第32話 恋 13

 マルは授業の間、前方の席のクワラ・ハミの背中にじっと視線を注ぎつつ、緊張を閉じ込めるように何度も両手を握りしめていた。

自分はかつて 幼い時、淡い恋心を抱いたシャールーンに対し、たくさん詩を書いて送ったものだ。どうしてあんな事が平気で出来たんだろう!? シャールーンに比べてハミはたくさんの詩を知っていてその良し悪しを判断する事が出来る。

(もし彼女が詩を気に入らなかったり、いらない、と言って返してきたりしたら? よし、その時は『詩についてもっと勉強したいから教えて下さい』って言うんだ……もし彼女が微笑んで受け取ってくれたら、その次は、その次は……)

 あれこれ考えて、授業も全く耳に入らなかった。

 授業が終わり、ハミが他の女学生達と一緒に教室を出て行く。マルは立ち上がり、彼女の風にやや膨らんだ白い服に覆われた背に近寄り、

「ハミさん!」

 と声をかけた。ハミは立ち止まり、振り返った。他の二人の女学生も。マルは封筒に包んだ詩をハミに差し出して言った。

「これ……読んでくれませんか? 良かったら感想を聞かせてほしいんです」

 ハミは黙ったまま、マルの顔を見返していた。いつもは笑ってばかりの他の二人も黙っていた。この瞬間、マルの体をこんな思いが突風の如く駆け巡る。自分はイボが無くなったから、誰かと結婚する資格があると思った。でもよく考えたら自分はアジェンナ人で相手はカサン人じゃないか! 残念ながらアジェンナ人を見下しているカサン人は多い。ハミさんはそんな事しないだろうけど、アジェンナ人のくせにとんでもなくずうずうしい奴だと思ってるかもしれない! マルがゴクリと唾を飲み込んだ時、ハミは二人の友に軽く会釈をし、

「先に帰ってくれる? 私、彼と少し話をして行くわ」

 と言った。

「あーら! それじゃ楽しんで!」

 ハク・ミラがそう言ってハミの肩をポンと叩いた。

「庭で一緒に話しませんか?」

「はい」

 マルがハミの後について小石にも躓きそうな程ぎごちなく歩く間、自分の体の内に、いつもより熱い血潮の流れをはっきりと感じた。庭に向かう間、ハミはずっと黙っていた。マルはなんとなく変な気分だった。幼い頃いつも一緒に遊んでいたナティはずっと喋っていたから自分はナティの話を聞いていれば良かった。しかし、今目の前にいる女性は喋らない。

(これはカサンで言うところの『控えめで古風な女性』なんだ……ええと、こういう場合はこっちが何か喋るべきなんだ)

 共に黙って歩く二人の間の空気はいささか重い。

(月がきれいですね、じゃないや! 月は出てないし、花がきれいですね……でもない! 花もどこにも見えないし!)

 焦りの余り、マルの口の中には酸っぱい物が込み上げてきた。その時、ハミが不意に口をきいた。

「どうして私なんですか? 私、ちっともきれいじゃないのに」

「そんな事ありません。あなたはとても美しいです」

 酔っていなくても言う事が出来た。

「おせじがお上手ですね」

「おせじなんかじゃありません。私にとってハミさんは最高に美しい人です」

「私、男の人と全然お付き合いした事無いんです」

「そんな、構いませんよ。私も女性とお付き合いした事はありません。恋愛とか結婚とか、そういう事は物語の中でしか知りません!」

 この時、ハミはいきなり声を立てて笑い始めた。

「あなたって、本当に面白い人!」

 マルはいくらか当惑しつつハミを見詰めていたが、やがて言った。

「あのう……ハミさん、私の詩を読んでいただけませんか? 私の気持ちが真実だ分かっていただけると思います」

「今読んでも構いませんか?」

「ええ、もちろん!」

 ハミは木陰のベンチに進むと、そこに腰を掛け、マルから渡された封筒を開いた。マルはそのふくよかな白い手に吸い込まれそうになった。その指が手紙を開くの見ながら、目の前がクラクラしてきた。やがて、ハミの唇が柔らかくほころぶのを見て、マルは安堵した。たとえ詩がけなされてもいい。呆れられてもいい。とにかく笑ってもらえたら、マルには本望だった。

「何と言っていいのか……これはとても変わった詩ですね」

「ええ、そうでしょうね! でも私があなたを思う気持ちは本心だって事、分かっていただけますか?」

「ええ」

「それじゃあ……」

「恋人になって下さい」、と言おうとしたその時だった。

「あーら!」

 突然降りかかって来た声に、マルはギョッとして顔を上げた。その視線の先には、背の高い、派手な格好をした女の姿があった。

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