第1話 故郷に向かう列車 1
「はぁぁぁぁ!? 列車に乗るのにそんなに金かかるのかよォォ!」
早朝の薄暗い、まだ人気の少ない駅に、シンの声が響き渡る。マルは茫然として駅員のピンととがった口髭を見詰めていた。困惑したままゆっくり視線を落とす。駅員の手にした切符を目にした瞬間、重大な事に気が付いた。
「ああ、これは一等車の切符ですよね! 私たちは三等車でいいんです! 三等はいくらですか?」
そのとたん、駅員の口髭がピーンと伸び上がった。
「タガタイ第一高等学校の生徒さんを三等席にお乗せするわけにはいきません! 最低でも二等です! そんな猿の面を付けてふざけてたって、良家のお坊ちゃんである事には変わりありませんからね」
マルはため息をついた。タガタイ第一高等学校の制服など着て来なければ良かった! しかし自分の持っている服はこれと寝巻だけだ。もし制服を脱ぎ捨ててしまえば、マッチ棒のような貧相な体に褌を巻いただけの情けない姿になってしまう。マルの故郷スンバ村では、男は腰巻だけして上半身裸が普通であったが、栄えある首都タガタイでその格好は目立つ。
「学校は卒業したから関係ねえ! 三等売ってくれよ!」
シンは駅員室の窓から「ふざけた猿の面」を付けた頭の乗った細い長身の体を突っ込むかのような勢いで言う。そもそもシンが猿の面を付けているのは別にふざけているからではない。彼はアジェンナ国の王子なのだが、猿の面でそれを隠しているのだ。
「良家のご子息を三等席に案内したとなると後でどんな罰を受けるか分かりませんからね」
「良家もクソもねー! こいつの両親は死んだし、俺の母親も死んで父親は俺をぶっ殺そうとした外道だっつーの!」
「とにかく三等はいけません! 三等はあそこに群がっている薄汚い連中が乗る車両です!」
駅員の指さした先には、何日も洗ってないような粗末な服を身に着けた男達が次々列車の中に入り込んで行く様子が見えた。
「薄汚い連中」という言葉を聞いた瞬間、マルは自分の心臓がギュッと絞められるような心地がした。
(昔はおら自身がそんな風に言われてきたんだ……)
そんな風に言われる事が当たり前だと思ってきた。しかし自分を泥の中から拾い上げてくれた恩師のオモ・ヒサリ先生から、この国には「貧富の格差」や「差別」という物があり、それは無くしていかなくてはならないものだという事を学んだ。しかしそれが存在するのはアジェンナ国の小さな片田舎だけではない。アジェンナの首都タガタイも、幼い頃からずっと憧れて来たカサンもまた矛盾に満ちているという事を、成長と共に知る事となった。
列車が出発間近である事を知らせる鐘が鳴り響く。これ以上駅員と話し合っても埒が明かない。マルは言った。
「一等に乗るお金はありません! お金はこれで全部です! 二等なら足りますか!?」
駅員は渋々、といった様子で肩をすくめると二等の切符を出した。マルとシンは、切符を受け取るやいなや、全速力で駆けた。
「間違えちゃいけませんぞ! 二等の乗り場はそっちですぞ!」
駅員が背後から叫んだ。なぜそう言われたかは、乗ってすぐに判明した。二等車両と三等車両の間は通り抜け出来ないように扉の無い壁で仕切られている。ひとたび等級を間違えて乗ると、次の駅に着くまで車両を移動する事が出来ないのだ。しかし二等車両と三等車両の間の壁には汚れたガラスのはまった窓があり、マル達の席から三等席の様子を見る事が出来た。さっき駅員が「薄汚い連中」と言った人々が、通路までびっしりとひしめいている。みんな疲れ果てているのか土で出来た人形のように表情が無い。
「なるほど! 確かに三等はえらく居心地悪そうだなあ。男があんなにうじゃうじゃしてりゃむさ苦しくて寝れやしねえ! 全員女なら天国だけどな! さあてと、俺は寝るぜ!」
シンはそう言ったかと思うと座席に座ったまま腕を組み、目を閉じた。すると十秒後にはもういびきをかき始めた。眠くて疲れているのはマルも同様だった。何しろ明け方近くまで、学校の寮の部屋で別れを惜しむ後輩ワック・リム、コイ・タイの二人と話し込んでいたのだ。しかし今、マルの目は夜を照らす満月のように開ききったままだった。自分はむしろ三等車両の床に丸まっている方が、よほど落ち着いて眠れるだろう、と思った
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