第27話 恋 8

 店の奥は、早くも五人の生徒達がテーブルについて互いに熱心に話し込んでいた。

マルはその中に、大学の教室で出会ったクワラ・ハミの姿がある事に気付いてハッとした。女性との交際や結婚の話をしているまさにその時にクワラ・ハミを目にしたものだから、マルはドギマギしたままテーブルの下に視線を落とした。

「あらあ、留学生さんじゃなーい!」

 マルを目にするやいなや声を上げたのは、やはりクワラ・ハミと共に教室にいたハク・ミラという女学生だった。まるで男のように髪をカットして体のラインにぴったり沿った服を着ている。恐らくトアンで流行のスタイルなのだろう。気が付くとマルはシュシキンに押し出されるように二人の女学生の向かいの席に座らされていた。学生達の前には、グラスと酒の瓶が並んでいる。テーブルの上を埋め尽くしたピカピカ光るガラス製の瓶やグラスに、マルは目がくらみそうになる。なんて大胆な飲みっぷり! ついこの前まで、マルはあの厳しい学生寮でシンに分けてもらった酒をこっそり啜る生活をしていたのに! 

テーブルについたシュシキンが体を二つ折りにするかのように身を乗り出して言った。

「今日、新しい仲間を連れて来た! アジェンナから来たハン・マレン君だ。専攻は文学。外国で生まれて大学でカサン文学を勉強しようっていうんだから、彼のカサン愛は相当はものだ! まあ、アジェンナは正確に言えば今では外国ではなく、偉大なるカサン帝国の一部ではあるがね!」

 すると一番奥の席に座っていた背の高い青年が、両腕を組んで背中を椅子にもたれたまま言った。

「そうか。せっかく来てもらったけれど、今日はカサンの伝統四行詩を一人一人作って読み上げ、それを皆で批評し合う会だ。君には退屈かもしれないね」

「伝統四行詩ですか!」

 マルは興奮して大きな声を出した。やっと、自分と同じように詩を作る仲間が目の前に現れたのだ!

「私も伝統四行詩をよく作るんです!」

 背の高い青年は欠伸を噛み殺すような顔で言った。

「カサン伝統四行詩ってのはそんな簡単なものじゃない。奥が深いんだよ。単に詩を四行書けばいいってもんじゃない」

 青年はそう言ったかと思うと、不意に背もたれから背中を剥がし、前のめりになって、マルに対しカサン伝統四行詩とはどういうものかを滔々と語り始めた。それは幼い頃からカサン伝統四行詩に親しんでいるマルがみな知っている事ばかりだったが、もっと何か深淵な話を聞けるのではないかと思い、じっと相手の言葉に耳を傾けた。

「さあ、さあ! そんな堅苦しい話やめましょうよ! 彼、逃げちゃうわよ!」

 ハク・ミラがパンパンと手を叩いたかと思うと目の前のグラスの中身を一気に飲み干した。

「俺はいつも話が長い、と言いたいんだろう? でもここは文学の研鑽の場だ。ただぺちゃくちゃお喋りすればいいってもんじゃない」

 背の高い青年は少しうんざりしたように言った。

 そこへ、さらに三人の男子学生が入って来た。彼らが席につくさまをじっと目で追っていた背の高い青年は、不意にマルの耳元で囁いた。

「彼らはトアン大学の学生じゃない。少しレベルの低い連中だ」

「レベル!?」

 マルはびっくりして思わず聞き返した。

「ここのだよ」

 背の高い学生は指でトントンと頭をつついた。

「彼らはトガ大学の学生だ。文学については何も分かっちゃいない上に、遊び半分にここに来ている」

 マルは既に席について女学生達と挨拶を交わしているトガ大学の学生達に今の言葉が聞こえてはいないかと心配した。マルの見たところ、彼らはみな真面目で賢そうで、とても遊び半分のようには見えなかった。

「まあ、彼らはまだいい。多分もう少ししたら来るユリ女子大の学生ときたら、おしゃれと遊ぶ事にしか興味が無い頭がからっぽの連中だ」

 マルは返事が出来ず俯いた。詩を語り合う集まりで人の悪口など聞きたくなかった。

 マルが話し相手としてつまらないと思ったのだろう。背の高い青年はマルに話すのをやめ、自分の向かいの、別のトアン大学の学生と話し始めた。シュシキンはマルの反対隣のトガ大学の学生と話し込んでいるし、向かいのクワラ・ハミは隣の男子学生の話を微笑みを浮かべて頷きながら聞いている。

(ああ、一人ぼっちになっちゃった……やっぱり文学の話はこんな大勢じゃなくて一対一でしたいな……)

 ひどく居心地が悪くなり、出来るだけ早くここから抜け出したいと思い始めた矢先、

「さあ、そろそろ始めようじゃないか」

 背の高い青年が立ち上がり、周りを見回して言った。

「では、まず君から」

「ええ! いきなり俺!?」

 指名されたシュシキンは慌てた様子でガガッと椅子の音を大きく立てて立ち上がり、キョロキョロッと眼鏡の奥の目玉を動かした。次に彼は、持ち前のひょうきんな様子で口角をニーッと横に引き、ややもったいぶった風に周囲を見渡し、オホンという咳払いに続いて自作の四行詩を口ずさんだ。その内容は、ただ一人過ごす部屋で月光に照らされながら楽器を弾いていると、故郷の母や妹の姿がまぶたに浮かぶ、というものだった。マルは、いつも明るく社交的な彼にそんなしんみりした側面があるのか、と思いつつ聞き入った。

「君、一行ごとにズズッと息を吸う音を立てるのはやめた方がいい。伝統四行詩にふさわしくないからね。まあ内容に関して言えば、外国人にしてはだいぶ理解が進んできていると思うよ」

 背の高い青年が言うと、それを皮切りに他の生徒達が次々「ここが足りない」「ここが良い」と批評を加え始めた。たくさんの意見が出て一瞬場が静まり返った時、皆が言い終えるのを待っていたかのように、それまで黙っていたクワラ・ハミが静かに口を開いた。

「皆さん内容についてばかりおっしゃってますが、この詩はとても韻律が工夫され、音楽的だと思います。言葉の繰り返し、韻の踏み方、まるで聞いているうちに弦楽器の哀切な調べが聞こえてくるようです」

「そう! その通り! クワラさん分かりますか!? クワラさんはやっぱりさすがだ!」

 シュクシンがクワラ・ハミの方に身を乗り出した。

「それじゃあこの詩についてはいいかい? そろそろ次に行こう。そこのトガ大学の、えーと……」

「ウン・カイです」

 指名されたウン・カイという青年が自分の詩を読み上げた。再び他の生徒が批評を加えて行く。その中でクワラ・ハミの批評はとりわけ鋭い光の矢のように的確に的を射ていた。他の大きな声の生徒達の身振り手振りを加えた大仰な批評に比べ、クワラ・ハミの静かな言葉はまるで磁石のようだ、とマルは思った。そこには詩に一つ一つ真剣に向き合う彼女の誠実な姿勢が感じられた。

(ハミさんは本当に詩を愛してるんだ!)

 そう思うと、マルは何だか嬉しかった。

 クワラ・ハミが自分の詩を披露する番になった。彼女は、「シリ」という花のように船出するあなたを岸辺から見送る、という恋の詩を読み上げた。

「『シリ』ってどんな花なんですか!?」

 今までずっと黙っていたマルは、とっさにクワラ・ハミに尋ねた。

「ありふれた花です。まるで雑草みたいにあちこちに咲いてます。ほら、あそこにも」

 ハミは窓の外を指さした。

「ああ、あれがシリですか! すごくかわいい花ですね! トアンに来てからあの花に私はどれだけ癒された事か! けれどもかわいいだけじゃなく生命力もあるんですね!」

 マルはさらに詩の感想を言おうとしたが、背の高い青年がそれを遮り、大きな声で批評を加え始めた。

(せっかくいい詩を聞いても、こんな風に包丁で切り刻まれるみたいにされているのを聞くのは何だか疲れちゃうな……)

 マルは、自分にしか分からない小さな溜息をついていた。

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