第6話 故郷に向かう列車 6

 マルが歌い出そうとして息を整えている、その時だった。突然、胸に雨雲を詰め込まれたかのような息苦しさを感じた。マルがこれまでに味わった事の無いような感覚だった。

(何……一体どういう事……?)

 マルはとっさに胸を押さえた。

「おい、どうかしたか?」

 シンの声が聞こえる。

「うん。今ちょっと、歌を思い出してるとこ」

 胸の苦しさはすぐにおさまると思いきや、だんだんひどくなってゆく。

(列車に揺られ過ぎて酔った……? さっきまであんなに気持ち良かったのに)

イオとサニクが心配そうに自分を見ているのが分かった。

やがて胸を押さえたままじっと膝を見詰めているマルの全身をぎゅうぎゅうと押さえつけるような声が響いた。

「誰だ! 誰だ! 誰だ! わしの土地を切り裂く者は!」

 マルはハッと胸から両腕を離し、周囲を見回した。皆の視線はマルに注がれている。マル以外の誰にも今の声は聞こえていないらしい。

(だとしたら妖怪だ!)

 妖怪の姿が見える者はいる。しかしその言葉が分かる者は自分以外ほとんどいない。声はどこか一か所から聞こえてくるというよりも、空全体からマルの身体にのしかかるかのように響くのだ。

「そこの細長いお前だな! わしの体を切り引き裂く奴は!」

(怒ってる! ……この列車に怒ってるんだ!)

 マルは物心ついた頃から妖怪の声を聞く事が出来た。マルに話かけてくる妖怪はたいがい面白い話をしてくれるか、ちょっとした悪ふざけや意地悪な事を言ってマルを困らせるのがせいぜいだった。妖怪が自分にこれ程の怒りの言葉を聞かせた事は無かった。

「おいおい、おめえ、顔が青いぞ! やっぱりおめえに特等席は無理だったな! 次の駅で中に戻れ! ゲロ吐くんなら俺の膝の上にしろ!」

「ゲロじゃない。妖怪の声が聞こえるんだ」

「は!?」

「なんかすごく怒ってるみたい。イオ、サニク、何か見えたり聞こえたりしない!?」

 イオとサニクは互いに顔を見合わせ、そして首を振った。イオとサニクは妖怪ハンターの子だ。人に害をなす妖怪が近くにいれば、大概気付くはずだ。

「ウウウウ、痛い! 痛いぞおおお! 人が作った醜い龍め! まがい物の龍め! お前らを木っ端みじんにしてやる!」

「聞こえるんだ! 何か、とてつもなく大きい物が上からぐわっとのしかかって来るような、そんな声なんだ!」

「天空霊?」

 マルの膝にくっつくようにしてマルの顔を見上げている小さな男の子が言った。 天空霊。その言葉をマルが耳にしたその時だった。夕焼けに赤紫色に染まった雲の間が開き、巨大な、ピカピカ光る眼玉が現れた。その目はカッとマルを睨みつけている。マルは恐怖の余り一瞬にして体が石になったかのように動けなくなった。口を開いても舌も動かない。言葉が出て来ない。みんな、じっとマルの様子を見つめている。マルの目の前の男の子は、グッと頭を持ち上げマルの視線の先を見た。

「ああ! いる! いる! 天空霊があそこにいる! おらたちを睨んでるよ! 怖いよう!」

 天空霊が本当にこの列車を木っ端みじんにしようとしているのなら、一刻の猶予もならない。しかし走っている列車から飛び降りたりしたらみんな大怪我をするだろう。それに列車の中にいる人たちはどうなる!? マルはシンの膝にしがみついた。

「どうしよう! 天空霊が怒ってる! この列車を木っ端みじんにするって言ってる!」

「何だって!?」

 瞬く間に、列車の上は騒然となった。切符を買えず屋根の上に乗っている者のほとんどが妖人だ。妖人には普通の人には見えない天空霊が見えるのだ。空を覆う雲の色が突然茜色から真っ黒になった。その中で天空霊の金色の目だけは不気味に光って見える。やがて、雲の一部が竜巻に変化したかと思うと、地上に向かってにゅーっと降りて来た。

「ひゃああ!!」

 マルの足元にいた小さな男の子はマルの膝にしがみついたかと思うと、ウっ、ウっ、としゃくりあげ始めた。

「よし、そんなら俺がこの列車を止めてやらあ!」

 シンが立ち上がった!

「無理だよ! 王子様じゃないんだから! いや、王子様だけど!」

 伝説のラーレ王子は誤って尻尾を射られ怒り狂うサソリの前にたちはだかり、その暴走を止めた。けれどもそんな真似、実際に出来るわけがない。

「ずっと前の方にこいつを動かしてる奴が乗ってんだろ? そいつに話してこの列車を止めさせてやる! マレン、俺の背中にしっかりつかまってろ!」

 シンはいきなりマルを背負い、先頭車両に向かって駆け出した。

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