赤い自転車
八万
第1話 赤い自転車
「ただいま! 母さんちょっと来て来て」
高校から帰った
「あらあら、どうしたの大夢。そんな慌てて、何かあったの?」
大夢の母は今日はパートが休みでちょうど夕飯の準備をしているところであった。大夢がどうしても今夜食べたいと言っていた豚肉のすき焼きだ。
大夢は子供の頃から大体いつも騒がしくて落ち着きがなかったが、今日は朝からいつにも増して落ち着きがなかった。
好物の卵納豆ご飯をぺろりと平らげるとそそくさと学校に登校していたから彼女は怪訝に思っていたのだ。
だから今も何か問題でも起こしたのかと内心とても心配していた。
「いいから母さん、ちょっと下まで来てよ」
そう言うと大夢は、彼女お気に入りの赤いエプロンの裾を摘まんで早く早くと急かした。
やっぱり何かあったのね。と彼女は少し頭が痛くなった。
彼女は三か月前の事が頭をよぎる。
「ただいまー、母さん、ちょっと来てー!」
帰りの遅くなった大夢を心配していた彼女は玄関まで小走りに駆け付けると、そこには大夢とその隣に小学校低学年くらいの小さい女の子がヒックヒックと泣いていた。
大夢に話を聞くと近所の公園でこの子が泣いていて可哀想だから家まで連れてきたと言う。
ようやく泣き止んだ女の子に話を聞くと友達と喧嘩してしまい、悲しくて公園でずっと泣いていただけだと分かった。
その後女の子の親御さんが迎えに来て彼女は只々平身低頭謝罪してなんとか問題にならずに済んだが、その後しばらくは大夢が女の子に悪戯をしたらしいという噂が流れていた。
そのため彼女は近所の人がひそひそ話をしているのを見るたび、気まずくなってそそくさとその場を離れるのであった。
大夢が小さい頃にもいろいろなエピソードがあった。
保育園でのこと。大夢が一人で園の庭の隅でしゃがみ込んで何かをしているのを保育士歴二年目と若い担任の茜先生が見つけて、大夢に何をしてるのか質問したそうだ。
「んーとね、アリさん食べてるの。先生も食べる? すっぱくておいしいよ」
そう言うと大夢は彼女の唖然としてる口にアリをポイと放り込んでしまった。
それ以来、大夢は茜先生から要注意園児として密かにマークされることになる。
しかし当の本人は特に気にする様子もなく、相変わらずセミの抜け殻を女の子にプレゼントして泣かせたり、楽し気に裸で女の子を追いかけ回したりしていた。
その親御さんから園にクレームが入ると、茜先生から彼女の元にメールが来るのだ。
その度に彼女は自分の育て方は間違ってるのかしらと思う事があった。
大夢は現在高校一年生だ。
大夢には悪気は無いのだが今でもちょっと変な所があるのだ。それを彼女はいつも心配していた。
こんな時夫が居てくれたら相談できるのにと彼女は思うのだが、大夢が小さい頃に突如夫が失踪してからというもの、彼女はパート終わりに心当たりを探しては失意の帰宅という事を繰り返していた。
そんな中で、元々体の弱い彼女は体調を崩すことがままあった。
大夢に半ば強引に団地の外まで連れて来られた彼女は不安でいっぱいであった。
今度は何だろうと。
まさかまた子犬でも拾ってきたのだろうか、といらぬ心配が湧いて来る。
この団地は基本動物を飼う事は禁止されているのだ。
彼女は、やっぱり育て方を間違えたのかしらと思い始めた。
「ちょっと待っててよ! すぐ戻ってくるから!」
大夢はそう言うと全力疾走で団地の裏へと駆けていった。
鬼が出るか
遠くでカラスが鳴いている。
もう日が暮れつつあり辺りに人影は無くそれがまた彼女の不安を助長している。
大夢はすぐに走って戻ってきた。赤い自転車を押しながら。
「ジャーン! どう母さん? カッコイイでしょ! 赤い自転車だよ」
「えっ、大夢、どうしたのその自転車」
彼女は戸惑っていた。
歩くには少し遠い高校に大夢が上がる時、彼女は大夢にお祝いも兼ねて自転車を買ってあげようとしたのだが、俺は歩きで大丈夫だからとあっさり断わられたのだ。
「バイト代入ったから買っちゃった! どう?」
「そうね……カッコイイんじゃない? 気を付けて乗るのよ」
彼女は大夢がバイト代で通学用の自転車を買うことで家計を助けようとしてくれたんだと気付いて目頭が熱くなった。
「ははは、何言ってるのさ。母さんが乗るんだよ?」
「えっ……大夢……なんで……」
大夢は母の勘違いに苦笑いしていた。
「だって母さん……たまに帰り遅くなるだろ。それに買い物も楽になるし……母さん? どうしたの?」
大夢は母が失踪した父を自分に心配かけないよう内緒で探している事を知っていた。
だから少しでも助けになればと考えて、母の日に女性でも乗り易い自転車をプレゼントしようとしたのだ。
残念ながら彼のバイト代では電動のものは手が出なかったが。
彼女の目からは涙が溢れ出して止まらなかった……
いつしか彼女は大夢に駆け寄ると膝をつき彼の腰にぎゅっとしがみ付いて号泣していた。
「ごめんね……ごめんね……お母さん……お前に何もしてやれなくて……ごめんね」
このとき彼女はずっとずっと思っていて言えなかった事を、とまどう大夢にぶちまけた。
彼女はただただ謝罪ばかりを繰り返していた。
大夢はなぜ母が謝るのかまるで分からず戸惑っていたが、自分が子供の時に母にされたように母の頭を優しく撫でていた。
「母さん いつもありがとう」
大夢が照れた様にそっと母に言う。
その言葉を聞いた彼女は自分の育て方は間違っていなかったんだとようやく気付いた。
気付いたらまた彼女は涙が溢れ出してきてそれを隠す為か大夢をより強く抱き締めていた。
(あなた……大夢はこんなに立派に成長したよ。だからねえ早く帰ってきてよ……)
彼女はそう願わずにはいられなかった。
夕暮れが親子そして赤い自転車を一瞬優しく照らすと辺りは静かに暮れていった。
その日の夕飯のすき焼きは二人にとっていつもより特別おいしく感じた。
大夢はいつもよりご飯を多くおかわりしたし、彼女もいつもはご飯半杯だがその日は珍しく一杯を平らげた。
彼女は大夢が美味しそうに豚肉を頬張っているのを、箸を止めて幸せそうに見つめていた。
「母さんどうしたの? もう食べないの?」
「ううん。よく食べるなって思って」
彼女はもしお父さんがいたらもっと賑やかに幸せなのにと、ふと頭をよぎり大夢に気付かれぬようそっと目元を押さえた。
大夢と彼の母は、束の間の小さな幸せを胸に感じながら、その日の夜は優しくゆっくりと
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赤い自転車 八万 @itou999
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