第24話 恋 5

 翌朝、マルがシュシキンと共にトアン大学の門をくぐり、石造りの校舎を仰ぎ見た瞬間、

(ここはまるで魔物の御殿じゃないか!)

 と思った。

(そうだ! イボイボのトゥラの物語の中でトゥラが魔物の娘のアルマティカに恋をし、彼女を手にいれるために御殿を訪れて父親の試練を受ける。あの場面みたいだ……)

「おや、君は大物だね」

 隣を歩いていたシュシキンが言った。

「僕は昨年、ここの門をくぐる時緊張の余り足が震えたよ。けれども君は笑ってるね」

「すごく緊張してるよ! でも緊張し過ぎると、なぜだか笑っちゃうんだ」

 やがてマルはシュシキンと別れ、一人文学部の校舎に向かった。目に映るのは体の大きなカサン人の生徒ばかり。自分のような留学生らしい者の姿は見当たらない。みんな大人びた立派な服装をしているが、自分はタガタイ第一高等学校で支給された制服をそのまま着ている。タガタイの高等学校では皆が同じ格好をしているため、ひどく異様に見えたが、今では自分一人がひどく目立つ格好をしているようで恥ずかしかった。

 教室に入ると、マルは後ろの端の席に腰を掛け、授業を待った。なるべく目立たない席に座ったつもりだったが、何人かの生徒は入って来るなりマルに気付いて一瞬「おや?」という表情を見せた。しかしマルに話しかけてくる生徒はいなかった。

 始業開始間際になって、五人の女学生が一塊になって教室に入って来た。その瞬間、教室の中はパッと華やいだ。教室には五十人程の生徒がいたが、女学生はこの五人だけだった。カサン帝国では伝統的に「女性に学問はいらない」という考え方が主流で大学にまで行く女性は少ないという。女学生達は始業のベルが鳴ってもしばらくお喋りをしていたが、そのうち一人が振り返ってマルに気付き、

「あらっ」

 と言うと、他の四人の生徒もいっせいに振り返った。マルは恥ずかしさの余り下を向いた。

 やがて教官が入って来ると、女学生達はお喋りをやめた。

 授業の内容は、カサン中世の軍記物についての講義だった。タガタイ第一高等学校にいた時のように、順番に当てられて間違えたら怒鳴られる、という恐怖を味わう事も無かったので、マルは楽しんで講義を最後まで聞いた。

 授業が終わると、好奇心の塊のような女学生達が、さっそくぞろぞろとマルの方へやって来た。

「留学生? どこから来たの?」

「アジェンナから来ました」

「アジェンナ?」

「ええ。ずっと南の方にあります。ひょうたんみたいな形をした島国です。そこは一年中夏で暑いんです。一年中、上半身裸で過ごす人もいます」

 マルがこう言うと、どういうわけか周りの女学生達はクスクス笑った。一人の女学生が尋ねた。

「小さくてかわいいのね。子どもかと思った。アジェンナの人ってみんなこんなに小さいの?」

「カサン人に比べたらだいたい小さいんですが、私はその中でもとりわけちびですね」

 再びさざ波のような笑いが起こる。マルは、自分は何か変な事を言ったんだろうか? と不思議な気分になった。

「名前は?」

「ハン・マレンです」

「カサン人みたいな名前じゃない」

「カサン人の先生からもらった名前なんです。アジェンナ式の名前はマルーチャイ・アヌー・ジャンジャルバヌイといいます」

「フフフフ、何? ねえ、もう一回言ってよ!」

 あんまり女学生達が笑うもんだから、マルは自分が見世物小屋の珍獣にでもなったような気がしてきた。

 この時、マルは五人の女学生の中でたった一人、笑い声を立てる事なく静かな微笑みを浮かべてマルを見詰めている女性に気が付いた。他の都会的で華やかな女学生達とは違い、素朴な雰囲気をまとっている。服装も質素で、化粧もしておらず、おかっぱにした髪には何の飾りも付けていなかった。マルはなんとなくこの女性に惹かれてふっくらした頬をじっと見詰めていると、相手はそっとうつむいた。その控えめな仕草は、故郷スンバ村の女性達に通じるものがあった。マルはこの人と特に話をしてみたい、と思った。淡いピンク色の唇は溶けそうなほど柔らかく見える。あの唇から出て来る言葉を聞いてみたい。出来る事なら触れてみたい……。しかしマルは、そんな思いを悟られないようにサッと周りを見渡し、こう言った。

「さっきからずっと、私ばかりが質問されていますね! どうか私にも質問させて下さい! 皆さんお一人お一人の名前を教えていただけませんか!?」

 またもやクスクスという笑い声が起こったのち、女学生達は一人一人自分の名前を言った。最後に、マルが一番その名を聞きたいと思っている人が口を開いた。

「クワラ・ハミ」

 それを聞いた瞬間、マルは自分の心臓がブルッと震える音を聞いた。「ハミ」は「歌」という意味だ。

「おや、ハミさんですか! ぜひあなたの歌を聞きたい! どうかここで一曲歌ってくれませんか?」

 またしても、再び女学生達の大笑い。

「私、歌は下手だから……」

 クワラ・ハミはそう言うなり、サッとこの場から離れ、自分の席に戻った。

(ああ、しまった!)

 マルがこう思った直後、始業のベルが鳴り、女学生達は皆ぞろぞろと席に戻って行った。

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