(回答) 壊れてしまったドール
ガシャン
ドンっ
何かが割れる音と一緒に、僕は胸のあたりを強く押され、壁に頭をぶつけた。
「いったぁ――。なにすん……」
ぼんやりとした僕の頭に、自分のどなり声が響き渡る。
途端、――――、後頭部の痛みが、僕を現実にひきもどした。
(やばっ。未成年にキスするとこだった……)
スコティッシュ・フォールド社はイメージを大切にする。15歳未満の子どもに手をだしたなんてことがばれたら、減給ものだ。
(自制心を保てると思っていたんだけどなぁ……。上司にばれたら何を言われるやら……はぁ……胃が痛くなってきた……)
ふうっと息を吐くと、僕はぶつけた頭をさする。僕を誘ったルチさんも、羞恥のせいか、真っ赤になって僕を見ている。さっきまでの妖婦のような色っぽさは抜け落ちて、14歳の少女がそこにいた。
未遂にもならなくてよかったと胸を撫で下ろしていると、かすかにシューっと空気が抜ける音が聞こえてきた。
(ん?)
ルチさんの隣に座っていたドールが口から白い湯気をだして、肩で息をしている。口からこぼれた湯気が小さな音を立てていた。
(口から白い湯気? ということは、故障?)
僕ら営業は、ドールの保守点検もまかされていて、簡単な修理なら可能だ。でも、口から白い湯気を吐くというのは見たことがない。
そして、ドールは不自然に左手には割れたカップを持っていた。その破片でドールの皮膚組織が傷ついたのか、テーブルクロスには赤いシミが広がっている。
「クー、……クラリオス? 」
ルチさんも異変に気がついたようで、ドールの顔を覗き込む。ドールは、割れたカップを手放すと、口角をあげようと頬をひきつらせた。ドールのすべての行動がぎこちない。
(故障だ。原因は、……、口から白い湯気というと……、うーん、頭部がショートしたと考えるのが妥当だな。頭部のショートといえば……、あっ!)
僕はドールのセールストークを思い出した。
『ドールは頭部に設置された人工知能で行動を制御しています。この人工知能は、殴る、蹴るなど人間に危害を加える行動を起こそうとした場合、自動的に過電流が流れるシステムになっています。過電流によって機能は緊急停止しますから、ドールが人間に危害を加えるということは決してありません。安心して、ドールと有意義な生活をお送りください』
僕がルチさんにキスしようとしたのを見て、ドールはカップを割り僕を傷つけようとした。だから、自動的に過電流が流れ、機能が緊急停止した。
状況から、そう考えるのが妥当だ。でも、ドールの行動の理由がわからない。ドールはルチさんだけをみていた。僕には無関心で、無視していたはずだ。
(? ドールは僕とルチさんのキスを妨害しようとした? ……、ん? それじゃあ、まるで、やきもちを焼いた子どもみたいじゃないか)
ドールに感情はない。嬉しそうにみえる表情も何万という笑顔を学習した結果に過ぎない。だから、嫉妬なんていう複雑な人間の感情を模倣するなんてありえない。でも、もし、仮にドールが僕に嫉妬したんだったら辻褄があう……、でも、そんなことありえない……僕は自分の考えを否定するように首をふった。
パフンという小さな音をたてかたと思うと、白い湯気がとまった。
「クー!!! 返事して!」
うわずった声で、ルチさんがドールの肩をゆする。ドールは壊れた機械のようにゆっくりと顔を動かして、「……、ル……ぃ……カワ……」と少女にぎこちなく微笑む。そして、急にがくりと首を落として、その全機能を停止させた。
「きゃあああぁぁ……!! クー!!!」
***
パニック状態で大泣きのルチさんとと動かなくなったドールをどうにかエアーカーに乗せ、とりあえず、行き先をFREEにして、エアーカーを走らせた。店員の「痴話喧嘩は外でしてくれ」という露骨な言い回しには腹がたったけど、あのまま店にいる勇気はなかった。
(どうしたらいいだろう……)
人工知能がショートしたのなら、僕の手には負えない。ドールを会社に持ちかえって、上司の嫌味に耐えながら、修理をお願いするしかない。
(胃が痛いなぁ……)
僕は上司の顔を思い浮かべて顔をしかめた。まあ、そんなことを考えても仕方ない。気持ちをきりかえて、ルチさんの様子をうかがう。
ルチさんは大声で泣くのをやめて、今は、膝を抱えてぐずぐず鼻をすすっている。
「ぐず……、クーはどうなっちゃうんだろう……。」
「人工知能がショートして機能が停止したので、ラボに持ち帰るしかないかと……」
「そんなの嫌よ……ぐず……」
「しかし、使用を続ける場合でも、人工知能を取り換えなくては動きませんよ? ですから、一度、ラボに持ち帰ってですね……」
「人工知能をとりかえるって……、ぐず……、それって、…………、クーはクーじゃなくなるってこと??? そんなの……い゛や゛!」
ルチさんはそういうと動かなくなったドールに抱き着いた。ドールはぴくりともしない。
「……、クー、なんで、動かなくなっちゃったの……」とルチさんがドールにむけた言葉に、僕は「過電流が流れたからです」と答えた。赤く腫れた目が僕をみる。
「……なんで?」
「今回の場合は、僕に危害を加えようとしたから、システムが作動したからです」
「なんで?」
「それは、……」
「なんで?」
「おそらく、……コホン……、僕がルチさんにキスを……」
「え?? おじさんがルチにキスしようとしたから、クーが壊れたの?」
「状況的には、そうなります」
「でも、なんで?」
「そこがわからないんです」と僕は首をふった。
「おじさんでも、わかんないの?」
「ええ。人間だったら、好きな子が他の人とキスしようとしたら、やきもちをやいてすごく怒りますよね。しかし、ドールは機械人形です。感情は持っていません。……、あくまでも、想像ですが、もしかしたら、ドールにも感情というものがあって、彼は僕に焼きもちをやいたのかもしれませんね。ははっ」
「……、だといいなぁ。ルチはクーが大好きだもの」と言うと、ルチさんは動かなくなったドールの頬にそっとキスをした。
「ごめんね。クー。私、お金なくて、でも、クーと離れたくなくて、それで、おじさんを誘惑すればお金をもらえるかもって、思っちゃって……。ごめん、クー。ねえ、おじさん、パパが帰ってきたら、お金はちゃんと払うわ。だって、ホショウニンなんだもの。それに、パパならクーを治せると思うの。だって、パパだもん。パパにできないことはないんだから。…………、だから、それまで待ってほしいの。……だめ? 」
そういわれて、ドールを持って帰るほど、僕は薄情な人間にはなれなかった。どっちにしても怒られるなら、更新料未払いのままでいいか。決して、自分の体面を守ろうとしたわけではない。そう言い聞かせて、僕はちょっとだけにやけたのは内緒だ。
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