後編 これから

 高校近くの喫茶店で深山さんと蔓見、そして俺でテーブルをはさんでいた。

 座ったのは大きな窓のそばの席。窓の向こうには公園があり、子供の声がうっすら聞こえる。店内の灯りは控えめだが外から光が差し込むため薄暗い印象はない。


「すみません、ブレンドコーヒーを3つお願いします」


 深山さんはそっと手を挙げて店員さんに注文していた。

 一方俺と蔓見は某司令官のごとく両肘をテーブルについて両手を重ね、そこにあごを乗せたようなポーズをとっている。ただし本家と違い覇気やミステリアスなオーラはない。似ているのは重々しい雰囲気だけだろう。


「ここはあんまり高校生向けの店じゃないから普通に話して大丈夫だと思う。……二人とも、お疲れ様」

「「………………」」


 俺も蔓見も言葉を返さない。

 申し訳ないとは思っている。俺と鶴見だけだったら一時間くらい二人でくっついて固まっていたことだろう。さすがに一時間もすれば誰かの目に触れるだろうし、変な噂が立っていたかもしれない。

 教室から引っ張り出してくれて、コーヒーまでごちそうしてくれるという深山さんには感謝の言葉もない。ないのだが、いろいろ衝撃が多すぎて大きすぎて処理しきれない。何か言わなきゃと思っても声が出ない。

 そんな心情を察してくれているのか深山さんに気分を害した様子はない。困ったように半端な笑みを浮かべるだけだ。

 ……これはいけない。頑張れ俺の中の男の子。まだ意地を張れるだろう?

 

「いろいろ予想外だったな、うん。いろいろ。蔓見もなんだ、元気出せよ」

「人の心配できるから石丸くんはすごいよ。石丸くんだってきついだろう?」

「頑張って気合入れてるのでそこは突っ込まない方向で。深山さんもありがとう。俺一人じゃ人気のない廊下で朽ち果てるところだった」

「どういたしまして」


 頑張って茶化す。茶化さないとこの場で燃え尽きてしまいそうだからだ。


「ところで朱里はどうしてこんなにショックを受けているの? 後半は聞き耳を立ててしまっていたけど、前半はあんまり聞こえていなかったんだ」

「女の子が好きだからって俺を振ったのを聞いて期待した直後にもっと小さい子が好きだって言われたからだと思う」


 自分で言ってまた少し落ち込んできた。

 ……ふられちゃったんだよな、俺。


「上げて落とされちゃったか」

「なんだ、蔓見。性別と年齢のふたつで振られた俺と違って、お前が振られた理由は年齢だけだ。もうちょっと時間が経ったら蔓見は恋愛対象になる可能性があるかもしれない」

「振られた振られた言うなし……フォローしたいんだかトドメ刺したいんだか分からないんですけど……」


 ようやく蔓見が口を開いた。

 なお、トドメが刺さっているのは俺もである。いらねえセルフサービスだ。

 

「二人とも、考えようによってはそう悪い振られ方じゃないと思うんだ。恋愛対象だけど人格が気に入らないからって言われたわけでもなし、たまたま二人とも恋愛対象として見れない人だっただけであって――」

「待ってやめて深山さんきっつい痛いつらい蔓見にも刺さってるからやめて」


 深山さんのフォローは鋭利に心をえぐってくれた。さてはこの人失恋経験ないな?

 蔓見は両手で顔を支える力も失いテーブルに突っ伏してしまった。

 そうこうしている間に店員さんがコーヒーを持ってきてくれる。

 小さなカップに入ったお高そうなコーヒーだが、その香りは普段飲む機会があるコーヒーとまるで違っている。うっとりするような香気だ。

 口にするとすっぱくてほろ苦い。ふー、と息をついた。

 少し落ち着いてきたかもしれない。

 

「まあ、性格がダメとか言われたわけじゃないからな。そのうち趣味が変わったら対象になれるかもしれない。好きでいるうちは気を引けるように頑張ってみよう」


 『人間だれしも変態だ』。性的嗜好は人それぞれで万人に共通する正解は無いと、イケオジとショタの薄い本を好み少年漫画のイケメンにキャーキャー言いつつリアルでは女性アイドルの追っかけをしている姉が言っていた。

 それはつまり楚乃原さんだって俺の想像の外の性的嗜好をしていてもおかしくないということだ。そのことを忘れていた。

 俺は知らない間に現実の楚乃原さんではなく想像の中の楚乃原さんを見てしまっていたのかもしれない。

 

「……あんた前向きじゃない」

「なんかしてた方が気が紛れるだろ。勉強でも運動でもファッションでもそのうち何かの役に立つ」


 気持ちの整理ができてきた。

 振られた今になっても楚乃原さんが好きだという気持ちは変わらない。消す必要はない。ていうか消せって言われても無理だ。

 とりあえず明日以降、気まずさ回避のために振られた雰囲気は出さないよう気を付ける。内心で好きでい続けるのは俺の自由だ。

 そのうち整理がついて楚乃原さんへの恋愛感情がなくなるかもしれない。それまでは見た目に気を使ったり勉強や運動を頑張ってみる。

 つまるところ明日からも今日までと変わらないように過ごせばいい。それだけの話だ。……ということにしておく。深く考えるとドツボにはまりそうなので今日はここで思考停止だ。

 

「くそ、なんかむかつく。あんたこれまでにも振られたことあるんじゃないの」

「ねえよ、そもそも告白なんて今日初めてしたわ。そっちこそ遊び慣れてんじゃないのか」

「なにそれきも。見た目で人を判断するんじゃねーわよ。あたしは自分に似合う恰好してるだけだから。誰でもOKな尻軽扱いすんな。そんな軽い女だったらこんなに落ち込んでないっつの」

「なるほど理解」


 これまで色眼鏡で見ていたが、よく考えると蔓見の悪い噂は聞かない。

 話してみると意外と普通だ。同じ相手に惚れたという共通点もあってめちゃくちゃ親近感がある。お互い振られた現場という失態を見られているので気安さもある。

 

「……あれっ」


 蔓見としゃべっていると深山さんが声を上げた。どうしたのかと俺と蔓見が深山さんを見ると窓の向こうに視線をやっていた。深山さんは俺たちの視線に気づいた様子がない。

 それほど気を引くものが外にあるのか。俺と蔓見もつられて外を見た。

 深山さんの視線の先にはランドセルを背負った女の子がいた。その前にウチの高校の制服を着た人がしゃがんでいた。

 よく見ると見覚えがある女子生徒だった。ていうか見覚えがあるっていうレベルじゃない。ついさっき告白した相手、楚乃原さんだ。

 一瞬だけ見間違いじゃないかと思った。というのも、その表情が教室では見たこともないものだったからだ。

 鼻を膨らませ、だらしなく目じりが下がり、口角がにんまりと上がっている。

 端的に言うとザ・不審者な表情だった。百年の恋が冷めるまである。


「ね、ねえ、あなたかわいいね? そうだ、お菓子食べない? ていうかうちに来ない? お菓子もおもちゃもゲームもお洋服もあるよ? お化粧も教えてあげる。ね、行こうね。決まり。さ、はやくこっちにおいで?」


 窓際の席とはいえ公園まで十メートル以上離れている。窓も閉まっているので声が聞こえるはずもないのだが、はっきり聞こえた気がした。


「……未成年者誘拐罪」


 ぽそっと深山さんがつぶやいた言葉は俺の脳みそに激しく突き刺さった。

 振られた時以上の勢いで血の気が引く。頭の中を不吉な映像が駆け抜けていった。

 女の子の手を引いて連れ帰る楚乃原さん。楚乃原さん宅を訪れるパトカー。手錠をはめられ頭に布をかぶせられ引っ立てられる楚乃原さん。そのニュース映像を眺めて唖然とする自分。

 これはただの妄想だ。楚乃原さんの家にご両親がいれば自首を勧めてくれるかもしれないし、一応少年法があるので逮捕シーンがニュースで流れる確率は低いだろう。頭の一部はそんな分析ができるくらい冷めきっていた。

 蔓見と目が合った。そして直感する。蔓見も同じような情景を想像したのだと。

 こくりと頷きあう。コーヒーを一気に飲み干す。もったいないが今はそれどころではない。

 深山さんがお会計してくれている間に俺と蔓見は店を出る。走る速さの関係で俺がわずかに先行する。

 

「いこっか」


 などとほざきながら楚乃原さんは女の子の手を取ろうとしていた。その目は血走っている。

 この瞬間理解した。普段の楚乃原さんの姿は擬態だ。おそらく子供やその親に警戒されないよう無害な優等生の皮をかぶっているだけだ。教室での姿がまともなのは欲望の対象が教室にいないからに他ならない。

 誰だよ清楚とか思ってたやつ。俺だよ。人を見る目が無さすぎる。

 俺は楚乃原さんの肩と女の子に伸ばされていた腕を掴む。わずかに遅れてきた蔓見が楚乃原さんの両足を掴んで持ち上げた。


「ああっ!」

 

 そのまま二人で楚乃原さんを女の子から引きはがす。抵抗するそぶりを見せるがそんなの許さない。俺も蔓見も全力で拘束しながらダッシュする。

 俺たちがやっていることも誘拐っぽいが気にしない。正義は我らにある。わりとマジで。

 なんだろう。好きな女の子に触れるなんて想像するだけでもドキドキしていたのに、思ってたんと違う。絶対に想像と違った性質のドキドキを味わっている。


「ごめんね、お姉ちゃん体調崩しちゃったみたいだから私たちが連れて帰るね。あなたも気を付けて帰ってね。お菓子とかで釣ろうとする人に捕まっちゃだめだよ」


 会計を完了させ追いついてきた深山さんのフォローはさすがだった。

 運び込む先が思いつかなかったので高校へ駆け込んだ。体育倉庫がある人気のない場所まで走り抜けた。幸いにも教師や他の生徒に目撃されることはなかった。


「ひ、ひどい、何をするの!? 二人でわたしに乱暴するつもり!?」

「オイタしようとしてたのはあんたでしょうが」


 むしろ乱暴しようとしていたのを止める立場である。

 

「清華、あのね、あたしも人の性癖についてとやかく言える身じゃないし、言うつもりもない。でもあんな小さな子を相手にするのはいけないと思うの」

「べつに性癖とかじゃないし。まだ何もしてないし」

「まだって言っちゃったじゃない。これからするつもりじゃない」

「ていうかちびっこにあの表情を向けただけで世間的にアウトだと思うぞ」

「私もちょっと弁護できない。手を引っぱっちゃったら未成年者略取罪が適用される可能性すらあったんじゃないかな」

「そんなことないもん、監禁とかするつもりはないもん。少しずつ懐柔しようとしただけだもん。これまでの生活を奪ったり暴行や脅迫をしなかったら略取じゃないもん」

「一時間前までの俺だったらその言葉遣いをかわいいとか思ったかもしれないけど、今は怖い。ひたすら怖い」

「なんで略取の要件なんて知ってるのよ……」


 蔓見もドン引きしていた。俺も同意である。深山さんにもちょっと思ったが、楚乃原さんは理論武装までしているあたり確信犯(誤用)である。


「ごめん、楚乃原さん。楚乃原さんの性癖を言いふらしたりしないってことは約束するけど、俺は見かけたら邪魔をさせてもらう」

「そんな!?」

「そんな、じゃないよ清華……あたしも石丸と同じ考えだから」


 わずかな時間で俺と蔓見の心はひとつになっていた。

 振られたことはつらい。一瞬世界が終わったんじゃないかと思うくらいだった。

 けれど、人生はまだまだ続く。恋愛しようと思ったら失恋のひとつやふたつあって当然だ。長い目で見れば『こんなことあったな』といつか笑える程度の出来事だ。

 まだこんな達観したくなかったが、そう思うと失恋はするりと受け入れられた。

 だが思い人が未成年者略取もしくは誘拐で逮捕されるのは話が別だ。あらゆる意味で青春の甘酸っぱさが消滅する。ほろ苦いどころか炭より苦い。どう考えても『こんなことあったな』なんて笑えない。笑いごとじゃない。なんとしても阻止しなければならない。

 言葉にするまでもなく俺と蔓見の意見は一致した。楚乃原さんの犯罪を止めるという一点において俺たちは相棒だ。

 

「清華、きみにこんな言葉を贈ろう」


 沈痛な面持ちの深山さんが告げる。

 

「イエスロリータ、ノータッチだ」


 がっくりうなだれる楚乃原さんだったが、なんとなく懲りてないなと察した。ほとぼりが冷めた頃合いにまた動き出すだろう。

 俺と蔓見は視線を合わせ、頷きあった。

 

 俺たちと犯罪者予備軍の戦いはまだ始まったばかりである。

 

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告白したら恋人ではなく相棒ができた @taiyaki_wagashi

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