可愛くて、変わっている

 始業式から数日が過ぎ、難色を示していたクラスメイトたちも叶人に慣れ始めた。おかげで、ほとんど四人で過ごしていくうちに仲が深まっていた。


 そんな中、千花と叶人に日直が回ってきた。


 当番は座席で決まり、窓側の二列、前方から順番に任される。千花はもちろん叶人と一緒だ。


「起立、礼」


 授業の始まりと終わりに号令をかけるのは千花の役目だ。代わりに、叶人は黒板の上のほうを消してくれている。


「ちー、今日はおにぎり?」

「うん。茜がお弁当を離してくれなくて……遅刻しそうになったから渡してきちゃった」


 昼休み、教室の隅に四人が集まる。千花と叶人、それと二人の前の生徒の机を借り、四人で昼食を食べるのだ。


 千花は今朝の出来事を思い出し、遠い目をする。


 葵と茜も小学校が始まったのはいいが、家族と離れる寂しさからわがままが増えるようになった。


 今朝はテーブルの上に置いてあった千花の弁当箱を茜が抱え込み、「ちいねえと一緒にいる!」と泣き喚いていた。


 どれだけ説得しようと「ちいねえと一緒にいる」の一点張りで、聞く耳を持ってはくれなかった。


 だから仕方なく、母が急いでおにぎりを作ってくれたのだ。


 慌ただしく家を出ていく千花に、茜は最後まで弁当箱を抱えたまま泣いていた。その姿が心残りで、気分も沈んでいる。


「お弁当がなきゃちーが困ることわかってるの可愛いすぎる」

「ちーは妹がいるのか」

「弟もいるよ。小学二年生で、双子なの」


 話しているうちに、自然と調子が戻ってくる。


「俺は一人っ子だから、兄弟とかそういうのはよくわからん」

「あたしもー」

「叶人はお兄さんとお姉さんがいるんだよな」


 黙々と弁当を食べていた叶人は話題を振られ、こくりと頷いた。さすがに食事中はパペットをつけないようで、膝の上に置いている。


「話していい?」


 少し間が空いて、首が縦に振られた。


「これみんなには内緒な? 叶人の家って有名で――」


 和臣は前のめりになり、声を潜める。


 相良家はいわゆる、芸能一家。両親は有名な劇団に所属し、演者として日本各地を渡り歩き、日々、舞台に立っているそうだ。


 六つ上の兄は二年前に有名なオーディション番組からデビューした歌手だ。ネットでもオーディションの一部が配信されていたこともあり、名前は多くの人たちに知られている。


 四つ上の姉は幼い頃から事務所に所属するモデルだ。雑誌やSNSに精通した若者から人気を博している。


「すごすぎ。相良はなんかやんないの? もしかして内緒でなんかやってる? 家だとバチバチに喋ってる……それこそ実は配信者やってるとかある?」


 叶人はぶんぶんと首を横に振り、即座に否定した。


「そういうのは無理だな。でも、慣れたら話してくれることもある」

「そうなの?」

「二人のとき……視界に誰もいなくて、声も届かないような場所とか」

「そんなシチュエーションある?」

「室内で遊ぶときとかあるだろ。でも中野とちーはまずは気心が知れるようにならなきゃな!」


 和臣は眩しい笑顔を浮かべる。


「じゃあ手始めになんでパペットで意思疎通してるとか聞いていいやつ?」

「それは俺も知らん」

「知らないのかよ」

「だって知る必要ないし」

「日向は気にならないの?」


 ぴた、と静寂が生まれ、二人は同時に叶人に顔を向けた。


 叶人もぴたりと動きを止め、困ったように視線をあちらこちらに動かす。まだ食事中のため、パペットもつけられないようだ。


「喋りたくないときってあるよね」


 千花が口を挟むと、叶人はこくこくと頷いた。


「日向くんはそういうときってなさそう」

「んー、どうだろ? そもそも意識して喋ろうって思ってないから、俺の場合は言いたいこと言うし、自然と口に出てるな」


 和臣は腕を組み、自身の言動を思い返している。


「まじで余計な一言とか言わないように気をつけなよ。まあ、日向が口滑らせても人望でなんとかなりそうだけど」

「『まあ、日向だし』、みたいな?」

「そうそう」

「失礼なこと言ってるな!?」


 千花と柚月は顔を見合わせて笑った。まだ知り合って数日だが、そういう場面が容易に想像できる。


「柚月ー、昼練。先行ってるよー」

「あ、おっけー!」


 廊下からバスケ部の声が響く。柚月は慌ただしく弁当箱を片づけ、バスケットシューズの袋を肩に担いだ。


「ほんとに中野はバスケ好きだよな」

「ね。食べたばかりで動けるのもすごい」


 自分だったら吐いてしまうかもしれない。隣の叶人も同じように思ったようだ。信じられないような目で柚月を見送っていた。


 それから、昼寝でもしようかと机に突っ伏しかけたところ、視界の端に茶色のなにかが飛び込んできた。クマのパペットだ。


「なにか――なに、これ?」


 クマは小さな手で折りたたまれた紙を掴んでいた。


「見てもいいの?」


 あくまでクマに問いかける。


 クマはこくりと頷いた。本当に器用だと感心してしまう。


「『ありがとう』……? なにかしたっけ?」


 今度は叶人に尋ねる。


 紙を返すように促され、叶人は『ありがとう』の紙とは別の紙に文章を書き足した。それをまた、律儀にクマに持たせる。


「『さっき、話をそらしてくれて』……ああ」


 柚月と和臣の二人になぜパペットを使うか問い詰められそうになったことだろう。


「話したくないことは、友だちでも無理に話す必要なんてないじゃんね」


 千花はクマではなく、叶人に笑う。


「――」


 返事をするように、ふわっと叶人の目が弧を描く。どこかあざとくて、艶やかな雰囲気をまとっていた。


 その笑顔にまた、どきりと心臓が跳ねる。それはその一度では治まらず、どきどきと高鳴る。


「とにかく、気にしないで」


 千花は慌てて机に突っ伏する。


 腕に顔をうずめれば、より心臓の音が耳に響いてきた。そのせいで否が応でも悟ってしまう。


 まさか彼に、恋をしてしまったのではないか。


 自覚した途端、かあ、と顔が熱くなった。いつ、どの瞬間、なんて思い返したところでわからない。


 それでも、確実に彼に惹かれていることを自覚してしまった。


「あれ、ちー寝てるの?」


 しばらくして、柚月が昼練から帰ってきた。


 ゆさゆさと肩を揺らされる。けれどどんな顔をしていいか、いや、自分が今どんな顔をしているかわからず、狸寝入りをしてしまった。


 平常心、平常心と心の中で幾度と繰り返す。


「相良、起きなかったら起こしてやってよ」


 足音が遠のいていく。


 それはそれでまずい。予鈴が鳴る前、ちょうどいい時間で起きることにした。幸い、近くで「あと何分で授業が始まる」といった声が聞こえてきたため、千花はそれに合わせて体を起こす。


 スマホのカメラを使い、適当に髪の毛を整える。


 まもなくして次の授業担当が教室に来て、千花は事なきを得た。


「疲れたー」

「やっと帰れる!」

「部活だりー」


 午後の授業も終わり、放課後となる。


 柚月と和臣は真っ先に部活へ駆けていき、千花もとりあえず帰宅の準備を進めた。でも、まだ帰ることはできない。


 日直は日誌を書き、担任に提出しなければならないのだ。


「じゃあね」

「また明日ー」


 続々と教室から人が消えていく。


 やがて教室には日直の二人だけになり、叶人のかりかりとシャーペンを走らせる音だけが響いていた。


「相良くん、字上手だね」


 日誌を書く叶人の手元を覗き込む。叶人はびくりと肩を震わせ、文字から歪な線が伸びた。


「あ、ご、ごめん!」


 千花は内心パニックになりながら距離を取る。


『ありがとう』


 昼に見たその紙をクマがおずおずと手渡してくれる。


「……もしかして、いつも持ち歩いてるの?」


 クマは首を動かし、肯定する。


「『ありがとう』とか『よろしく』とか、日常でよく使う言葉のカードを作ってあるの?」


 次から次へと机からカードが取り出される。読みやすいように短く、日常会話でよく登場する言葉が綴られていた。


『面倒くさくて、ごめんね』


 カードに見入っているうちに書いたのだろう。クマから謝罪のカードを渡される。


「そんなことないよ」


 本当はどうしてパペットを使うのか。なぜ使うようになったのか。本当は聞きたいことが山ほどある。


 けれどその好奇心は、無遠慮に他人の心へと踏み込む免罪符にはならない。


 『したくない』の大半は、傷つくことを恐れることのへ防衛だ。


 多分、好きで苦労を選んでいるわけではないだろう。そうしなければならない理由がある。


 心を守るための手段が、叶人にとってはパペットだったに違いない。


「大丈夫だよ」


 いつか、彼から教えてくれる日を待つ。例え教えてくれなかったとしても、それでいい。


「――ありがとう」

「え?」


 千花はふいに辺りを探るように見た。


 叶人が言ったような気がしたが、それは気のせいだ。物音とか廊下にいる人と勘違いしたのだろう。だって、彼が話すはずがないのだから。


 自覚してしまった恋心のせいで、きっと過剰になってしまっている。妄想ではないと信じたい。


「ありがとうって、言った」

「なっ、なん……っ、え!?」


 思うように言葉が出てこない。けれどたしかに、叶人が話している。手首をつねると痛みを感じた。妄想でも幻聴でもないようだ。


「ちー……千花さんは」

「ち、ちーでいいよ!」


 現実を受け止められた瞬間に思わず前のめりになってしまい、はっとする。心の中ではそう呼んでくれていたのだと知り、喜びで胸が躍った。


「ちーちゃんは、安心する」


 叶人の顔の前で動くクマの、あまりの可愛さに理性を保つのもやっとだ。これが尊いというものなのだろうか。


「僕、人前で話すのは苦手で。和臣はいいけど、多分、柚月さんはまだ無理だと思う」

「ゆ、ゆづは気にしないと思うよ。あんまり他人に興味ないからね」

「それも、安心できる」


 叶人はふわりと微笑む。


「な、なんで……私には話そうと思ったか、聞いてもいい……?」


 もしかして相良くんも私に恋をしているの、なんて踏み込めるはずもなく、千花は固唾を飲む。


 クマで隠れているのに、叶人はさらに顔を逸らして答える。


「話すとき、ちーちゃんはいつもこの子を見てるから。見てるん、だけど」

「……ん?」


 クマが小さな手で顔を覆う。照れている仕草だろうか。


「でも、なんか……」


 ちら、とクマが片方の手をずらした。様子を窺うような仕草に微笑ましくなる。


「――ちーちゃんには、俺を見てほしいなって」


 時間が止まったような錯覚。


 遅れて、ぶわ、と顔が熱くなって、赤く染まるのを感じた。照れたように笑う叶人に、とうとう心臓が限界を迎えた。


 『好き』で、いっぱいになる。


「ぅ、あ……に、日誌書けた!? それじゃあ私、提出してくるから、鍵お願いするね!」


 千花は半ば日誌を奪い、教室を飛び出した。廊下の窓から見える空はすっかり橙色に染まり、東の空は暗くなり始めていた。


 小走りで階段を上がり、職員室へ向かう。


「失礼します。日誌提出に来ましたー!」


 職員室にいる教師たちに叫び、担任の机に日誌を置いた。


 意味もなく身を縮め、こそこそと職員室をあとにする。


「失礼しましたー」


 廊下を出たところに叶人が立っていた。逃げ出した申し訳なさと恥ずかしさ、嬉しさがないまぜになって身構えてしまう。


「ま、また明日!」


 なんとか挨拶を絞り出して、横を通り抜けようとした瞬間、叶人に腕を掴まれた。見ればクマが右の手首にしがみついていた。


「あっ、すっごい掴んでるね!? 中の人の主張激しいね!?」


 パペットよりも叶人自身の力を受け取る。


『一緒に帰ろう』


 差し出されたカードに千花は目を丸くする。


「わ、わざわざ用意してくれたの?」


 叶人はパペットを持っていないほうの手の人差し指を、すっと唇に添えた。それから、ぱち、とウインクされ、時間差で胸がきゅんとする。


 普段会話がない分、こういった動作の破壊力がとてつもない。


「かっ……わいい」


 格好いいと言いかけ、すんでのところで可愛いにすり替える。


 さすが役者の息子だ。こうした演技がかった仕草も様になっている。それに見惚れているうちに、いつの間にかクマが目の前にあった。


「――」

「鍵、返してくるね」


 ぽつりと囁くように呟いた叶人は再びパペットをリュックにしまい、千花の返事を待たずとして鍵を返しに職員室へと入っていった。


 一人になった夕陽の差し込む廊下、千花は口元を両手で押さえていた。


 あのギャップ。あざとさ。今はなにもかもが心臓に悪い。


「……相良くん、魔性だ」


 言葉の意味があっているかわからないが、唇に残るパペットの柔らかでふわふわとした感触に、そう呟かずにはいられない。


 穏やかで変哲のなかった日々は急速に、ふわふわで、どきどきするもので紡がれようとしていた。

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パペット使いの相良くん 綾呑 @hatter_

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