシャクを見て本当に沈むと思ったかね? あれは恐らく世界にも類を見ない大きさと装備を誇る軍艦だ。ピッポニアの軍隊が総がかりでもあれを沈める事は出来んよ」

「声が聞こえたんです。戦いの女神が私に訴える苦悶の声が。私はそれをそのまま書きました」

「ヒサリ先生からも聞いたが、君はとても繊細で、ああいう大きい目新しい物を見ると、故郷に伝わる妖怪か何かのように見えて幻聴を聞く事があるようだね。それは精神的な病気の類だろう。頃合いを見て医者にかかるがいい。しかしそれよりもまずは慣れる事だ。いいかね。軍艦は我々の生活と安全を守ってくれるものだ。恐れる物ではない」

「そうですね」

 マルは頷いた。

「慣れる事が出来たら、と思います。カサンの人たちみたいに」

「安心したまえ。君にはまだチャンスがある。別の詩を書いて提出しなさい。軍艦の強さ、美しさを称え、その栄華を祝福する内容を書いて提出するのだ。君にはたやすい事だろう。課題をクリアしさえすれば奨学金は再び支給される」

「いいえ、出来ません」

 マルは首を振った。

「なに!?」

 テセはグッと眉根を寄せた。

「意固地になって拒否するなら、君は本当に反体制的人物として軍警察に目をつけられる事になるぞ」

「でも書けないんです」

 マルは微笑みを浮かべながら言った。

「靴屋なら客が依頼した通りの靴を作る事が出来るでしょう。でも私にはそういう事は出来ません。注文通りの詩が書けなければ反カサン的、という事になるんでしょうか」

 テセは驚いたのか、言葉を失ったままマルの顔をしばらくの間見返していた。

「あの詩がよろしくない、というのであれば別の詩を書きます。今もう一つ、思いついた詩があります。それは軍艦でコックとして働く少年と彼が可愛がっている軍犬の物語です。ただしどちらも後に軍艦ヤシャクと共に海に沈んでしまうのですが……」

「そういう話はやめたまえ! それはみな幻覚だ。君は本当に病院の治療が必要かもしれないね!」

「そうかもしれません」

 しばし二人の間に沈黙が流れた。やがて、テセの方が先に、こらえ切れない、というように口を切った。

「少し言い過ぎたようだな。すまなかった」

「いいえ。テセさんの仰る通り、私は病気なのだと思います」

「奨学金のため、と割り切って書いてみる気はないかね」

「すみません。どうしても、言葉が浮かばないんです」

「驚いた……」

 テセは呻くように言った。

「君の言葉を操る力は万能だと思っていた」

「もし注文通りの詩が書けなければ、私は退学になりますか?」

「いいや、退学にはならん。トアン大学は昔から自由な校風で知られている。君は成績も良好だ。しかし奨学金が打ち切られたら学生生活を続ける事は難しかろう」

「アルバイトをしようと思っています」

「アルバイトだと? その心がけは立派だがアルバイト代だけで全てを賄うのは簡単な事じゃないぞ。良い家庭教師の口でも紹介してやろうか?」

「ありがとうございます。でもまずは自分で探してみようと思います」

「そうか。何か困った事があればすぐに連絡してきたまえ。君は危なっかしいが、どこか憎めない所がある。私は君が好きだ。大学を無事に卒業して欲しい。そして将来はカサンとアジェンナの架け橋になってくれる事を願っている。何と言っても、君はオモ先生の大事な教え子だからな」

「あのう、ところでオモ先生から近頃手紙が無いのですが、お元気でしょうか? そろそろお子さんが生まれた頃では……」

 テセはマルの目をじっと見据えた後、静かに首を振った。

「オモ先生は流産された。心身共に相当疲れているようだ。家庭もうまくいかず、別居されていると聞いた」

 マルは茫然とテセの顔を見返した。

「私は……今すぐオモ先生を慰めに行きたいです……オモ先生は今どこにいらっしゃるんですか?」

「それは私にも分からん。恐らくオモ先生は今、一人になりたいのだろう。君が心配しなくてもオモ先生は強い人だ。君の今するべき事は、大学を卒業し良い職を手にする事だ。今はその事だけを考えたまえ」

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