第29話 恋 10

 その時だった。

騒々しいお喋りと足音と共に三人の女性が姿を現した。あまりにけばけばしい格好をしているため、背の高い青年が忌々しげにこう言うまで、マルは彼女らも自分と同じ学生だと思わなかった程だ。

「全くユリ女子大の連中ときたら! いつも会の終わりになってやって来る! あいつら、文学談義よりもここで男を見つける事に熱心ときてるからな!」

 マルは、突然乱入してきた三人のうち一人の女学生を目にしたとたん、ハッとした。切れ長の目や顔の造形がどこかヒサリ先生を髣髴とさせた。しかしそう思ったのも一瞬だった。ストイックなヒサリ先生に比べ、この人は格好も派手、表情は傲慢で態度はずうずうしく、いきなりテーブルに体を押し付けるなり、獲物を探す獰猛な動物のような目で居並ぶ学生達を見渡した。

「ねえ、ここにハン・マレンって来てない?」

 いきなり自分の名前を呼ばれ、マルは飛び上がる程驚いた。見ず知らずの女が自分を探している! 一体なぜ?

「君! 遅刻して来ていきなり何だ! 失礼だろう!」

 背の高い青年が顔を引きつらせてテーブルを叩く。

「あーら! あんたのつまんない講釈を聞いてるとあくびが出るから、あんたがそろそろ黙る頃合いを見てきたのよ! だいたいあんた何様!? トアン帝国大学の学生でございって、偉そうな顔して、本当はアラヤとやりたいだけでしょ?」

「ちょっとやめてよ」

 アラヤと呼ばれた女学生が苦虫をかみつぶしたような表情をした。これまでの粛々とした真面目な雰囲気は、あっという間に鍋をひっくり返したように騒々しくなった。隣のシュシキンはおかしがって眼鏡を震わせている。遠慮無い口をきく彼女を見ているうちに、マルの記憶が鮮明に蘇ってきた。

「ラン!」

 マルは思わず口走っていた。女学生はサッとマルの方を見た。その瞬間、彼女の意地悪そうな瞳に稲妻が走った。真っ赤な唇がキーッと横に引かれた。間違い無い! ヒサリ先生の妹のラン! 暴れん坊の少女! 小さな怪物! 

「あーら!」

 ランはそう言ったまま、マルをジロジロと見詰めた。マルは彼女の視線の魔術にかかったかのように、身動き一つ出来ず、声を発する事も出来なかった。周りの生徒達は、二人に一体どんな因縁があるのかと興味深々に見詰めている。

「あんた、随分変わったわね。でもその生意気そうな所は全然変わってない。昔の事なんか無かったフリして、『私はこんなに上手にカサン語の詩を作れる天才でございます』なんてやってるわけ? マル?」

 アマン語の名前で呼ばれて、マルはギョッとした。彼女が、かつて自分がイボイボ病で故郷の村の泥の中ではいずりまわっていた事をこの場でペラペラ喋り出すんではないかと慌てた。

「失礼します!」

 マルはそう言って立ち上がり、そのまま出口に向かって駆け出した。

下宿に向かってひたすら足を動かしていると、

「ハン・マレン!」

自分に追いすがるようなシュシキンの声に、マルは足を止め、振り返った。

「つまんなかったかいみたいだね。すまない! 今日、ギョ・ゴクの奴がやたら喋ってたからな。俺は詩なんてもっと気楽に楽しめばいいと思ってるし、君の詩もなかなか面白いと思ったよ」

「いいんだ。おらはこれまで本当に、自由気ままに詩を作ってきたんだ。カサン四行詩の事なんてまるで分かっちゃいなかったんだ」

「まあそう堅苦しく考えるなよ」

 シュシキンはマルの肩を叩いた。

「前座はこれで終わりさ。これからが本番。あとは好きな子と好きな話をして、うまくいけばお持ち帰り、というわけさ! ハン・マレン! オモ・ランと話せばいいじゃないか! わざわざ君を探して来たわけだから! それにしても君、やるなあ! いつの間にユリ女子大の娘と知り合いになったんだい?」

 マルはブルブルッと体を震わせて言った。

「とんでもない! 彼女は故郷の学校の恩師の妹なんだ。随分いじめられたもんだよ」

「そうかい? 俺には彼女が、他の女に君を奪われる事を恐れる嫉妬深い恋人みたいに見えたよ! まあ恥かしがる事は無い。堅苦しい顔で文学を論じていた大真面目なトアン帝国大学の男子も、最後には酒でグダグダになって女学生の前で鼻を伸ばしている! そういう様を見るのは実に愉快だよ」

 シュシキンは体をクククッと揺らして笑った。

「大事なのはこの先! これからは二次会で、好きな仲間と一緒に飲む。俺の部屋に、君も一緒に来るかい?」

 マルが振り返ると、そこにはトガ大学の学生とユリ女子大のアラヤと呼ばれた学生、断髪のハク・ミラ、そしてクワラ・ハミが立っていた。

(ハミさん!)

 ハミともっとじっくり話をするチャンスだ。シュクシンとアラヤ、ハク・ミラとトガ大学の学生とが並んでお喋りしながら歩き出す。その後ろをマルとクワラ・ハミが黙って歩いた。この流れでいけば当然、自分とクワラ・ハミが話をするのが自然だ。しかし夜闇がマルの口に蓋をしていた。

しばらく歩き、やがて勇気を振り絞って開いた口の中で、マルの舌は風に吹かれる蝋燭の炎のように揺れていた。

「ええっと、初めまして。ハン・マレンです」

 こう言ったとたん、マルは顔から火が出そうになった。

(何を言ってるんだ! 自己紹介ならもうとっくに済んでるじゃないか!)

「ええ」

 ハミはマルを見る事無く言った。

「あ、あなたが詩を書いていると知って嬉しいです……」

「どうして?」

「どうしてって……どうしてかっていうと、詩について話が出来る友達が欲しかったもので……」

「私の他にも詩を書く人、たくさんいるじゃないですか。私なんて全然才能無いし」

「そんな事ありません! あなたの、他の人の詩に対する評は本当に素晴らしい!」

 こう言ってしまってから、マルは焦った。

(何言ってんだ! 評ではなくまずは彼女の詩を褒めるべきなのに!)

 ハミは案の定、「フフ」とおかしそうに鼻を鳴らした。

「あなたの詩に対する情熱が伝わって来ました!」

「つまり、詩作の才能は無いけど情熱はあるって言いたいんでしょ」

「いいえ、まさか!」

「いいんです。分かってますから」

 そしてハミはまた声を立てずに笑った。

(この人は本当に静かに笑う人だ)

 マルは思った。ヒサリ先生の微笑みが氷の上に注いでキラキラ瞬く光なら、ハミのそれは日陰でそっと咲いている花のような笑みだ。

「あの、私の詩について、あなたは何もおっしゃいませんでしたよね? ハミさんがどう感じられたか教えてもらえませんか? 下手なら下手と率直に言ってくれていいんです」

「上手いとか下手とか、そういう事は私からは言えません。面白いです。でも正直、戸惑いました。あなたの詩は、なんというか……斬新です。今までこんな四行詩、読んだ事無い……」

「斬新、ですか」

 マルは意外に感じた。妖怪というのはずっと昔からいるものだから、むしろ「古い」テーマだと思っていた。マルはもっといろいろハミに尋ねたいと思いつつ、何も言えないまま下宿にたどり着いた。

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