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 その後は、これといって何事もなく。

 茜の葬儀は、家族だけで慎ましく執り行われた。遥も、玲奈も、由奈も、ひよりも、みんなたくさん泣いた。火葬場に着くころには、みんなすっかり声も枯れ果ててしまうほど、泣きに泣いて。

 それでも。泣いている間にも、姉妹はみんないっしょだった。

 誰かの涙を、他の誰かが拭って。泣きながら抱きしめ合って、互いを慰め合って。そうやって、ひとしきり泣き終わった後で、姉妹たちはどこかすっきりした顔をしていた。

 悲しみが癒えることはなく、きっとこの先も、母のことを思い出す度に、追憶が胸を掻き毟るだろう。

 だが、それでも。姉妹たちは前へ進んでいく。

 母に貰った命を、大事に大事に抱きしめて。母が願い、自らが望む「幸せ」を掴むために。


――そして、時は流れ。




「みんなー、朝ですよー。ご飯ですよー?」

 静岡の山奥にぽつんと小さな家があった。古びた木造の家は、もうずっと人が住んでいなかったけれど、ここ最近は、いつも騒がしい声に満ちていた。

 台所から顔を出して、かっぽう着姿の長女――遥が、寝室のある離れに向けて呼びかける。どうにも寝坊助が多い一家だからか、やはりこれは起こしにいかなくてはいけないか、と覚悟を決めた頃。

「――おはよう、お姉ちゃん!」

 朝から元気いっぱいの末妹――ひよりが居間に飛び込んできた。

「あら、おはようございます。ひより。お姉ちゃんたちは?」

「んっとね、由奈お姉ちゃんが起きなくて、玲奈お姉ちゃんが頑張ってる」

「またですか……ほんとにしょうがないですね」

 困ったものだと溜息をついた辺りで、廊下から鈍重な足音が聞こえてきた。

「おはよー…………ねむいー」

「……太陽が憎い」

 めちゃくちゃに乱れたパジャマ姿、ぼさぼさの髪、ほとんど閉じた瞼。生来の美貌が台無しになるほどの酷い恰好で、次女――玲奈と由奈の二人が起き出してきた。

「二人とも、先に顔洗ってきてください。ひどい顔ですよ」

「しつれいなんだけど~」

「…………ぐぅ」

「ああもう、つべこべいわずにさっさと行く!」

 文句だけは一丁前な二人を追い払って、遥はあらためて朝食の準備にとりかかる。

「じゃあひより、食器並べるの手伝ってください」

「はーい!」

 聞き分けの良い末っ子といっしょになって、食器を並べていく。ごはんとみそ汁と、ハムエッグ。ごく普通の朝ごはんが――五人分。

 高崎家の食卓は、いつも五人だった。そこだけは変わらない。けれど、それでもやっぱり、変わったものは大きくて。

「そういえば、仁さんはどちらに?」

 かつてそこにいた母に代わって、高崎家の食卓に座るはずの五人目が、どういうわけか姿を見せなかった。

「……あいつのことだし、どうせまたお母さんに会いにいってるんでしょ」

 洗顔を終えて、玲奈は戻ってきていたらしい。

 さきほどの醜態が嘘のように、顔も髪も服も整えられた玲奈は、妖艶さすら感じるほどの美しさだった。

「さすが玲奈。仁さんのこと、よくわかってますねー?」

「はっ、はあ⁉ なに言ってんのバカなの⁉ 遥姉のバーカ!」

「ふふっ、はいはい」

「ばーか、声量おばけ、さいきん二キロ太ったー」

「なっ、なんで知ってるんですか⁉」

 ぎゃあぎゃあと喚き散らす長女と次女(の片割れ)に、次女(のもう半分)はうんざりした顔だった。

「……とりあえずさ。ごはんの前に、誰かあの人呼びにいかないと」

 食卓は、五人で囲むものだ。一人だって欠けるわけにはいかない。

 取っ組み合っていた二名も、ぴたりと動きを止める。

「で……誰が呼びに行くの?」 

 次女(二分の一)の問いに、長女と次女(二分の一)と三女は顔を見合わせて――笑う。

「それは、もちろん――」


 家からほど近い場所に位置する霊園。その一角に、高崎家の墓がある。

 引っ越してきてからこっち。毎日そこへ通うのが、仁の日課だった。

 今日あったことを話して。姉妹たちが今日もちゃんと笑っていたと報告して。そのあとに。お墓の前で繰り返すのは、いつも決まって同じ問い。

「なあ、先生。あんたは、幸せだったか?」

 答えはない。それでも、どうしても気になってしまう。だから何度も何度も、同じ問いを繰り返す。徒労なのだとしても、何度でも。

「なあ、先生。俺は……あんたのことが――」


「あーーっ! やっぱりここにいた!」


 朝一番の威勢の良い声が、静謐な空気を吹き飛ばす。驚く仁が声のしたほうを振り向けば、そこには、

「おにいちゃーん、おはよー」

 半年間で、ずいぶんと背が伸びたひよりがいた。

「まったく、見た目の割に辛気臭いのよ。しょうがないわね、ほんと」

 少しだけ、素直になった玲奈がいた。

「ほんとに……世話の焼ける人」

 時折だけど、柔らかく笑うようになった由奈がいた。

「仁さん。ごはんできましたよ。一緒に食べましょう」

 在りし日の母のように、優しく笑う遥がいた。

 かつて張り詰めたものを感じさせた雰囲気は、今はなく。溢れんばかりの「家族」への愛情を瞳に湛えた彼女は、こちらへ手を差し伸べた。

「……訊くまでもなかったな、先生」

 そう言って、仁は立ち上がる。

 半年前と比べて、身体つきはずいぶんと逞しくなり、髪も短くなった。建築業は大変ではあるが、それでも確かなやりがいを感じている。

 帰るべき家がある。帰りを待ってくれる「家族」がいる。それだけで、こんなにも心が温かい。

(きっと、先生も同じ気持ちだったんだよな?)

 もう、胸の痛みは感じない。空いた傷を塞いで、なお余りあるほどに、たくさんのものを貰ったから。だから、もう大丈夫。


「ほーら、はやくはやくー」

「ああ――今いくよ」


 きっと、ここにあるもののことを、「幸せ」と呼ぶのだから。

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パパ活、はじめました。 瑞木千鶴 @mi_chizu

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