ワースト・スコア

「……気配がしませんね」


「そりゃそうでしょ、ここはゲームの中の世界なんだから。

 五感に頼らないあたしたちの第六感センスは通用しないのよ。ま、細かく意識してみれば、微かな足音はきちんと作られていると思うけど」


 二人の少女がいる場所は薄暗い館である。


 人がいなくなって数十年と経っている廃屋だ。部屋の隅には蜘蛛の巣が。視界の端を通り抜けるのは、大きな黒光りした虫だ。経年劣化による板の軋みは、歩く度に聞こえてくる。


 吹き抜けになっている大広間の二階へ上がるための階段は、力を入れると壊れてしまいそうだった。危ない橋を渡るのはやめておこう、二階よりもまずは、先に一階を見るべきだ。


「この後は……、隠れている敵を倒せばいいのですか?」


「そうね……隠れてはいないと思うけど。この部屋の敵はさっきの戦闘で殲滅したってことでしょ。だから次は……目の前の扉の先か、それとも覚悟して二階へ上がってみるか――

 現実世界じゃなんてことない高さでも、今のあたしたちの体じゃ二階の高さまで、ジャンプもできないわね」


 普通、ゲームの世界と言えば、普通はできないことを体験できることが売りの一つになっているのだが、彼女たちの場合は制限になってしまっている――手枷、足枷だ。


 彼女たちの現実の肉体の方が、もっと自由度が高く色々なことができる……、吹き抜けの二階にジャンプして到達することもできるし、階段にしたって、壊さないように上ることもできるだろう。敵を殲滅するのだって、初期装備である銃でなくとも、ナイフ、もしくは肉弾戦でなんとかできる。

 ……のだが、ゲーム世界の『ルール』と『仕様』によって、彼女たちの超人的な戦闘能力は、ゲームキャラの自由度に合わせられてしまっていた。

 たとえばさっきの戦闘でもそうだったが――



「――せつなっ、後ろに敵!」


 後輩の背後から迫る敵に銃を向け、引き金を引いたつもりが、実際は未だに銃口は明後日の方向を向いたままだった。

 普段通りの感覚で動かしているつもりでも、頭の中とゲームの世界では、差があるのだ。

 三手先まで読んで行動しても、体は遅れている……、ゲームの映像が彼女たちの実力に追いついていなかった。


 ゲームの外では優秀な暗殺者でも。


 ゲームの中では、最初の敵を殺すことにも苦戦する。


 すると、画面が一瞬、真っ赤に染まった。攻撃を受けたのだ。

 ゲームなので痛みはないが、だからこそ危機感が生まれない。ゲームとしては一つの技かもしれないが、『即死ではない相手の攻撃は、一度受けることでその後の無敵時間を利用し反撃する』というのは、実際の現場ではそのまま死に直結する愚行だ。


 肉を切らせて骨を断つ、とも言うが、骨を断つ余裕があるのか……? 

 肉を切らせた段階で、最低でも相手と実力は拮抗していると言える。実力に差がなければ、受ける一撃は即死の威力であることが多い。

 肉を切らせても大丈夫な相手なら、わざわざ肉を切らせたりはしない。


 ……体感で三秒以上、やっと、動かした銃の銃口が敵に合った。

 引き金を引いて敵の額を撃ち抜く。部位によってダメージが違うが、額は一発で殺せる弱点らしい。

 見事、放った弾丸が額を撃ち抜いたことで、迫っていた敵はばたりと倒れて、その場で霧散する。


 倒した敵の数、攻撃を当てた部位によって、加算されるポイントが変わってくる。額なら高得点だ。ただ、素早く額を撃ち抜いたから、最高得点が叩き出せるというものでもないようだ。

 敵を泳がせ、画面内に多く留めたまま一掃することで、ポイントが膨らむ場合もあるようで――そういう小技は、ゲーム初心者の二人にはまだ早かった。


「あっ、イリエ先輩の後ろにも、敵、ですっ!」


 振り向き――しまった、と歯噛みする。

 ゲームの中にしばらくいれば、分かったこともある。現実世界では大したことのない動きでも、ゲームの世界ともなれば、大したことのない行動もきちんと再現される。


 振り向きざまに横転して反撃するところを、ゲームの中では『振り向く』→『横転する』→『反撃する』の三工程に膨らんでしまう。

 イリエにとっては、たったの一工程……

 どころか、その半分の行程で行動しているつもりだと言うのに……。


 幸い、敵の行動も遅いので、遅れて感じるイリエの行動でも相手の攻撃を避けることはできている……、素の彼女たちが早過ぎるのだ。


 思考も動きも、なにもかも。


 そして、落とし穴は別のところにもあった。

 敵キャラクターは必ずしも最善の行動を取るわけではない。ハードモードゆえの仕様だろうか……、無駄な行動や、想像もしていなかった方向から攻撃をしてくる敵もいる。

 普通は死角を狙うものだが、正面から堂々と攻撃してくる敵は、二人からすれば逆に虚を突かれたとも言えた。


 プロはそんな攻撃、してくることがないから……

 自然と選択肢から消えていた『見えている死角』。


 セオリーではない、と切り捨てたことで生まれた、あるわけがない死角だった。


 敵の猛攻に、画面が真っ赤に染まっていく。気づけば、蓄積していたダメージで残りの体力も僅かだった……、二人とも、序盤も序盤で、ピンチである。


 回復アイテムはない。ハードモードの仕様、ではなく、それ以前にまだ序盤中の序盤なので、回復アイテムも出ていないのだ。


 開発者も、このエリアで回復アイテムが必要なほどにダメージを負うとは、想定していなかったのだろう……。初心者がハードモードをプレイすればあり得る状況だが、ハードモードに挑戦する実力者を想定しているのだ――回復アイテムは、このステージ1では出現しないのかもしれない……。


 イリエもせつなも、ゲーム初心者でありながらハードモードを選んだのは、自信があったからだ……――暗殺者として、現実世界では数多のハードモードをくぐり抜けてきたのだから。


 命を落としかけたことは何度もあった。

 つい最近だって――。


 廃屋ではなく、廃墟だったけれど……しかも国である。

 加えて、ゲームの中に出てくるゾンビよりも凶悪な、『悪魔』を相手にしていたのだから。


 それでも生還した……。

 あの窮地を脱した経験をしたのだ、自信を持つのは当たり前だ。


 それでも。

 現実とゲームは違う。

 現実でできていたことがゲームでもできると思ったら大間違いだ。


 現実での彼女たちは、戦いの中でルールを変えることができる――

 場を整え、自身の有利にすることが強者との戦闘では必須だからだ。


 しかしゲームの世界では、ルールは変えられない……絶対に。

 チートコードを使えばできるが、もちろん、ルール違反は当てはめない。

 ゲームの中は、開発者のルールの下で実力を発揮することを強いられる。


 つまり、不利からのスタート。


 有利を作る、というイリエたち暗殺者の戦い方ではないがゆえに、彼女たちは本領が発揮できなかったのだ…………そして。


 画面が真っ赤に染まったと思えば、真っ暗になる……

 見えてきたのは、血文字で描かれた【ゲームオーバー】……。


 ハイスコアに挑戦したつもりが、最速のゲームオーバーだった。

 これはこれで、ニューレコードか? 欲しくない称号である。



 VRコーナーから出てきたイリエとせつな。


 外で見守ってくれていた、二人よりも年上のお姉さんが、結果を見て難しそうな顔をしていた。


「……そんなに難しかったですか? ゲームの仕様に合わせて、戦い方を変えればいいはずですけど……」


「それができるのはアンタくらいよ……。暗殺だけじゃなく、ゲームまで天才なのか、アンタは」


 暗殺者として、成績優秀であり、長い間、一位に君臨していた暗殺者である――名前はユキ。


 そして、画面に出ているハイスコアの一覧。

 そこで一位に輝いていたのは――『YUKI』である。


 当然、彼女のことだ。


「ポイントは、染みついた暗殺者の癖を抜くことですよ。……でも、難しいですか。辞めた私はできましたけど、現在も暗殺者として活動する二人は、癖を抜くのは、なかなかできないですよね……」


 抜くべきではないかもしれない。

 ここで癖を抜いた後ですぐに仕事に移れば、抜いた癖を戻す前に、戦場へ飛び込むことになる。現実はゲームと違って、ゲームオーバーはそのまま死だ。コンティニューはできない……。


 ゲームか現実か、どっちを優先するかなど、言うまでもないだろう。


「結局、遊びですから。ハイスコアを塗り替えることにこだわる必要は、」


「せつな、もう一回やるわよ――せめてステージ1のボスくらいは見ないと、あたしの気が済まないわね……!」


「じゃあ、付き合いますよ、先輩」


 再び、イリエとせつなが部屋に入っていく。


 VRゴーグルを被り、手に拳銃リモコンを持ち、ゲームがスタートする。


 その場で激しく動き回る二人を見ていると、やはり他のプレイヤーとは動きのキレが違う。

 アクロバティックな動きが連続しているので、自然とギャラリーも集まってきた。

 ゲーム画面よりも二人の動きに注目が集まっている。


 二人のことを、ダンスのパフォーマーかなにかと思っているのだろう……、まさか暗殺者の実戦の技術とは誰も思わない。


「……私、癖を抜くことでハイスコアを出したけど……でも、もしかしてあれほどではないにしても、動き、派手だったり……?」


 ゴーグルを脱いだ後、やけにギャラリーがいたな、と思ったけど、ハイスコアを出したから――ではなかったとしたら。


 目の前の少女二人のように、暗殺者時代の技術を存分に披露していたとしたら――――個人情報の漏洩である。


 身を隠して過ごしている身からすれば、垂れ流し以上に大洪水だ。


 暗殺者を辞めたユキは、今はただの一般人だと言うのに……。


「は、恥ずかしくなってきましたね……」



「あ、あのっ! もしかして『YUKI』さんですか!?」



「はっ!? はい!?」


 女子高生が話しかけてきた。

 敵意のない声に、素直に頷いてしまってから、後悔した……、その女子高生は、ゲームのファンであり、同時にユキの――『YUKI』のファンらしい。


「あの……良かったら、次、一緒にプレイしてくれませんか……?」

「わ、私と……ですか?」

「はいっ、隣でYUKIさんのプレイを見て、真似したいので!!」


 そう簡単に真似することができるものではないが…………、しかし遠慮がちに、でも勇気を振り絞って声をかけてくれた女子高生を、無下にはしたくなかった。


 見て盗んでくれるだけなら……、一回くらいのプレイなら、付き合ってもいいだろう――。


 たぶん、以前より、動きはぎこちなくなると思うけど。


「いいですよ。では、順番待ちをお願いしてもいいですか?」


「はいっ! ありがとうございますっっ!」


 飛び出した女子高生が、プレイの予約をしたところで――

 さっき向かったばかりのイリエとせつなが戻ってきた……、前回よりも早い帰還である。


 前回よりも早い段階でゲームオーバーになり、スコアを下回ってきたらしい……なぜ?


 反省が活かされなかったのだろうか。

 アドバイスが、もしかして逆効果になってしまった……とか?


「癖を抜こうとして、そのせいで動きが鈍くなって…………っ、イライラするわね……!」


「イリエ先輩、もうやめますか?」

「もう一回やるに決まってんでしょ!!」


 はまっている二人である。

 いや、イリエの方が意地になっているだけか? ……なんにせよ、楽しそうでなによりだ。


 ユキが勧めた甲斐があったというものだ。

 まあ、暗殺者として、なに一つ還元されないとは思うけど。



 ―― 完 ――

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ミス・コネクション(短編集その11) 渡貫とゐち @josho

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