第26話 恋 7

 マルがさっそくかつての学友に手紙をしたためようと紙を広げた時、扉を叩く音がした。扉を開けると、シュシキンがそこに立っていた。

「どうだった? 大学の初日は」

「うん。楽しかった」

 しかしマルの口からそれ以上の言葉が出て来なかった。確かに大学は楽しかったが、帰りの出来事がマルの心に影を落としていた。

「おやおや、難しい顔をしてるね。理工学部の、頭の中が数字だらけのつまらない奴が来たと思ってるかい? それともがめついシャク人野郎が来たって思ってるかい?」

「まさか、そんな!」

「でも君の大好きな文学作品の中では、いつもシャク人は悪者だろう? 悪徳商人やずる賢い高利貸し、といったら大概シャク人だ。『アニュスの商人』という戯曲に描かれたやぶにらみの冷酷な金貸し、あれこそが君のイメージするシャク人だろうね!?」

「そんな! 『アニュスの商人』は名作だけども、シャク人がみんなあんな意地悪だなんて信じないよ!」

「そうか! それは良かった! 俺は文学が大好きだけども、ああいうのを読む度にちょっぴり傷付き、二、三日は本を読む気を無くす。でも大した事じゃあない。また数日たてば本を読みたくなる。その位俺は文学が好きなんだ! シャク人の頭の中にも金ばかりじゃなく詩がある事を知って欲しいね! 実は俺は君を文学サークルに招待しようと思っている!」

「文学サークル!?」

「おお! 君の瞳が輝き出したね! 昔の詩人のサロンの如く、酒を飲み交わしつつ大いに文学について語り合おう、という集まりだ! 素晴らしい事に、この集まりには女性もいる! 来てみたくはないかね!」

「もちろん、喜んで!」

 マルの心の中に漂っていた黒雲が、一気に消え去った。文学サークル、つまり文学について語り合える友と出会えるという事だ! これこそマルが待ち望んでいた事だ。

(ああ、おらは何て友達に恵まれてるんだろう! タガタイの学校ではシンやタク・チセンに出会えて、ここではシュシキンに出会えた)

 マルがシュシキンと出かける準備をしていると、スヴァリの声が聞こえた。

「ねえねえ、私も連れてって! 今日一日、たった一人でこの辛気臭い部屋に独りぼっちにさせられた身にもなってよ!」

「君は行っても退屈すると思うよ」

「連れて行かないって言うの? あんただけお酒飲んで女の子とお喋りしていい気になるつもり?」

「いや、メインはそっちじゃなくて……」

「ひどい! ひどい! ひどい!」

 マルはため息をついてスヴァリを背負った。こうなったらスヴァリは何を言っても聞き入れない。

「おや、その小さな楽器も一緒かい!?」

「うん。ねえ、こんな物持って行ったら、サークルの仲間に変に思われるかな?」

「変に思う人もいるかもしれないし、興味を持つ者もいるかもしれない。興味を持つのはたいがい女性さ。カサンの男はどうしようもないね。カサンの文化こそ世界一だ! と思い上がって、我々留学生の文化などに目もくれない。もしこの楽器に興味を持ってくれる女性がいたらしめたものだ! 楽器は女性との仲を縮めるきっかけになるのさ」

 シュシキンとこんな話をしながらたどり着いたのは、瀟洒な二階建ての建物だった。

「ここはトアン大学の学生に人気の酒場さ。値段も手ごろで酒も料理もうまい。そして月に二度、この店の二階に学生たちが集まって大いに文学について語り合うんだ。ここにはトアン大学だけでなく、他の大学のお嬢さん達も来るからね。文学を通じて親交を深め、気の合う女性がいるとデートに誘う!」

「結局そっちが目的なんでしょ?」

 マルは笑った。

「不純だというのかい? 恋は素晴らしいものじゃないか! 恋は芸術家に霊感を与えるものだ。それに国際親善を進めるものでもある! 俺とカサン人の女性が結婚する。そうして血が混ざり合う事で偉大なカサン帝国臣民の一丁上がり、というわけさ! 君はせっかくカサンで学ぶ事を許されたんだから、カサン人の恋人を見つけてカサン人と結婚する事を考えてみたまえ!」

(結婚……!)

 マルはその言葉を聞いたとたん、胸の中に電気が走った気がした。マルは幼い頃から、イボだらけの醜い自分が結婚など出来るはずがない、と思っていた。けれども今はイボも無くなった。結婚を真剣に考えても良いのではないか? 遠い昔、幼馴染のナティに「お前は結婚したいか?」と聞かれた事を思い出した。

(ナティ、君は結婚なんてしたくないって言ってたよね。おらはしたいよ。一緒にごはんを作って、食べて、夜遅くまで話をして、一緒に笑って……子どもが出来たら子どもも一緒に。出来れば詩や物語が好きな女性がいいなあ……)

 思いにふけるマルの横で、シュシキンの言葉が続く。

「いいかい、『この娘がいい!』と思ったら、一瞬もためらうなかれ! 飢えた鷹が獲物に飛びつくように、すぐにデートに誘うんだ! 君は狩りをしたことがあるかい? ちょっとでももたついてると獲物は逃げて行く!」

「すぐデートになんて無理だよ! まずは詩を書いて送って、返事があれば……」

「何てじれったい! 君が詩の最初の一行を考えているうちに、女性は誰か他の男と手をつなぎ口づけし合っている!」

「でも、みんな文学が好きな人達なんでしょ? それに口じゃ十分思いを伝えられないよ!」

 そんな事を言い合っているうちに、マルはシュシキンと共に居酒屋の二階にたどりついた。


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