第6話 ブレーメンの音楽隊

 徹底抗戦の前哨戦。高度な情報戦が始まった。初めから武力行使に出ないのは理由があった。


「生温いと仰ると思われるのですが。彼らも我々の同僚であり、全ての情報を知り得た上での迎合か解りかねます。なので……。」

「死傷者を最低限にだろ?何を隠そう弊研究室は生温いのでね。それは、ほぼほぼ前提条件だ。」


 故に、緻密な作戦行動が必要になる。加えて、今回は係る人数がいつもの作戦行動の比にならない。


「だから選択肢はほぼ、ひとつ。大規模前線を囮にした、少数精鋭による本拠地潜入および暗殺もとい武力的交渉だ。」


 つまり、ここで意図的に漏洩する情報は真実の半分程度。それも少しずつ。手に入れていく快感に意識が麻痺していくペースで与えていく。嘘は流さない。矛盾は綻びを産み、綻びは疑念を呼ぶ。


「上手く運べば、奴らは大規模戦線での決戦を想定するはず。場所と時間は与えていない。士気と兵糧をジリジリ削れるところまで削る。奴らから攻勢をとらせて、こちらは防衛戦に徹する。防戦一方の苦戦を演じる。」


 まずは、地下の拠点を捨て。古城近くに拠点を目立たぬ様に作った。この拠点も敵の斥候に見付けさせるように仕向ける。ただ、まだその時ではない。

 そして、嘘は流さない。あれは嘘だ。


「いや、嘘ではないが奥の手は持っておきたい。そこんとこどうだい?ウルとその仲間達!」


 開発というフェイズではこういうことが有り得る。共同研究による技術革新だ。


「すごいですよ!お師!知能創造室の既存技術を僕のゴーレムに組み込むだけで、半自動制御ゴーレムが生産出来るようになりました!彼らの技術の核は、術式の受け皿となる術式を予め用意することで、あたかもゴーレムに直接命令しているかの様な直感的なコーディングが可能で……。」

「それよりもメル様!ウル様のゴーレムが有している演算能力が単純に桁違いですっす!うちで試しに100体並列化させた状態と同程度の演算機能を1体でこなすっす!これが障壁で頓挫していたアーキテクチャが、まさか実用化出来る日が来るなんて……夢みたいっすぅ……。」

「おお、おお。わかったわかった。」


 兵器利用する目的での開発。恐らく、その名目での研究は気乗りしないに違いない。しかして、自分の知らない世界に踏み出す快感が錬金術師を突き動かす。結果として喜劇になるか惨劇になるか。その時は誰もが盲目になる。


「そんで?どんぐらい造るの?」

「1週間で50体程度生産する予定でした。」

「……過去形?」

「現在は日産50体まで可能になりました。」


 作物増産室はゴーレムを、土壌兼農機具として捉えていたらしい。なんて頭の柔らかいことか。つまりは、作物増産室が有するゴーレム増産技術によって、ゴーレム生産能力が7倍になったという。これで、戦地での増産と逐次投入も可能になる。


「すげー!こんなに上手くいくもんなんだな!思ってたより楽勝なのか!?」


 メルがそう言うと、ウルは一気に肩を落とし、目には影が落ちた。


「僕の良くないとこなんですけどね。とても良いことがあると、その後のとても良くないことが恐ろしくなるんですよ。」

「こ、恐いこと言うなよ……。」


 今は、そうはならないことを祈る他に術は無い。

 斯くして、計画していた準備は整った。後は、焦らしたところに背中を押すだけ。メルが出歩き、拠点に帰る。これを繰り返した。その場での奇襲を危惧しての人選だ。


「さあ。斥候はここを発見した。明日にでも仕掛けてくるだろう。今日出来ることはゆっくり寝ること。みんなおやすみー。」

「僕、残業なんですが……。」

「今回お仕事多くてお疲れ様……!」


 夜は普段と変わらぬ速度で過ぎていった。

 朝になってみると、ひっそりとした仮の拠点としていた場所の隣に、向こうの古城には及ばないものの、大きな建造物が建っていた。


「うおー!すげー!」

「一夜城ならぬ一夜ゴーレムですよー……ZZZ。」

「ウル、お疲れ……少し寝なさい。」


 ゴーレム錬成の術式を使って構築された泥の城。このサイズの構想物を錬成しようとすると、設計の僅かな誤差が、錬成中に大きく反映されてしまう。故に、完全自動での錬成は叶わなかった。しかし、ウルの日々のテーマに"巨大構造物の錬成"が組み込まれていたことがとても役に立った。そうでなければ、一夜での建造は不可能であった。本来の目的の前に良い予備実験、と本人は喜んでいたが。


「さて、みんなおはよう!朝ごはん食べて、歯磨いて、準備体操したら配置に付け!」


 その後、敵陣営の動きはすぐに見られた。しかし、敵勢力の規模は予想を遥かに越えていた。


「敵兵力は?」

「概算で4,000、現在も増加中とのことです。」


 こちらの勢力は、戦闘経験に乏しい錬金術師が500人程。故のゴーレムによる嵩ましてあったが、それも現時点で1,000体程だ。防衛戦のレートを加味しても、かなり絶望的な数字だ。しかも、この動員数から察するに、傭兵などのアウトリソースを呼んでいる可能性もある。


「やってくれますな……。」

「おい、どうする?一旦仕切り直すか……?」


 メルが知能創造室長に問いかける。


「いいえ。これだけ手の込んだ仕掛けをしたんです。これ以上良い状況を作れる見込みは薄いように感じます。」

「それに、今回は我々の役割は時間稼ぎです。死ななければ、あとは畑を耕す四肢が残れば重畳ですよ。」


 非戦闘組織の割りに肝が座っている。いや、それ故に、どの程度恐怖を抱けば良いかも計りかねているのだろう。室長2人とも、額に脂汗が伝う。


「念のため訊くが、オレ達に迎合してた事実さえ惚ければ、衝突は回避できるぞ?」

「何を言いますか。正義感もありますが、ただの生存を賭けた戦いなだけです。対岸の火事ではないのですよ。」

「……おーけー。じゃあ作戦開始だ。」


 幕は唐突に上がった。5,000の兵がこちらに流れ込んでくる。陣形はトゥステドに近い。遠距離攻撃を警戒している。錬金術師を相手取るなら定石であろう。


「さて、望み通りにくれてやりましょう。ウィット、投擲を開始してください。」

「承知したっす!撃ち方用意!」


 投石装置から薬玉の様な球体が射出される。着弾すると、軽く跳ねた後に、派手な音を発し、黒い煙を撒き散らしながら破裂した。一瞬で日光が遮られ、視界が鈍色に染まる。


「では、メル様、アダマス様、御武運を。」

「承った。ちょっと散歩してくるわ。」


 メルは巨大ゴーレムの頭に飛び乗ると、アダマスを肩車しながら空中を歩き始めた。


「ははは。空気の粘度操作など複雑な演算、温度や湿度、夾雑物質の濃度を測定しながら、あんなに麗しいお顔で。」


 メルは涼しい顔で、敵の根城に歩いて近づいていく。その時ウルは、ゴーレムを造っていた。


「皆さん。ゴーレムの生産数が、この戦の勝利条件達成に大きく関わります。出来るだけミスなく、焦らず急いで生産していきますよ!」


 ゴーレムの生産ラインも全自動化は間に合わなかった。どうしても繊細な部分の調整にどうしても人の手が必要になってしまった。


「次があったら、生産ラインの全自動化、一緒に検討しましょうね……!」

「「「勿論!」」」


 ベルは控えていた。どうしても感情的になってしまう自分を。


「小娘。力を貸してやろうか。」

「ナックさん……?」


頭の渦の中心から、低く甘い声が響いた。


「何も迷うことはあるまい。奴らはヒトを踏み台に自らの欲を満たそうとする者共よ。慈悲など与える必要はあるまい。無慈悲に粛正せよ。無慈悲に粛正せよ。」


 頭の渦がゆっくりと静止していく。頭中の泥がさらに粘度を増していく。目の奥が痺れていく。意識が薄れていくのを感じた時、あの声を思い出した。


「私刑はただの復讐だ。」


 あの厳しくも暖かい響き。あの音で落ち着きを取り戻すことが出来た。


「そうでした。」


 固まりゆく泥が溶け始めた。緩やかに暖かいモノで満たされていく。痺れが消え、思考が澄んでいく。


「無慈悲では何も産まれない。感情だけでは何も救えない。いつでもどこでも、どうすれば善くなるのか、考えなくては。」


 ナックの声は消えていた。

 戦場は混沌として始めたが、防衛線の維持には問題がない様子。ゴーレムの消耗も激しいが、供給速度による緩和によって牛歩の速度で戦力差が縮まってきていた。


「定常状態を作ることが出来ました。各員、気を抜かないように。」


 しかし、同じ状態が長時間続くと、人間の感覚器官とその処理系は鈍化していく。こちらは精神の消耗戦となっていた。

 メルは古城の壁面にあるバルコニーに降り立った。周辺に護衛は少ない。窓ガラスをガラス切りでキレイに切り抜き、室内に取り付けられた錠を使い慣れた針金で開けていく。


「アダマス。斥候ゴー。」

「ごー!」


 城内にも人は少なく、見掛けても非戦闘員の錬金術師。隠密しながら突破していくことは難しくないが、問題が1つあった。


「どこに行けばいいんだ??」


 メルは良いことを思い付いた様だ。


「訊いちゃおう!」


 メルはフラスコを3つも持たされている錬金術師に声を賭けた。


「こんにちは!私メル!こっちはぬいぐるみのアダマス!」


 呆気にとられ驚きながらも、フラスコは落とさない錬金術師の鑑である。


「ここの一番偉いヒトに会いたいの!」


 メルはその場で取り押さえられ、後ろ手に縛られた状態で運ばれていった。取り押さえた側も、彼女があの、狼狩りのメルであることが解っていたので、所轄レベルで処遇を決めることが出来ない。必然的に、一番偉いヒトの元へ運ばれていく。


「ねーねー。林檎とか食べたいな!」

「C.R.C.には、な、内緒にしてくださいよ……。」


 ちゃっかり腹を満たしてから、メルは、C.R.C.と呼ばれていた人物の前に通された。パーティーが催せる程に大きい広間に、2段も3段も高い位置にこれ見よがしな、玉座の様な大きな椅子が置いてある。そこに、若い女が座っている。


「貴様が狼狩りか。伝聞通り、小さいな。」


 不遜に足を組んで、肘を付ながらこちらを見下ろしている。


「あんたが薔薇十字団のトップか?」

「如何にも。」


 その女は身動ぎもせず、こちらを見下ろしながら答えた。


「我がクリスティーナ・ローゼンクロイツである。」

「それで、C.R.C.ね。かっけーじゃん。それで、不老不死を開発してるってのは本当かい?」


 C.R.C.は眉間に少しだけ皺を寄せると、視線を外、土煙が上がり怒号が飛び交う戦場へと移し、広角を僅かに上げながらこう答えた。


「開発していたのは一昨日まで。すでに実装済みだ。」

「は?」


 戦場で新しい動きがあった。とても単純で協力な一手。敵の増援だ。


「まずい、均衡が崩れる。前線を傾けて、左翼を後退させて下さい!ウル様!有りったけのゴーレムを左翼側に供給してください!」

「なるほど。承知しました!」


 増援を伴った敵勢力は、ゴーレムの壁に沿って左へ導かれ、そして左翼に流れ込んでいく。そこで、密集したゴーレムとの3面戦闘を誘う。


「上手く誘い込めましたが……容易すぎるのでは……?」

「ええ。これは罠と解った上で流れ込んできている。何か狙いが……。」


 その時、物見櫓の上からでは知り得ない情報が入ってきた。


「ウル様、室長、大変ですっす!」

「どうした、ウィット。」

「不死が……不死が完成してるっす……。」

「完成って……?」


 3人は凍り付く。背筋から中心に寒気が走り、対して、暑くもない気温で汗が滝のように流れた。


「まずは現認しましょう。僕は下に降ります。」


 ウルは巨大ゴーレムの肩から降り、左翼側に走った。到着した左翼先端で見たものは、見覚えのある地獄。


「ヒトの形を残した小人憑き……?」

「否!否!!否!!!意識も感情もヒトのまま、身体だけが小人憑きの特性を受け入れている!なんて、素晴らしい!そう思わないか?」


 C.R.C.が突如立ち上がり、瞳孔の開いた瞳でこちらを一瞥した。


「あの小娘、最初の成功例の様だろ?」

「ベルのこと言ってんのか?」

「如何にも、如何にも。あの結果を聞いた時は、昂ってしまって眠るのを忘れてしまったよ!おかげで、小娘も延命し、貴様らも良い思いをしたではないか?」


 メルは奥歯を噛み締めながら答えた。


「確かに、ベルに出逢えて良かったとは思うが、その足元に数千の死体が埋まってるって知ってるベルを見てれば、お前らが正しいとは思えないって感想が理解できるだろうよ。」

「つまり、前提の齟齬。解り合えないな。」

「諦めが早くて良かったよ。すぐに暴力に訴えられる。」


 冷たい表情に戻ったC.R.C.は、1つ小さな溜め息を付くと、廊下側に向かって人差し指で合図した。


「自分の立場が解っているのか?不可解極まりない。さて、出資者、我が盟友サンジェルマン伯爵。」

「お呼びかな、C.R.C.殿。ほう、これが狼狩りのメル。思ったより小さいですね。」

「貴殿、こういう趣向が好きでしょう?」

「ははは、どんな印象も持たれているのかな?」


 突然現れた矢鱈と体格が逞しい大男、サンジェルマン伯爵は、窓際に置かれた甲冑の置物から、両刃の剣のみを引き抜いた。


「とはいえ。ふむ。」


 それを携えながら、メルの目の前まで歩みを進めた。すると、その剣を大きく振りかぶった。


「何も間違っていないんですがね!」


 そのまま、メルに向けて剣を振り下ろした。

 それと同時刻、不死の軍勢が投入されてすぐ、戦線は瓦解し始めた。寧ろ、この耐久力の差を、生産力のみで良く埋めている。しかし、限界が見え隠れする。


「私が出ます。」

「ベルさん……!」

「大丈夫。信じて下さい。」


 彼女は柔らかな笑顔でそう懇願した。


「……解りました。ベルさんは敵勢力の背後から圧力を掛けてください。擬似的に包囲した形にして動きを制限したい。」


 ベルは軽く頷くと、ゴーレムの胸を蹴って跳躍した。衝撃で派手に揺らぐ巨大ゴーレム。およそヒトの動きからは発せられることのない、空気が割れる音が轟いた。


「ははは……聞いてはいましたが、百聞は一見に如かず。凄まじいですな。」

「はい。我らが誇るエースアタッカーですから。」


 あっという間に敵勢力の尾に食らいつくと、丹田に溜めを作り、足を大きく振り上げた。


「ガイアクエイクッッッ!!!」


 震脚。空気を割った脚が、今度は地面を抉る。周囲にいた敵兵は、紙きれのように吹き飛んでいった。


「僕も出ます。」

「ウル様!?生産ラインは!?」

「大丈夫。もう自律出来ています。彼らだけで運用、対処出来ますよ。」

「……解りました。御武運を。」

「はい。」


 ウルは巨大ゴーレムから降り、左翼側で新しいゴーレムの鋳造を試みた。


"EMETH"泥人形錬成


 すると、一夜で鋳造した巨大ゴーレム程ではないが、ヒトの3倍の全長を持つゴーレムが現れた。今までのゴーレムの外見とは異なり、細身で両腕には金属製のバングルが装着してある。さらに、ウルはそのゴーレムの背中に飛び乗ると、ハッチが開き、中へ乗り込んでいった。


「さあ、試運転無しの処女歩行ですよ。3歩歩けば褒めてあげましょう。」


 そんな心配とは裏腹に、ゴーレムは難なく歩行していく。


「いいですね!こういうのでいいんですよ!」


 ウルはゴーレムを駆る。

 メルの目前に凶刃が迫っていた。しかし、怖じ気付くことなく鋒を見詰める。その時、ぬいぐるみの様に床に伏していたアダマスが飛び上がり、メルの拘束を切り裂いた。凶刃の到着を待たずに立ち上がり、半身で回避すると。床に剣が食い込むと、それに右足を乗せ、軸をずらしながら踏み折った。そのまま、束に左足を乗せ、宙返りしながら抜刀したショーテルで、サンジェルマン伯爵の僧帽筋を断裂させた。力なくぶら下がる両腕。


「こっちは殺し合いに来たんじゃない。少し話をきいて……。」


 そこには、既視感のある光景。サンジェルマン伯爵の肩から白い煙が上がり、傷口が塞がっていく。


「……。」

「声も出ないか。勿論、彼にも納品済みさ。成果物、不死をね。」


 C.R.C.は僅かに広角を上げながら、不遜に座しながら掌で指し示した。サンジェルマン伯爵が肩を回して近付いてくる。


「はあ……しゃーない。サンなんとか、実験に付き合え。ちょっと踊ろうぜ。」


 ベルとウルの奮闘により、戦場は硬直状態に持ち込むことが出来た。しかし、それも奮闘の賜物。長くは続かないことの証左。ベルの範囲攻撃は次第に体力を搾り取っていく。ウルのゴーレムも、伝達系や駆動系の損耗により、段々と土塊に還っている。


「やはり、ぶっつけは無理がありますね……!姿勢制御の冗長性を持たせ過ぎて、僕が保たない。関節部分の冷却や潤滑が予想よりも遥かに追い付いていない。次やりたいことは沢山思い付いたんだけどな……!」


 じりじりと小型ゴーレムが数を減らしていく。ベルの体力に底が見え始め、ウルのゴーレムも木阿弥に還るのを必死に踏ん張っている。

 メルも持久戦になっていた。サンジェルマン伯爵の斬撃に対しカウンターを入れていくが、傷は瞬時に塞がっていく。


「先程から脇腹ばかり……痛くも痒くもないですよ!」

「お前、痛覚も遮断してるのか……?」

「不死であれば無用の長物。とうに棄てましたよ!」

「……そうかい。」


 一方、アダマスは他の有象無象が広間に侵入しないよう塞き止めていた。


「しんわざ!ほねにんげん!」


 アダマスの周囲を肋骨が覆うと、脊椎が延長し、そこから四肢と頭部に分岐し、メルと同じ身長の骨格模型が完成した。その骸骨はヒトの様な動きで滑らかに戦闘している。


「我が子の成長著しいな。」

「余所見とは良い御身分ですね!」


 サンジェルマン伯爵の斬撃が空を斬る。メルは徹底して右脇腹に攻撃を集中させていく。夥しい量のどす黒い血液が床を濡らしていく。


「失血死を狙っておられる?無駄ですよ!造血速度も常人の比では無いですからね!」

「……。」


 しばらく攻防が続いた。これを見世物として楽しんでいたC.R.C.が違和感に気付く。


「ん?サンジェルマン伯爵殿、顔が……黄色くないか?」

「黄色ですと?」


 サンジェルマン伯爵は空を斬り続けた剣の刀身に、自らの顔を写した。


「ほう……確かに黄色……ん?……いや、目が霞んで……。」


 サンジェルマン伯爵はそのまま脱力し、前向きに倒れ後、一切動くことはなかった。


「な、何事!?」


 C.R.C.は驚きと焦りを顕にした。


「それは何の心配だ?もしかしてお前も小人入れちゃった系のヒト?大丈夫、焦ってももう手遅れだ。」


 同様の現象は戦場でも見られた。2人の奮闘虚しく、戦線に穴が開き、後方のゴーレム生産部隊が敵兵に蹂躙されそうになった時だった。流れ込んできた、前線を張っていた敵兵の殆どが転倒の後絶命した。皆顔に黄色い斑点が散見されたという。


「ハァ、ハァ……どうしたんだろ。ヒトの流れが止まった。」


 ベルの周辺にも異変が伝播し、戦意を保つという段階ではなくなった。誰もが状況を把握出来ず、敵兵の中には見えない攻撃の恐怖に支配された者も少なくないなかで、大音量の音声が響いた。


「あーあー。じゃあ、まず結論から。お前らが拵えたのは、不死じゃあない。それだけのことだ。」


 音声の主はメル。空中散歩の道すがら、受信機兼拡声器を空中に漂わせていたらしい。C.R.C.の狼狽えた声と共に、遠隔講義が始まった。


「指摘したい点は3つ。1つ目、倫理観の欠如。2つ目、希望的観測。3つ目、論証不足。1つずつ詳しく話していこうか。」


 まず1つ目。言う迄もない、数千の死体の上に自分だけ生き永らえたいっていう倫理観だ。錬金術ってのは倫理観との闘いだ。皆が皆それと闘いながら研究してる。例外なく、誘惑に負けた奴は錬金術師どころか人間としての尊厳を欠いてる。


「当たり前だと思う奴もいるかもしれんが、明日は我が身と背筋ピンっとしなさい。悪魔はいつでも傍らに佇んでいる。」


 2つ目。推して測るに、ベルが小人憑きと共生したのを観測して、これに倣ったんだろう。ベルが発作から立ち直って生き永らえた後、その後観察は続けたか?ベル、正確に言うと小人のナックはベルの損傷を再生する様なことはなかった。ただただ心臓を肩代わりしてるだけに留まっていた。それを診ていれば、これが不死という現象ではないという仮説も立ったろうに。


「これまでの現象から考えるに、これは代謝の前借りだ。代謝とはなんだ?代謝が速すぎるとどうなる?不老と表現しなかったのは言い得て妙だな。前倒しで老いて死ぬのさ。原因は誰だって同じ。悪性新生物

所謂癌だ。」


 3つ目。論証不足だが、2つ目と大きく被る部分がある。違いだけ言えば、発作で死ななかった、という事象から、何をしても死なない、なんて結論が導き出せるのが問題だ。お前らが見たのは発作で死ななかったベルであって、殺されても死なない自分じゃない。


「癌の話をしようか。この顔の黄色い斑点。黄疸という症状だ。肝臓の機能不全で顕れる。痛覚を残していれば死ぬ前に気付けた……かもしれないが、肝臓は沈黙の臓器。難しかったかな。」


 メルは遠い目で、目の前に倒れている大男を眺めた。


「まだ生きてる奴らに問おうか。これ以上続けてもいいが、擦り傷ひとつで寿命が何年縮まるか、オレにも解らん。どうする?」


 この問いを言い終える前に、戦場の兵士は蜘蛛の子を散らす様に散り散りになり始めた。


「それはお前も同じだぞ?クリスティーナ。」

「な……そんな……。」


 すると、C.R.Cは玉座の後ろから何かを取り出した。青いランプのようだ。


「!?お前、それ……!?」

「ああ、アフロディーテ様!お話が違います!付き従えば永遠の命を頂けると……。」


 言い終わる前に、C.R.Cは身体を痙攣させ始めた。青いランプを床に落とし、白目を向いている。


「お、おい、何が……!」

「じゅ、受信しました……!」


 C.R.Cはそう叫ぶと、穏やかな空気に戻った。いや、先程より妖艶で甘い雰囲気。既視感が強い。


「ふふふ……久し振りねヘルメス。」

「あ、アフロディーテ!?」


 このやり取りは戦場中に伝わった。


「今、ヘルメスって言ったか……?あの、ヘルメス・トリスメギストス……?」

「いや、お伽噺だろ、そんなの……。」


 ギリシャ神の名前にざわつく錬金術師の中で、ウルだけが、苦虫を噛み潰したよう顔を見せていた。


「アフロディーテ……!」


 戦場の反対側にいたベルからでさえ、その桿しい空気が見て取れた。


「ウルさん……?」


 C.R.Cの口を借りた愛の女神はこう続けた。


「ヘパイストスはどこかしら……?逢いたかったのに。」

「向こうはそう思ってないかもね。」

「そう。いいのよ。」

「それで?黒幕はねーちゃんなの?そんな訳無いか。親父だな?」

「ふふふ。教えないわ。」


 アフロディーテは先程より艶かしい曲線をつくった。無意識に誘惑してしまう、そういう神性だ。


「ワタシはアナタ達のシたこと、すごいと思うわ。でも、邪魔されるのは困るのよ。ね、解るでしょ?」

「うん、解りま……あーあーせん!あぶない!」


 メルは誘惑魔術に屈しそうになりながら否定した。


「悪いが、これ以上介入しようってんなら容赦はしない、親父にも伝えろ。」

「ふふ。逞しくなったのね。ワタシ嬉しいわ。食べちゃいたいわ。」

「食べて下さ……あーあーらないで下さい!」


 アフロディーテが傍らの青いランプを一瞥する。


「ご褒美に内緒でそれ、アナタにアげる。それじゃあ、また逢いましょう。」


 そういうと、C.R.Cから生気が消え、後ろ向きに倒れた。その後、意識が戻ることはなかった。戦場でも異変が訪れた。


「受信しました……!」

「受信しました……!」

「何が起こっている……!?」


 敵兵の殆ど、否全てが、口々に同じ文言を叫びながら絶命していく。ドイツのどこにも、薔薇十字団の構成員は1人も残らなかった。この戦闘は、異様な光景を目蓋の裏に残しながら終結した。


「つまり、メル様は錬金術の祖ヘルメス・トリスメギストスその人、ということですか?」

「うーん。とりあえず、トリスメギストスはやめようか。」

「そして、ウル様が鍛冶神ヘパイストス様?」

「鍛冶もゴルドロフ先生に教わる身なんですけどね。」


 戦闘が終わり、終結するはずだった小人憑き感染症の拡大という問題は、よりスケールの大きい問題によって上塗りされた。

 これ以上先は、原初の理、神々との決別を目指す戦いとなる。

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あるあるアルケミスト 國手薫乃 (くにでかるの) @Dr-Carnot

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