第47話 軍艦ヤシャク 4

 その時、一人の兵士が二人の方に近付いて来た。

「君達はトアン大学の学生だね」

「はい」

「あちらにも別のドアン大学の学生が来ている。一緒に案内するのでついて来なさい。軍艦ヤシャクの見学は君達エリート学生だけに特別に許可されている。これから目にする物は全て軍事機密に相当し、決して口外してはならない」

 兵士はそう言って歩き出した。

やがて、巨大な軍艦を背に立っている二人の見知った青年の顔がマルの視界に入った。一人はいつも文学サークルを仕切っている背の高いトアン帝国大学の学生ギョ・ゴク、もう一人もトアン帝国大学の学生のキ・トングだった。ハミは二人の顔を見るなり、マルの背中の後ろで

「あら、やだ」

 と呟いた。ギョ・ゴクはマルとハミに気付くやいなや、にこりともせず

「やあ」

 とぶっきら棒に言った。ギョ・ゴクは近頃文学サークルでもマルにばかり話しかける。相手の好意は出来るだけ受けたいものの、ハミにはどうもそれが気に入らないらしく、「いちいち彼の話なんか聞くことないわよ」とマルに忠告して肘を引っ張り彼との会話を止めさせようとする。ハミがギョ・ゴクの事が好きでないのは明らかだった。

 マルは今、いささか戸惑いながらも二人に微笑んだ。四人は兵士の後に続いて歩いた。そして軍艦の全体が見渡せる場所に立つと、説明を始めた。他の三人はメモを取り出し、受けた説明を書いている。しかしマルは兵士の説明もろくに耳に入らないまま、茫然と目の前の巨大な黒い鉄の塊を見上げていた。女神ヤシャクの名を冠した軍艦の苦しげな唸り声が、マルの身体に沈み込むかのようにずっと聞こえていた。

(なぜ……なぜあなたは苦しんでいるのですか? こんなにも大きくて、偉大で堂々とした美しい姿をしているあなたなのに)

 一通り説明を終えた軍人は、

「こちらへ」

 と言って手招きして歩き出した。その後ろを、マル達はついて歩いて行く。今度は前方から軍艦を見上げる。まさに女神の体を思わせるような、美しく気高いフォルムだった。誰もがその姿を見た瞬間、魅入られずにはいられまい……。しかし軍艦の悲壮なうめき声はまさにマルの身体を裂くほどに響いていた。突然襲って来た眩暈と頭痛に、マルは思わず目を閉じた。再び頭を上げて目を開いた時、その美しい船体に女神の苦悶に歪んだ表情をはっきりと見た。次にマルが見たのは、まるで叙事詩に描かれたような、いにしえの壮絶な血なまぐさい戦いの光景だった。海上の城はすさまじい勢いで炎と黒煙を上げながら、真っ赤な海へと横倒しになって沈んで行くのだ。それはアジェンナやカサンの歴史に残る数々の悲劇的な戦を髣髴とさせた。船に取り残された人々、海に放り出された人々の阿鼻叫喚が襲いかかり、マルの体をがんじがらめに縛り付けた。

「ねえ、大丈夫?」

 心配したハミがマルの顔を覗き込んでいる。

「ハン・マレン君、どうやら君は我が国の軍艦の偉大さに驚愕しているようだね。これはカサン帝国の叡智が結集した海上の要塞だ。ただぼんやり見ているだけではダメだぞ。この栄華を言葉で称える事が我々の使命なのだ」

「ちょっと、話しかけないでもらえるかしら」

 ハミはギョ・ゴクに顔を向けてきっぱりと言うと、再びマルに

「ねえ、大丈夫?」

 と尋ねた。マルは頷いた。しかし耳鳴りは止む事は無く、足元はグラグラ大きく揺れている。たまるでマル自身が斜めに傾いた軍艦の甲板に立っているかのようだった。止むことの無い死にゆく者達の絶叫と共に、マルの内にこんな声が確かに響いた。

「青年よ、青年よ、お前には私の声が聞こえるか」

「ええ、聞こえます。これはあなたの未来の姿でしょうか? あなたはこんなにも強く美しく偉大なのに!」

「強く偉大である事は永遠を意味するのではない。大きく偉大な物はそれだけ滅びの形も大きい。詩人よ、そなたにはこのような恐ろしい光景を言葉にする覚悟はあるか」

 マルはブルッと体を震わせた。

(これが、自分の使命? こんな恐ろしい事が……)

 気が付けば声は止んでいた。ただ目の前には、マルの様子を心配そうに注意深く見つめるハミのまなざしがあるばかりだった。

(今聞こえた言葉は予言だろうか? 近いうちにこの軍艦に悲劇的な運命が降りかかるという……)

 マルは何とか体を支えて立ち、再び美しい戦いの守護神を見上げた。しかし兵士の語る説明は全くマルの耳に入らず、先程聞いた人々の阿鼻叫喚と軍艦ヤシャクの呻き声だけがくっきりとマルの耳の奥にこびりついていた。

 一時間程度の見学時間が終わり、検問所に引き返す間も、ギョ・ゴクは時間が「見学短か過ぎる」などとぶつぶつ文句を言っていた。

「だって仕方ないじゃない。軍事機密ですもん。こんな近くで見られるだけでありがたいというものよ」

 検問所を過ぎると、ハミはマルの袖をグイグイ引っ張ってギョ・ゴクらと離れると、そっとマルに耳打ちした。

「ギョ・ゴクときたらきっとろくでもない詩を書いて、『自分の詩こそ一番だ』と大いばりで提出するはずよ。それで選ばれなかったら周りに散々八つ当たりするに違いないわ」

「彼はこういう詩なら上手く出来るかもしれない。でもおらはダメだ。どう書いていいのか分からない。全然分からない。出来れば書きたくないよ」

 ハミは一瞬黙り込んだ後、再びマルに顔を寄せて耳打ちした。

「ねえ、あなたは『非武装主義者』なの?」

 マルはハッとした。強大な軍事力を誇るこの国では、「非武装主義者」という言葉は無気力者とか臆病者、と同じような意味を持つ。自分はそうかもしれない、とマルは一瞬思ったが、それを認めてしまうとハミに軽蔑されるだろう。

「武器は必要な物だと思うよ。荒々しい獣や恐ろしい妖怪を退治するためには。でも人間と戦うためにこんな大きな軍艦やたくさんの武器がいるのかな。人間はそんなに恐ろしい存在じゃない」

「人間の悪意程恐ろしいものは無いと思うわ。だって人間には想像力があるから。想像力は素晴らしい物を作る一方で、人々の恐怖や怒りをとてつもなく大きくするものじゃないかしら」

「確かに君の言う通りだよ。でも人の心の怒りや恐怖を大きくするのは、人の心にとりつく妖怪のせいだ。妖怪の呪いを取り除く事で人々の心には平和と安らぎが戻って来る」

「妖怪……あなたの詩や物語にはいつも妖怪が出て来るわね……」

 マルは言葉に詰まったままハミと並んで歩みを進めた。妖怪と交わる生活をしている自分のような者は故郷では「妖人」と言われ蔑まれている事を彼女は知らない。ハミは自分の言葉を聞いて、何て突拍子も無い事を言い出すのか、と感じているのではないだろうか……?

 二人の間に突如流れた気まずい空気を破ったのは、意外にも突如割り込んで来たギョ・ゴクだった。

「時間が短かったのは残念だが、実に良い経験だったね。昨今は詩が軟弱な女子供の物に成り下がっているが、今こそ詩に力が必要だ。軍艦はまさに、我々に力強い霊感を与えてくれるものだ!」

「まあ、軟弱な女子供、だなんてひどい! 女だって力強い物や軍艦は大好きよ」

 ギョ・ゴクはさらにハミに話しかけ、ハミは笑いながらそれに応じている。普段はギョ・ゴクを嫌っているハミだが、どこか楽しそうなのは軍艦を目にした興奮によるものだろう。マルはそんな二人が羨ましかった。カサン人にとって軍艦や兵器と言ったものは子どもの玩具のように、見るだけでわくわくさせられる物なのだろう。

 下宿の部屋に戻るなり、マルはさっそく机に向かって次々と頭に浮かぶ言葉を紙にしたためた。マルは初めて目にした軍艦の姿に魅了されていた。しかしその姿は同時にあまりにも大きな悲壮感を湛えていた。マルは寝る事もなく無我夢中で書き続けた。そして一編の長編叙事詩が書き上がった時、マルは我に返り、ようやくバッタリの寝台に身を投げた。夜が明けるまで少し眠るつもりだった。学校から求められた「軍艦の栄華を称える」ものとはほど遠い出来となった。しかしこれを学校に提出するしかない。自分に出来るのはそれしか無いのだから。

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