????月

エピローグ

 季節がすっかり流れて、肌寒くなっている。

 僕と母は、喫茶店で、向かい合わせに座っている。


「それでね。お母さん内職で作ってる、缶バッジ……あれ、良いんじゃないかって。言ってもらえたのよ。だから、どうにかならないかって」

「……ネットでページ作って、通販すればいいよ。方法知ってるから」

「本当? でも、怖いわ、インターネットなんて……」


 母はコーヒーを混ぜている。

 随分とその手はやせてしまっている。

 働きすぎと、加齢と。

 年月を刻みすぎたのだ、母は。

 しなくていい苦労までしてしまっている。それが母なのだ。


 外を眺めると、イチョウの木から、はらはらと葉っぱが落ちていって、街路を黄金色に染めている。

 それはきれいだけど、じっさいは、通る人皆、銀杏の悪臭に鼻をつまんでいるのだ。


 あれから長い年月が経ったように思ったけど、実際はほんの数か月だ。

 だけど、僕はほんのちょっとだけ太ってしまったし、母はより給与のよいパートに行くようになった。弟は受験勉強漬けの毎日だ。


 それから、父は亡くなった。


 もともと、働き盛りの頃は、弱い心を、飲酒で支えているような人間だった。

 それを、精神の病と、それまでのツケが粉々に粉砕した。


 だけど、さいごは眠るように逝った。

 深い森の古木が、ゆっくりと朽ちていくように。


 その最期の日に立ち会えたのは良いことなのだと、素直に思えたし、意外なほど悲しくはなかった。

 親戚の人たちとご飯を食べて、それが存外においしかったことのほうが、強く記憶に残っている。


 僕は、ゆっくりだけど、変わりつつあるのだと思う。

 それでいいのだ。急激な変化は、きっと多くのものを巻き込んでしまう。


「いいよ。時間はたっぷりあるんだから」

「そうね」


 僕は、母と話をする。

 これまでできなかった分を、たくさん。


「……そうだ」


 その最中、母が手を止める。


「あなたの、よく一緒に居たお友達だけど」


「……――」


 問いかけに対するベストな回答を僕は知らない。

 圧倒的な空虚と、寂寞が、僕に襲ってきた。

 不意に立ち上がって、姿を探そうとしたけれど、きっと見つからない。

 もう誰も、宇宙人の到来については騒ぎ立てないし、街宣車も見かけない。

 一過性のブームとして消費されて、それで永遠に終わってしまった。


 だから、終わりなんだ。

 あの季節が戻ってくることはない。


 なぜか罪悪感いっぱいになって、母の目を見れないでいると、言葉が自動で継がれた。


「さすがにもう、衣替えをしているでしょうね。もう、秋だもの……」


 僕は想像した。

 長袖にセーター姿の那由多を。

 それはとても滑稽で、だけど、僕にとってあまりにも彼の実情とかけ離れた姿だからこそ、いとおしく思えた。

 心の内側に、あたたかいものが、じわり、じわりと、染み出てくる。


 ああ、そうか、と思う。

 これが救いなのかもしれない。

 少なくともいま、僕は救われた。


 それは遠くにちかちかと瞬く光だ。

 近くで目を焼くような激しさではないけれど、遠くで存在を認識させ、誰でもない誰かたちを、絶えず励ましているなにかだ。


 いま、僕の中で、彼がそれになったのだと感じる。

 その事実で、彼もまた救われていると、嬉しい。


「そうだね」


 僕らは再び沈黙を共有する。

 店内に、静かなジャズが流れている。その旋律を、リズムを共有する、顔も知らない無数の者たち。


「なにから、話そうかな」


 僕は、話題をさぐって、引き寄せた。


 そうだ、昔の話をしよう。

 そろそろ平気だろうと思う。

 

 それから僕は母に、小さく、でも確実に聞こえる声の調子で、父との思い出と、その時の僕の気持ちを、少しずつ打ち明け始める。

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夏の異邦人(エイリアン) 緑茶 @wangd1

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