第38話 恋 19

 ハミは学校が終わった後、マルの部屋を訪れる事が増えて来た。そして二人は最近面白かった詩や小説について語り合ったり、学生や教授の噂話や街で見かけた面白い出来事などを話題に乗せたりして時間を過ごした。そして、遅くなり過ぎない時間にハミは帰って行く。

 マルは何度も彼女を引き留めたいと思ったけれども、その度にハミは「寮の門限があるから」と言って帰って行く。実際、良家の女子学生が入る寮の規則は厳しいのだろう。マルがハミの部屋を訪れる事もかなわなかった。そして学校では、ハミはマルと必ず一定の距離を保ち、格別に親しい素振りを見せようとはしなかった。  

 ハミが部屋からいなくなる度に、スヴァリはハミとマルの事を散々からかった。

「全く、あんたとあの子を見てたらじれったいったらありゃしない!」

「あの子だって!? ハミさんは六歳で死んだ君よりずっと年上なんだよ!」

 あーら、六歳でもあたし、色んな事知ってるわよ! あの子はきっとアソコが石で出来てるに違いないわ!」

「おい、失礼な事を言うな! 彼女は貞淑な女性なんだ。貞淑って意味分かる?」

「分かんなーい! 何それ! アハハハハ!」

「サンドゥ夫人のような女性の真逆だって事だよ!」

 サンドゥ夫人とはアジェンナ国に伝わる物語の中に出て来る有名な毒婦の事だ。

 マルをからかうのはスヴァリだけではなかった。タルク・シュシキンまでも

「彼女とはどこまで行った?」

 と、しきりに尋ねてくる。そしてキスもまだだと告白するとあきれたように言った。

「君達、まるで出家した者同士みたいなカップルじゃないか!」

 マルはハミの柔らかそうな唇やふくよかな首や肩を思い浮かべて悶々とする時間が増えてきた。それはかつてヒサリ先生に抱いてもらえない事に苦しみ、体が引き裂かれるようだったのとはまた違った感覚だった。マルはいつしかハミと暮らす未来を思い浮かべていた。しかし、そんな事はハミに言い出せるはずもない。幼い頃、全身が醜いイボで覆われていたマルは、自分が将来結婚するなど想像だにしていなかった。今、醜いイボは無くなったが、代わりに新たな悩みの種が次々と生まれてきた。彼女はカサン人。自分はアジェンナ人。多くのカサン人がアジェンナ人を見下している事は知っている。ハミさんはそんな人じゃあない、と思うけれど、「結婚したい」と言ったら本当に自分を受け入れてくれるか? 

 問題はそれだけじゃない。故郷スンバ村の妖人達は、男も女も同じ位働いていた。いや、むしろ女の方がよく働いていた。けれどもカサンでは逆だ。カサンでは女の人はあまり働かず家にいるのが普通だという。女の人の幸せは夫の収入や仕事によって決まるらしい。自分はハミを幸せにするような仕事に就いて収入を得る事が出来るのだろうか……? 

彼女の気持ちを聞き出す事が出来ないまま、生真面目な交際は続いた。ハミは少しずつ、マルに対し打ち解けた態度を見せるようになった。一緒に本について語り合ったり映画に行ったり食事をする時間は間違い無く楽しいものだった。しかしその間常に、マルの心にはこんな思いが去来していた。

(ハミさんはおらの全てを知って、それでも結婚したいと言ってくれるか?)

 そんな不安をよそに、タルク・シュシキンはマルに女性との交際についてあれこれ指南してきた。

「いいかい。いくら君とハミとが小学生みたいな交際をしてるからって、君がいつまでもそんな冴えない恰好をしているのはいただけないね。それは彼女に対し失礼というものだよ。いいかい、君、俺のようなヒキガエルのようなぶ男の外国人が、なぜひきもきらずカサンの女性と交際出来ているか、分かるかい?」

「ヒキガエルとは似ても似つかないよ! ぶ男だなんて、そんな!」 

「いいや、俺の顔が醜い事は真実だ。そして真実を直視してこそ対策が立てられるというものだ。俺は間違いなく醜く、やせっぽちでヒキガエルのような顔立ちだ。しかし俺はその欠点を補う努力をしている。俺のこのシャツはなかなか格好いいだろう?」

「そうだね! すごく洒落てるよ!」

「すごい高級ブランドだと思うだろう? しかし何を隠そう、これは俺の手作りさ!」

「へえ! すごい!」

「高級ブランドを真似てそっくりに作ったのさ。ミシンという便利な物があるからね。そしてこの辺の女性の好きそうなレストランはみな調べてある。話題を仕入れる事にも余念が無い。こういうシャク人のまめさをバカにする人は多い。君もそう思っているだろう?」

「いいや、まさか!」

 マルはそう言いつつため息をついた。自分にはこんな格好いいシャツを買う金など無い。不器用だから手縫いだなんてもっての他だ。足と手を器用に動かしミシンを動かすなど、妖怪を扱うより難しそうだ。

「なあに、君に似合う服をいつでも貸してやるよ。何しろ君は素材は俺よりずっといいからね。美男子かどうかは意見が分かれる所だが、少なくとも人を引き付ける愛嬌がある」

 シュシキンの服を借り、ハミとデートを重ねる度に、マルはだんだん自分の容姿も卑下する程ひどくはない、と思えてきた。小さくひ弱でカサン人のようにたくましくもなく、ピッポニア人のような顔立ちをした自分に対しハミが好意をもってくれている。それをはっきり感じる事が出来た。

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