天文学
一
「時間ある?」
仕事が終わると、アランに聞かれた。特にやることもない為、俺は頷いた。するとアランは人気のない山奥の大きな建物に案内した。
「おはよう、ユーリ」
建物に入ると、アランは笑って言った。するとぼさぼさの黒い髪をした男の人が現れた。
「おはよ、アラン……何が見たいんだ?」
男の人は欠伸をしながら杖の先を小さく回し、散らかった書類を片付けていた。アランは中央の大きなものの近くにある取手を両手で握った。
「『火炎ノ星』」
「やめとけ、それはみえん……『海ノ星』にしろ」
「そっか……それは?」
「合わせてある」
「やった……」
彼らが何を話しているかわからず立ち尽くすと、アランは笑って僕を見て言った。
「ねぇ、こっちおいでよ」
「あっ、うん」
俺は男の人に一礼すると、アランの元に立った。彼は大きなものの先にあるちいさな筒を示して言った。
「ここ、覗いてごらん」
「うん」
俺は恐る恐るそれを覗いた。すると、青色の綺麗な丸い星が、よく見えた。
「……綺麗」
「でしょ? これはアストロ望遠鏡といってね。これで月を見たら、もっとよく見えるんだ」
アランの声がして、俺はそっと望遠鏡から離れた所に立った。アランは笑って近くに立っていた。
「そっか……すごいね」
「まっ、まぁな……天才天文学者の手にかかればこんなもんよ」
男の人が自慢げに言った。アランはあっさり言った。
「すごいのは、技術者でしょ?」
「それもそうだが……図面をつくったのは私だ」
「はいはい。わかってるよユーリ」
「ったく」
ユーリと呼ばれた男の人は、きまりが悪そうに椅子にどかっと座った。
「しかし、珍しいな……お前も天体に興味があるのか? 名前は?」
「……俺は天体とかはあまりわかりませんが、嫌いではないです……名前は、ニールです」
「ニール……あぁ、噂のね」
ユーリは低く言うと立ち上がった。俺は俯いた。
「噂?」
アランが無邪気に聞くと、ユーリは低く答えた。
「生まれた時、彼の両親を含め周囲の者達が死んだ。唯一生き残った赤ん坊は、この世で最も醜いコボルトだった……醜さのあまり、皆死んだのだろうってつまんねぇ噂だよ」
「へぇ」
アランは笑って俺の顔を覗き込んだ。俺は視線を反らした。
「こんなに近くで君の顔を見ても、僕は死んでない……大丈夫だから、顔を隠さなくていいよ」
「……わかった」
俺はそっと顔を上げた。アランは笑って頷くと、続けた。
「魔法だって、普通に使えばいいのに」
「おい、アラン……そいつ、魔法が使えるのか?」
「うん」
アランは素直に答えた。俺は嫌な予感がして身構えた。ユーリは俺に近寄りながら聞いた。
「おいお前。魔法の威力や効果が、日によって変わることはあるか?」
「はい……何日かの間に一日だけ、ほとんど威力がない日があります。逆にすごい日も一日あるんですけど」
魔法を使う者が未熟だからだと言われるかと思ったが、ユーリは目を輝かせて言った。
「そうか……では、それは月が関係している。といったら、どう思う?」
「不思議ですが、あり得るかと……」
「採用」
「え?」
「魔法と月との関係の研究の協力者に、ニールを採用する」
「待った。彼は、俺と一緒に月に行くんだよ。ね?」
どちらとも約束した覚えはないけどな。と思っていると、彼らは勝手に、俺を、魔法と月との関係を調べ、月に行く要員に加えていた。強引だと思ったが、疎まれてばかりの俺に役割をくれたのが嬉しかった。
「よろしくね」
アランが差し出した右手を、俺はそっと握った。
「よっ、よろしく」
俺達は笑った。これから、俺達の、静かで大きな計画は動き出した。
二
毎日、その日の魔法の状態と月の見え方を記し、三〇日毎にユーリに見せること。彼らに言われたのはそれだけだった。
今日もアランと門番をする日だ。支度をして門に立つと、アランは既に立っていた。彼は何故か傷だらけだった。
「どうしたの?」
「精霊にやられた」
「え?」
「魔術なら、魔法が使えない僕でも使えるからって言われてさ」
「うん」
「魔術って、精霊と契約しないと使えないでしょ? それで、僕と契約してくれる精霊を探しててさ……月に行くなんて馬鹿げてるって断られて、攻撃された」
「そっか」
アランはため息をつくと、また空を見上げた。僕も空を見上げた。
魔法とは、杖と詠唱で使えるもので、魔血(まち)という血をもって生まれた者にしか使えない。この街は魔血をもってる者が多く住んでいたらしく、ほとんどが魔法を使えるのだ。
魔術とは、精霊と契約し、彼らの力を借りて魔法を使うもので、魔血は関係ない。その為魔法を使えない者は、こちらを覚えるのだ。
僕は魔法を使えるが、誰かに見られれば罪になる為使わない。そうしている内に、僕は、魔法を使えない上に、精霊からも嫌われて魔術も使えない憐れで醜いコボルト。ということになっている。
仕事が終わり、買い物をしに町を歩いていると、有名な魔術師の住む建物から追い出された小さな光があった。よく見ると、彼女は精霊だった。
「あっ」
彼女と目があった。すると彼女はすごい早さで俺に近寄り、目の前に止まった。
「わっ、私を使ってください」
「え?」
「あっ……」
俺が魔法を使えると悟ったのか、彼女は落胆したように俯いた。
よく見ると、精霊にしては珍しく醜い顔をしていた。何故そうなったのかは知らないが、プライドの高い魔術師達は、醜い彼女の力を借りるのを嫌がったのだろう。
俺はそっと彼女に聞いた。
「魔術を使って月に行きたいって言ったら、君は嗤うかい?」
「月……」
彼女はそっと空を見上げた。そしてこちらを見て言った。
「とんでもない夢だけど……叶えてあげたいです」
彼女が笑ったのを見て、俺は笑った。俺の顔を見ても平気だった上、月にいきたい夢も嗤わない。俺は彼女をつれて、早速ユーリのいる建物に向かった。
「こんにちは」
扉をノックして開けると、アランはこちらに背を向けて座っていた。ユーリはこちらを見て言った。
「よぅ。おいアラン、ニールが来たぞ」
アランはこちらを見た。傷が増えていると驚いていると、彼は低く言った。
「やぁ、ニール」
「うん……アラン」
俺は彼の隣に座ると、そっと彼女を見せた。
「え?」
「月に行きたいって言ったら、叶えてあげたいってさ……君も、俺よりアランの方がいいも思うけど?」
俺が言うと、彼女は笑って頷いた。そして少し怯えるようにアランを見た。彼は彼女を両手で包むと、大きな声で言った。
「僕と、月に行ってくださいっ」
「私なんかでよければ、ぜひ」
彼女は笑って頷いた。するとアランは嬉しそうに笑った。
「ありがとう、ニール……あと、君は何て名前?」
「はい。私は、サリーです」
「サリーか……いい名前だね。よろしくね、サリー」
「はい」
こうして、アランの精霊が決まった。彼は嬉しそうに立ち上がって言った。
「よぅし。じゃあ、早速月へ……」
「待てバカ」
短く止めたユーリは、淡々と続けた。
「月に行くまでの宇宙と呼ばれる空間は未知だ。研究してからにしろ」
「そんな研究待ってたら、一生行けないよ」
「そんなかからん。五日前に魔術でこいつを月まで飛ばした所だ」
ユーリは赤く光る石を差し出した。それを見ると、アランは不思議そうに聞いた。
「それじゃ、届くまでに何年もかかるよ?」
「魔法で飛ばしてると言っただろう? こいつの気配が近いから、今日中にでもおち……あっ」
その時、赤い光がものすごい早さでユーリの屋敷の広い庭に落ち、後から大きな音がした。
「もしかして……」
アランが聞くと、ユーリは笑って頷き、応えた。
「噂をすれば何とやらだ。だが……もうちょっと静かに帰ってほしかったな」
月の狼 阿久 朱美 @Nisiuri07
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