厨房戦記

そうざ

Records of Battles in the Kitchen

「皆さん、こんにちは。お料理ペディア、新アシスタントの香島椎菜かしましいなです。お料理を作って下さるのはご存知、料理探究家の坂白華詩子さかしらかしこ先生です」

「皆様、こんにちは」

「初めまして先生、どうぞ宜しくお願い致します」

「こちらこそ、宜しくね 」

 年嵩の先生とその一回り年下のアシスタントが笑みを交わした。笑みの中に散った微かな火花は、テレビカメラには映らない。

「先生、今日のお料理は何ですか?」

「スパゲッティ・アル・ネロ・ディ・セッピアです」

 一瞬、表情が固まる香島。同時に、私の楽屋から台本がなくなったのは何故なのか、と思いを巡らせる。その所為で、今日のメニュー名すら把握出来ずに本番に臨む事になってしまった。

「私、大好きです〜、イタリア料理」

 スパゲッティと言えばイタリアの代名詞。取り敢えず切り抜ける香島。

「先ずは烏賊墨ソース作りよ。さぁ、やってみて」

 来た。いきなりの『お手並み拝見攻撃』である。

 アシスタントがお飾りのように簡単な手伝いだけをしていれば良い時代は過ぎ去って久しい。アシスタントであっても自分らしく生き生きと活躍出来る番組。これが視聴者に受ける大きな理由である事は、何よりもその視聴率が証明している。

 香島の闘志が燃え始めた。アシスタントに立候補したのは伊達ではない。

 香島が烏賊に手を掛けた、その途端、坂白が口を挟んだ。

「この烏賊の名称をご存知?」

 来た。お得意の『あなた知ってる?』攻撃である。

槍烏賊ヤリイカですよね〜」

 香島は反撃をしながら同時に手早く烏賊の胴体から脚を引き離す。過去にはこういった作業をキャーキャー言いながら自らのキャラ付けに利用するアシスタントも居たが、もうそんな上っ面の時代は過ぎ去った。

「蛸も墨を吐くけど、烏賊との違いって解る?」

 坂白は攻撃の手を緩めない。

「墨の成分が異なるんですよね~」

 ぴくっと眉尻を上げる坂白。

「どう違うのかしら?」

「蛸墨は粘度が低くて水に溶け易く、烏賊墨は粘度が高くて水に溶け難いですよね。これは外敵への抗し方の違いに顕れますね。前者が単純に煙幕であるのに対し、後者は言わば自分の分身にして撹乱するんですよね。あ、どっちも忍者みた〜い、面白〜い、あはははぁ」

 可愛らしさの演出も忘れない香島。此奴こやつ出来るな、油断ならぬ、とへの字口になる坂白。

 香島はその間もはらわたや目玉等をてきぱきと除去し、墨袋を慎重に取り分け、胴や脚を食べ易い大きさにして行く。

 同人気番組は開始からもう直ぐ十周年を迎えるが、その間に十回以上もアシスタントが交代している。自局のアナウンサーから新人アイドル、男性アシスタントまで様々な人材が去って行った。

 視聴者にしてみれば変化が感じられて良いのかも知れないが、制作サイドにとっては頭を抱える問題だった。過去のアシスタントは例外なく自ら降板を願い出ている。

「先生、本日の料理名にセッピアという単語が含まれていたと思いますが」

「セッピアの意味をご存知?」

「所謂、セピアの事ですよね?」

「そうね」

「セピア色のセピア」

 此奴、何が言いたいのだ、と小鼻がひくひくし始める坂白。

「その昔、烏賊墨はインクとして使われていましたよね?」

「えぇ……そんな時代もあったわね」

「烏賊墨は次第に退色するので、その色の事を烏賊セピア色と呼ぶようになったんですよね?」

 香島は『秘技!問い掛け口調』を崩さない。

「そうね、あ〜、思い出した」

 因みに『ネロ・ディ・セッピア』は『烏賊の墨』の意である。

 話題を料理に戻して、と書かれたカンペを出すAD。

「次にイタリアンパセリを」

 そう言いながら、坂白が八つ当たりのように少々乱暴にパセリの葉を千切る。

「先生はパセリの和名をご存知ですか?」

 今度は香島からの報復攻撃である。

和蘭芹オランダゼリ

 カカカッ!

「何故、オランダという――」

「江戸末期にオランダ人が長崎に持ち込んだから」

 カカカカカッ!!

「よく付け合わせにされ――」

「殺菌作用があるからねっ、だから刺し身とかによく添えられるわねっ」

 カカカカカカカ、カッ!

 手先の技なら負けんわ、のアピールで、パセリは木っ端微塵の微塵切りである。

「はぁ、はぁ、大蒜を……」

「は〜い」

 香島は次の一手を考えながら大蒜の薄皮を取り、包丁の側面で潰して行く。

「パセリ同様、大蒜も殺菌作用があるのよ」

 額に汗を浮かべたまま坂白が主導権を取り返そうとする。

 香島がニヤリとしながら返す。

「狂犬病……」

 そのキーワードに、此奴、何処まで守備範囲を拡げて準備をして来たのだ、と目を釣り上げながらも、坂白は間髪を入れず香島の口を封じに掛かる。

「狂犬病その他のワクチン開発でも有名なルイ・パスツールが大蒜の殺菌効果を発見!」

 因みに1858年の事である。

「ルイ・パスツールと言えば、ワインの腐敗の研究を……」

 容赦しないわよ、と更に展開して行く香島。

 話題を変えて、料理に戻って、と書き殴ったカンペを必死にアピールするAD。

「はいはい! 低温殺菌法パスチャライゼーションでワインを殺菌して、めでたしめでたしっ! さっさと鷹の爪を刻みましょうね〜」

 鷹の爪は唐辛子の総称ではなく、一栽培品種名に過ぎない旨を説く坂白に、同じく南米原産のトマトはナワトル語の『トマトゥル』がその語源で『膨らむ果実』の意味である事を指摘する香島。

 格闘場がフライパンの中に移っても、オリーブオイルの身体に良いとされている成分の言い合いや、ソルト給料サラリーの語源だとか、鍋に移ってからもスパゲッティをフォークとスプーンとで気取って食らってやがる女には本場イタリアでそんな食い方をしているのはガキだけだと教えてやりたい、という部分だけは共闘とばかりに意気投合しつつ、盛り付けの瞬間まで血で血を洗う格闘が展開された。


 果たして雌雄は決したのか。

 スパゲッティ・アル・ネロ・ディ・セッピアは美味しく出来上がったのか。

 プロデューサーは相変わらず頭を抱えているのか。


 唯一確かなのは、香島も、坂白も、そして作者も、インターネット百科事典に感謝しなくてはならないという事である。




「さて、今日はタコライスを作りましょ~っ」

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