第46話 軍艦ヤシャク 3
翌日、マルが自分の部屋の扉を開けて目にしたのは、まるで男のような格好をしたハミの姿だった。
「今日のハミさんは何だか目新しくて素敵だなあ」
「戦いの女神は嫉妬深くて女には意地悪なの。だから男みたいな格好をして来たのよ。学生証は持った?」
ハミはマルの乱れた襟元を直し、くしゃくしゃな髪を両手で撫でつけて整えた。
「あまり変な格好してると軍関係者に怪しまれるわ」
「女神に失礼の無いよう、ちゃんとした格好をしなきゃってことだね」
マルはハミと共に、流しのオート三輪を拾って載せてもらい、ナサの軍港に向かった。
目的地に向かう間、ハミがマルに体を寄せて耳に囁いた。
「私達文学部の学生がどうして特別に軍艦を見る事が出来るか分かる? 私達が言葉で軍艦を称える事で、軍の威光を人々に知らしめる事が出来るの。それ程言葉の力は大きい、って事よ」
(軍艦の素晴らしさを称える……?)
マルはハミの言葉を聞きながら不安にかられた。ヒサリ先生やハミやシャールーンなど、これまで出会った美しい女性を称える言葉はいくらでも自然に出て来たものだ。しかし今まで見た事も無い物に対して、称える言葉が本当に浮かんで来るかどうか分からない。
やがて、頬に当たる海風を感じた。ナサに来る度にマルが感じる、まるでヒサリ先生の翻る衣の裾から流れるかのような港の風だった。
ナサ港に着くと、マルはハミと共にオート三輪から降りた。立ち入り禁止区域の手前の重々しい鉄の扉の前では、銃を構えた兵士が見張りをしていた。ハミはさっそく兵士に近寄り、
「トアン大学文学部の学生です。軍艦ヤシャクの詩の課題を提出するために見学に来ました」
と言って学生証を提示した。そして学生証を出すのを促すように、マルの方を振り返った。
「一人かね」
「いいえ。彼も一緒です」
「外国人は立ち入る事は出来ない」
兵士はにべもなく言い切った。
「外国人じゃないわ。彼はカサン帝国人よ」
ハミは振り返って、マルに学生証を出すように目で促した。マルが鞄の底をひっかき回している間も、兵士の鉛のような言葉をずっと聞いていた。
「トアン大学の学生でも外地出身者は駄目だ」
「そんなはずは無いわ。よく調べて下さい。この課題は全員提出する事になってるんです」
マルは、屈強な兵士を目の前に一歩も引かないハミの堂々とした態度に驚嘆した。
(何て頼りがいがあるんだ! ハミさん!)
マルがようやくヨレヨレの学生証を取り出して差し出すと、兵士は胡散臭い奴だ、と言わんばかりの様子でマルを一瞥し、学生証を受け取って門の後ろに控えていたもう一人の兵士に目配せした。もう一人の兵士は学生証を手に詰所の中に消えた。ハミはマルにそっと耳打ちした。
「これから長く待たされるわよ。私達が危険人物リストに載っていないか、調べられるの」
「まずいなあ、おら、怪しい所だらけだもん。ところで待ってる間、ちょっと街を散歩してきてもいい? おら、このナサの町が大好きだから」
「まあ、マレンったら!」
ハミにピシッと咎められてマルは思わず背中を伸ばした。そうだ。カサンの兵士の前ではタガタイ第一高等学校にいた時みたいに振舞わなきゃいけないんだ……。座る事も歩き回る事も出来ないまま待っていると、やがて、詰所から兵士が現れた。兵士はサッとハミとマルに対し敬礼し、
「どうぞお入り下さい」
と言った。ハミもサッと敬礼を返した。マルもあわててハミを真似て中途半端な敬礼をした後、兵士らにニコッと笑いかけた。もちろん相手は笑い返す事なく髭一ミリたりとも動かさない。
門から中に入り、広々とした道をマルはハミと並んで、高等学校時代の行進練習のようにいささかぎごちなく進んで行く。
「ハミさん、君はすごい人だ! 兵隊さんを前にしてもあんなに堂々としていられるなんて」
「まあ、当たり前じゃない! 変な人」
やがて視界に、海上に浮かぶとてつもなく大きな建造物を目にした時、マルの身体は一瞬電気に貫かれたように震えた。足はピタリと止まり、しばらくその場から動く事が出来なかった。「陰鬱」という言葉を形にしたかのようなその姿は、マルの心を微かな恐怖で満たした。太古の時代に五千人もの人を飲み込んだと言われるアジェンナの伝説のクジラのように、巨大なそれは海と空の間を漂っていた。数歩行き過ぎたハミが、マルの方を振り返った。
「どう? 驚いた?」
「いや、何というか、もう……」
ハミがマルの腕に自分の腕を回して引いた。マルはガクガクする膝を片手で抑えつつ、ハミにもたれるように進みながら、微かに震える唇から訥々と言葉を繰り出した。
「驚いた。すごく……。私の故郷の村に伝わる物語の中で、とてつもなく巨大な海の怪物について聞いたことがあるけど、まさにあの怪物が目の前に現れたかと……」
「まあ、怪物だなんて失礼よ。ヤシャクは私達のことを守ってくれる存在なのに!」
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