第48話 お金を稼ぐ 1

 一月後、マルは部屋で「リュン殿下学生基金」から届いた封書を開封し、驚愕した。

いつもならその中に学費と生活費のための小切手が入っているはずであったが、封筒から出て来たのは小切手ではなく、一通の手紙であった。その内容は、マルが全く予想だにしていないものだった。

「本学生基金はハン・マレンが反カサン的思想の持主であると判断した。よって奨学金の支給を停止する」

 というものだった。

「反カサン的思想……!? お、おらが……な、なんで?」

 マルは手紙を手にしたまま床から飛び上がった。そのまま部屋じゅうぐるぐる歩き回った。

「ねーえ、さっきから何大騒ぎしてんのよ」

 スヴァリの声が聞こえた。

「大変なんだ! おらがここで勉強するためにお金をくれていた所から、もうお金を出せないって言われたんだ」

「あーら、そんならあんたはこれからスンバ村に戻るのね! いい事じゃない。こんな寒い所から永久におさらばね!」

「ちょっと待ってよ! 君はとっくに死んでるのにどうしてここが寒いって分かるの?」

「あんたがしょっちゅう寒い寒いって言ってるからよ! あーそうだ、ついでにあの娘ともお別れね。でも良かったわ。あの娘に抱き着かれたら、あんた押しつぶされて窒息死してしまいかねないもん!」

「ちょ、ちょっと待ってよ! それはハミさんの事!? イヤだ! おらは去らないぞ! おらはハミさんと結婚するんだ!」

 扉をノックする音と共にタルク・シュシキンの声が聞こえてきた。

「開けていいかい? 君はさっきから「妖怪」とやらが憑りついたみたいに足音を立てて大きな声を出しているね!」

「ああ、シュシキン、大変な事になった! 奨学金が停止になったんだ! これじゃあ学費も下宿代も払えない! このままじゃあ大学を辞めて国に帰らなきゃいけないよ!」

「一体どういう事だ? もしや君がとんでもない浪費家で女たらしだって事が向こうにばれたんじゃないかい?」

「それは誤解だよ! ああ、でもおらはもっとひどい誤解を受けている! どうやらおらは反カサン思想の持主だと思われてるみたいなんだ」

「一体どういう事だ? 君の持っている手紙を見せてもらえないか?」

「シュシキンはしばしリュン殿下学生基金から送られてきた手紙に視線を落とした後に言った。

「なるほどね。君にとってはショッキングな事だろうが、教えておいてあげよう。我々外国人は常に『反カサン思想の持主』なる疑惑がかけられている。まあアジェンナはカサン帝国内の領土なのでまだましだ。俺の故郷のシャク王国はカサン帝国との関係も近頃芳しくないからな。下手をすると我々は国外追放や投獄の憂き目にあうかもしれないんだよ」

「そんな! おらはこんなにもカサンの事を愛してるのに!」

「当然俺だってそうさ! カサンには友人も恋人もいる。だからたとえ俺が冤罪によって反カサン思想の持主だと言われ投獄されようとも、俺はカサンの事を憎みはしない。神に与えられた運命だと思って受け入れるさ」

「そんな……!」

 学業を諦めて故郷に帰るしかないのか。落胆したマルに対し、シュシキンが言葉を

繋げた。

「君はどうも育ちが良くて世間の苦労というものをあまり知らないようだ。この機会に君はアルバイトをしてみてはと思う」

「アルバイト!」

 マルはその言葉を聞いたとたんハッとした。そうだ! そういう手があったか! 名門トアン大学の学生は良家の子弟が多いようだが必ずしもみな裕福ではなく、苦学生も多い。アルバイトをしている、という話も学生仲間から時折耳にする」

「アルバイトってどうやって探したらいいの?」

「まずは大学の学生課に行ってみたまえ。あそこの掲示板には家庭教師を募集する張り紙が沢山あるよ。トアン大学の学生は家庭教師として引く手あまただ。たいがいは金持ちの家のドラ息子が相手さ。まあ連中のほとんどが勉強する気なんか無いから適当に遊び相手をして彼らの手におえない宿題を見てやるのが仕事さ。楽といえば楽だが、時折奥様からお相手を要求される事がある。これを天国と感じるか地獄と感じるかはまあ人によりけりだな」

「ええーー!!」

「ちなみに奥さんから肉体を要求されたら絶対に拒否出来ない。金持ちってのは案外体裁を気にするから、奥さんたちはたいてい不自由な生活を強いられている。たまったストレスのはけ口に、若い大学生達はもってこいってわけさ。そして拒んだら最後、とんでもない事になる。相手は怒ってあること無い事でっち上げて君を犯罪者に仕立て上げるだろう」

「恐ろしいね」

「ただし金は稼げるぞ。それは間違いない」

 マルはため息をついた。金を稼ぐというのは何と大変な事だろう! そして金持ちが好き勝手な振る舞いをするというのは、故郷でもカサンでもまるで変わりないようだ……。

「あとはカフェやレストランの給仕の仕事もあるが、こちらの方はかなり格が落ちる。稼げる金もずっと少なくなる。中にはバーで歌を歌う奴もいるけどな」

「歌!? おら、それがいいなあ」

「ちょっと待った! いくら君が歌に自信があっても、バーの歌手はいけない、ああいう場所は『悪所』だ。トアン大学の学生ともあろう者があんな所でバイトをしてばれたらちょっとしたスキャンダルものだ」

 シュシキンに止められても、マルの気持ちはすでに「歌で金を稼ぐ」という気持ちに傾いていた。

「おいおい、本気かい? ばれたらトアン大学の名誉を傷付けたとか何とかで大問題だぜ。……あ~あ、君にこんな話するんじゃなかった」

 しかしマルにはバレないという自信があった。なぜなら自分が抱えている数々の秘密もばれる事なく、今までうまくやってきたから。故郷で「卑しい妖人」などと呼ばれ、泥の中を這いずりまわるような生活をしていた事も、人の嫌がる病気を患っていた事も……。

 この時、下宿の主人のキヤおばさんの、建物じゅうに響く声が聞こえてきた。

「ハン・マレーン! あんたにお客さんだよ!」

「はい、はーい!」

 マルは階段を駆け下りた。客って誰だろう? ハミなら黙って部屋に上がって来るはずだ。

階下には、一人の見知らぬ若いアジュ人の男が立っていた。

「ハン・マレンさんですか?」

「はい」

「私はテセ・オクム氏の使いで来た者です。近くのレストランで、テセ氏がお待ちです。一緒に来ていただけますか?」

 マルは即座に、奨学金停止の件でテセ氏からじきじき説明があるのだろう、と理解した。テセ氏は自分の学業の具合についてとてもよく知っている。この人がマルのカサン語力を評価してくれて、そのおかげでトアン大学に進学する事が出来た。今思うとそれは良かったのだけれど、一方マルがタガタイ第一高等学校で『故郷に帰らせて欲しい』と言っても決して許してくれなかった怖い人でもある。テセに何を言われるだろう、と思うと怖くもあったが、同時にぜひ会って話を聞きたくもあった。テセ氏ならマルが『反カサン思想の持主』などという疑いをかけられた理由を知っているのではないか。マルは期待と不安を胸に抱いて、使いの者と共に迎えの車に乗り込んだ。

 車に揺られている間ずっとマルの頭に浮かんでいるのはヒサリ先生の顔だった。タガタイ第一高等学校でも、禁止されているピッポニアの本を所持していたために退学処分になりかけた事がある。当時はそれでも良いと思ったが、今では教え子の不祥事はヒサリ先生の責任問題になる事を知っている。大学の中途退学という不名誉は、何としても避けなければならない。

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