第30話 恋 11
「さあてと! これまで二次会はいつも俺の部屋でしていたけれども、今日は新しいメンバー、ハン・マレン君が加わったから、彼の部屋で一晩じっくり詩と音楽と人生について語り合おうじゃないか!」
シュシキンの言葉に、マルは慌てた。整理整頓の苦手なマルの部屋は、たいして物が無いにもかかわらず既に本や紙で散らかり放題だ。
「ちょっと待って! おらの部屋、散らかってて……」
「何? 散らかってるって? そんなの恥じる事は無い! 混沌と懊悩、それこそが青春というものだ!」
シュシキンがそう言うやいなや、既にだいぶ酔っぱらっているハク・ミラが、
「ここがハン・マレンの部屋?」
と言って勝手に扉を開けて中に入った。続いて他の生徒達もゾロゾロと中に入り、床に座り込んだ。
(ありゃりゃ、床に座っちゃった……カサン人はみんな椅子に座るもんだと思ってたけど、酔っぱらうと床に座っちゃうんだな……)
マルは困惑しつつも、みんなの様子が愉快でたまらなかった。やがてマルも勧められるままに酒を煽った。だんだん酔いが体に回ってきた。タガタイ第一高等学校の寮で、シンに勧められるままに酒を飲んだ事はあったけれども、こんなに大量に飲むのは初めてだ。
「ああ……酒の妖怪がおらの体を持ち上げてユラユラ揺らしてる……」
マルは酒の妖怪に抱き着かれたまま頭に浮かんだ詩を口ずさんだ。
「いやあ、君の詩は変てこだけれど何だか愉快だよ!」
シュシキンはそう言いつつマルの膝を叩いた。しばらくするうちに、マルの首にまとわりついた酒の妖怪が、マルの耳に熱い息を吹き込んだかと思うと、こう囁いた。
「おやぁぁぁぁ? お前はどうしてそんなに堅苦しく座り込んでるんだぁぁぁい? せっかくかわいい女の子が目の前にいるてぇぇぇぇのに、話しかける事も出来ないとはね! いくじの無い男だ! ほうら! あの娘がお前を見てる。アジェンナの男は体も小さいが肝っ玉も小さい、つまらない男だって思ってるぜ! 女好きのシンの事を思い出してごらん! 女のそばに寄って、その首に手を回す位の事してみるがいいさぁぁぁぁ!」
(お、おらはまじめくさったつまらない男なんかじゃないぞ!)
マルはいきなり腰を浮かせ、クワラ・ハミの横にいざり寄った。しかしその瞬間、体が痺れたように動かなくなった。
(く、首に手を回す……どどどどうやって!?)
マルはそう思いつつ、彼女のむっちりとした肉付きのいい白い胸元を見詰めていた。見れば見る程引き込まれそうになる。ハミは少し視線を落としたまま言った。
「あなたはいつも、そんな風に笑い声を立てるみたいに詩が作れるんですか?」
「え……ええ、あの、詩……詩は見よう見まねで気軽に作ってます。詩をきちんと学んだわけじゃないんで……だからとっても変でしょう? 詩は先生に書いて見せてました。とても厳しい先生でしたが、どういうわけかどんな詩を書いてもダメって言われた事が無いんです」
「先生は女の方ですね、きっと」
「そそそうです。どどどうして分かるんですか?」
「何となく、そんな気がして」
「…………」
マルが黙っていると、ハミはやがて床に散らばった本に手を伸ばし、本のタイトルを確かめながら一冊ずつ積み重ねた。
「カサン語は生まれた時から話していたの?」
「いいえ。六歳からです」
「六歳から学んでそんなに……すごいわ。どうしてそんなにカサン語が愛せるの?」
「どうすればそんなにカサン語がうまくなれるのか」、と聞かれた事は何度かある。しかし「どうしたらそんなに愛せるのか」、と聞かれたのは初めてだった。
「ええと、それは難しい質問ですね……とても良い先生に恵まれたものですから」
「また先生! 本当に先生の事が好きなのね! きっときれいな方なんでしょうね」
ハミが微かに笑い声を立てた。この時、マルは酒の妖怪に耳元に吹き込まれた言葉をそっくりそのまま口にしていた。
「あなたもとても美しい!」
「嘘。私、きれいだなんて言われた事無いわ」
この時、マルの肩にしがみついている酒の妖怪がうるさい程マルの耳元で囁いていた。
「ほぉぉぉら! 彼女の頬を見てごらん! 赤くなってるじゃないか!彼女はお前に好意を持っている! 彼女のふっくらした手を取るがいい! そして彼女の目をまっすぐ正面から見るがいい!」
マルがハミの手を取ろうとしたその時だった。その手は大きく動いたかと思うと、スヴァリの方を指した。
「ねえ、あれはアジェンナの伝統的な楽器なの?」
「ええ、そうです」
マルは触れそこねたハミの手の代わりにスヴァリを手に取った。
「妖鳥の卵の殻で作るんでしゅよ。粗末なもので、音も聞きづらいと思いますが、ちょっと弾いてみましゅか?」
「まあ、粗末で聞きづらい、ですって!?」
ぷんぷん腹を立てるスヴァリをなだめて、マルはぽろんぽろんと爪弾いた。とはいえ手先が不器用で楽器の練習などまともにした事のないマル弾けども、変てこな音が出るばかりだった。マルはいくらかやけくそになって体を大きく揺らしながらスヴァリをかき鳴らした。ハミはクスクス笑った。酔ってなければ恥ずかしくてとてもこんな事は出来なかっただろう。酒の妖怪は
「さあぁぁぁぁ、もっと彼女に近寄れ! もっと体を揺らせ! そして偶然を装って彼女にぶつかるんだ!」
などとしきりに囁く。マルはもう何が何だか分からなくなってきた。ハミはしばらく声を立てて笑っていた。やがて、笑うのをやめて言った。
「あなたは楽器を弾くのは下手っぴね。それから服も曲がってる。こんな着方をするなんて子どもみたい。でもカサン語は完璧。詩はすらすら作れちゃう。本当に不思議な人」
マルはあわてて服の襟を引っ張ったが、ますます変な具合になったのが分かった。マルはいまだにタガタイ第一高等学校の制服を着ている。
「カサン人に比べて私は体が小さいから、カサンの服を着るとどうしてもだらしない感じになっちゃうんです!」
酒の妖怪がまたしても耳元で言う。
「おぉぉぉいちび! お前は体格では全然カサン人にかなわないんだから、お前の一番得意な事で勝負したまえぇぇぇぇ!」
「ハミさん! 私はあなたの詩を作ります! そして夜が明けるまでにあなたの家に届けます! あなたの家はどこですか?」
「まあ、わざわざ家まで来なくても! 学校で会えるじゃないですか!」
「ああ、そうでしたね!」
「別に急いでくださらなくても。気が向いた時に作ってくださると嬉しいわ。あなたの詩はとても楽しいから」
マルは、いつしか他の学生達がマルとハミのやり取りを面白そうに見つめているのに気付いて、恥ずかしくなった。そのままシュシキンに注がれた酒を一気に飲み干した。
「もう帰らなくちゃ」
ハミが立ち上がり、他の学生もそれに続いて出て行く間、マルは床にへたり込んだままハミの後ろ姿をぼーっと見ているばかりだった。
部屋の中にシュシキンとマルだけが残った。
「いやあ、君はクワラ・ハミとなかなかいい感じじゃないか! どうやら君は外見より中身を重視するタイプのようだね。まあそれは良い事だ。彼女は美人ではないが間違いなく気立てが良いし賢いからね。どれ程の男が美しい悪女に身を滅ぼしてきた事か!」
「ハミさんが美人じゃないって? 君、その眼鏡の調子がおかしいんじゃないかい!? 彼女、凄い美人じゃないか!」
「そうだ! それこそ君が恋に落ちたという証だ! 誰が何と言おうとクワラ・ハミがハン・マレンにとって世界最高の美女というわけだ! そうだな!?」
シュシキンはマルが思わず叫ぶ程思いっきりマルの肩を叩いた。
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