第5話 故郷に向かう列車 5

 橋を渡り切ってしばらくして駅に到着し、列車は止まった。十数人の客が降りてゆく。マルに

「ありがとうよ」

「いい声してるなあ」

「投げ銭やはやらねえよ。だってお前さん、物乞いじゃなくて学生だもんな? しかし近頃の学生は物乞いの真似事をするとは、時代も変わったねえ」

 こんな声をかけながら。マルの隣のおばあさんは、マルにそっと顔を寄せ、

「あんたやっぱり妖人だね。その歌声は妖怪に授かったもんさ。間違いない」

 と言ってニヤリと笑った。

「おうい、マレン! おめえ随分そこで楽しそうにやってるじゃねえか!」

 シンが列車の屋根の上からひょこっと頭を逆さに覗かせて言った。

「こっちの連中にも歌を聞かせてやってほしいぜ。上がって来いよ! お前が寝ぼけて落っこちねえように支えといてやる!」

「本当!? 分かった!」

 マルが立ち上がって窓枠から身を乗り出すと、シンが引っ張り上げてくれた。そこには大勢の若者や子供がひしめき合っている。みんな切符代を払えない貧しい者達だが、表情は生き生きして楽し気だ。そしてマルの後にもさらに一人、また一人と列車の上に上がって来る少年達。やがて列車が滑るように走り出すと、子供たちは

「きゃああ!」

とはしゃいだり口笛を吹いたりし始めた。

「ここが特等席っていうのは本当だね。まるで龍の背中に乗ったラーレ王子の気分だ」

 マルはさっそく伝説のラーレ王子の歌物語を口ずさみ始めた。なんという気持ち良さ! 歌は口から出たとたん、翼を付けて天を駆け巡り、青空に飛んで行く。有名なくだりになると、車上の子供や若者達は体を揺らし、一緒に歌い始めた。

(みんなで歌うのって、なんて楽しいんだろう!)

「ラーレ王子の行く手には 天覆う程の大きさの 巨大蝙蝠羽広げ ぶうんぶうんと羽音立て ラーレ王子を脅します ラーレ王子は龍の背の 鱗踏みしめ立ち上がり 黄金の弓に銀の矢を つがえてびゅんと放ちます 矢が蝙蝠の心臓を貫けは あふれる血にて夕焼け出来る 蝙蝠痛みに耐えかねて 夜闇を大きく書きまわし 月と星とをパラパラと アジェンナの地に降らせます……」

 ラーレ王子に撃たれた大蝙蝠が空で暴れたため月や星が地上に落ちて来るなんてナンセンスだ、という事を、マルは成長と共に学んだ。

(でも、そんな日だって来ないとは限らないじゃないか! だっておらがこんな風にラーレ王子みたいに列車の上に乗る日が来るなんて、少し前まで想像出来なかった! 列車を初めて目にした時は、ただただ恐ろしかったのに……)

 マルはやがて、自分を見詰めるたくさんの瞳の中にナティのそれを見たような気がしてハッとした。まさか! と思って思わず目をこらすと、相手もじっとマルを見詰めている。少しの間、時が止まったかのように二人は見詰め合っていた。

「もしかして、君はイオ?」

「…………」

「マルだよ! イボイボのマルだよ!」

「マル!」

 少年は叫ぶように言った。彼の後ろから彼にそっくりな少年がもう一人現れた。

「マル!」

「君はサニクだね!」

 イオとサニク。ナティの双子の弟達だ。かつて二人にはよく歌を聞かせたり絵本を読んであげたりしたものだ。イオとサニクは、列車の上にひしめく少年少女達を長い腕でかき分け、マルの傍にやって来た。

「歌を聞いたらマルじゃないかなって思って。でも、イボが無い」

「イボが無くなる注射を打ったんだ」

「その服はタガタイの学校の服? マルはタガタイでえらい人になるんだって聞いたけど、本当なんだね!」

「違う! 全然違うよ!」

 イオとサニクは矢継ぎ早にマルに質問をした。そしてそれは尽きる事無く続く。

「ねえ、ところでナティはどうしてる?」

 マルはようやく聞きたい事を尋ねた。

「ナティとはずっと会ってない。家出てっちゃったから」

「家を出たって、それはいつ?」

「うーん、マルがタガタイに行った少し後かな」

「え! そんなに長く!? 今どこに?」

「よく分かんない。父ちゃんにパンジャの所に嫁に行けって言われて、それから出て行ったんだ」

「パンジャ……」

 マルはそう言ったまま黙り込んだ。あれ程結婚を嫌がっていたナティだ。よりにもよってあの意地悪なパンジャとの結婚を迫られるとは! どれ程つらかっただろう……。      

「元気なのかな」

「うん。元気みたい。最近手紙が来た。

「そうか。元気なら良かった」

「ねえマル! ダニーの歌を聞かせてよ! ダニーってすごかったんでしょ?」

 サニクが言った。ダニーはナティやイオやサニクの母ちゃんだ。腕利きの妖怪ハンターだと評判だった。けれどもダニーはイオとサニクがまだ赤ん坊の時に、妖怪退治の時の負傷がもとで死んでしまったのだ。マルは幼い頃、母ちゃんからたくさんダニーの武勇伝を聞いて育った。この二人がダニーの事を聞きたがるのは当然だ。マルは二人にダニーの話を聞かせてやった。マルが歌っている間、二人のまなざしの熱がじりじり自分の頬を焦がすようだった。

 ダニーの冒険を一つ語り終えると、さっそくサニクが言った。

「あーあ! なんでダニーは早く死んじゃったんだろうな! ダニーが生きてれば、いろんな事教えてもらえたのに! あんな臆病で酒飲みでだらしない父ちゃんがいてもしょうがない!」

 サニクは頬を膨らませながら言った。

「こいつは末っ子だから真面目なんだ」

 イオが茶化すように言う。末っ子は親の持っている技の全てを引き継ぐのが故郷の習わしだ。しかしサニクは母ちゃんの優れた技を教わる事が出来ないのだ。マルも末っ子で早く親を亡くしたので、サニクの気持ちはよく分かった。

「君達の父ちゃんが臆病なのは悪い事ばかりじゃないよ。それで長く生きる事が出来るんだから。それに君達の父ちゃんはとてもよく妖怪の事を知っているよ。今度話を聞いてみるといいよ」

「臆病でだらしなくて酒飲みでもいーじゃねー! おめえらの親父はおめえらをぶんなぐったりはしねえだろ?」

 シンがいきなり口を挟んだ。

「俺の親父なんて、臆病な上に俺を殺そうとしやがったぜ!」

 イオとサニクが、猿面を付けた奇妙な若者を不思議そうに見上げる。

「こいつ誰だ? って顔してるな! 聞いたら驚くぜ! アジェンナ国王子のヤーシーンってもんだ! よろしくな!」

 イオとサニクはというと、ぽかんと相手の猿顔を見詰めるばかりだった。王子様が列車の上で「よろしくな」なんて言ったりするだろうか? いや、普通は無い。一瞬白けた空気が漂った。

 イオとサニクは再びマルの方を向き直った。

「ねえ、ダニーはどんな風に凄かったのが教えてよ!」

「おらも実際見たわけじゃなく話に聞いただけだけどね。ああそうだ! ナティもすごいんだよ。村に人面獅子が出た時、ナティがどんなに活躍したか、これなら十分見たままを話してあげられるよ! ところでナティは今、どこで何してるんだろう?」

「手紙によると、どうも集会やってるみたい。おらも誘われたんだけど……」

「集会? 集会ってどんな?」

「…………」

「本を読んだり算術を習ったりするの?」

「それが……」

 サニクの口ぶりは重かった。

「ナティはどうもカサンが嫌いらしくて……」

「…………」

 マルは、自分の胸が大きく抉られたような気がした。ナティは確かに、ヒサリ先生やカサン人に反発心を持っていた。ナティが言っていた事も、タガタイ第一高等学校での理不尽な出来事を経験した今となってはよく分かる。しかしナティがカサン帝国を攪乱するために何か過激で危険な事を企んでいるとすると……。マルは重苦しく黙り込んだ。

「ねえねえ、もう終わり? 何か他のを歌ってよ」

 マルのすぐ傍に座っている男の子が歌の続きをせがんだ。

「そうだね。君は何が聞きたい?」

「怪力ユシテと人喰い人魚の話!」

「分かった」

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