(回答) ユキヒロ ナパージュ

「それにしても、何が極秘業務なんだろう……。ナパージュ氏がモンスター客には見えなかったけどな……」


僕は、エアカーの中で、これから尋ねる顧客のデータを眺めた。


 ユキヒロ ナパージュ

 35歳。男性。アレス研究所の研究員。


 アレス研究所と言えば、大手企業だ。そこで、研究員としてちゃんと働いているのだから、良識もあるだろうし、支払いに困ることもないだろう。


 彼がリースしているのは、男性のドール。

 僕が担当している顧客の場合、ドールの詳細を書くのだけど、ここには「個人情報保護のため」という一文が書かれているだけだ。

 回収予定日は……、えっと……、29日ということは、先週の木曜日か。


 ナパージュ氏のことだ。うっかり忘れているだけかもしれない。ナパージュ氏はぼんやりとした雰囲気だったから、日付とか間違えていそうだし。

 きっとそうに違いないと、ぞわぞわする気持ちを抑えようと試みる。

 そのたびに、「人の心や知性というものは、巧妙に隠れている、隠されていることも多い」といった上司の言葉がよみがえってくる。


 (まさかね。ナパージュ氏に限って、そんなはずはない)


 僕とセキさんでドールのことを熱く語った時も、暖簾に腕押し、柳に風で、聞いているのか聞いていないのかわからなかった。だから、セキさんが契約にこぎつけたと聞いて、心から拍手を送ったのを覚えている。

 

 (……、そういえば、セキさんが休みだしたのも先週の木曜日あたりだったような……。偶然とはいえ、ちょっと考えてしまうかも……)


 あれこれ考えていると、目的地である第4セクターに到着した。ここは、高層ビルが立ち並び、火星らしいといえば火星らしい場所。僕はエアカーから降りると空を見上げた。空は薄いオレンジ色をしていて快晴だ。今日は磁気嵐は起こらないだろうと天気予報では言っていた。


 (大丈夫。きっと、今日は上手くいく)


 僕は自分に言い聞かせながら、ナパージュ氏の家を訪ねた。




「ですから、今日は、ドールの回収もしくは継続手続きをお願いしたくて……」

「ほお……」

「はい。一年の間は無償提供しますが、そのあとは更新料が毎月5万リーブラかかります」

「ほお……」


 ナパージュ氏はだらりと椅子に座ると、服に手をいれておなかのあたりをさすりながら僕の話を聞いていた。まるで他人事のような相槌は、僕の気持ちをごっそりと奪い去っていく。


「ですから、継続手続きをされない場合は、ドールを回収させていただきます!」

「……、お前、名前は?」


 ナパージュ氏は興味なさげに、あくびをしながら僕の名前を聞いた。僕はポケットから名刺を取り出すと、びしっと机の上に置いた。


「スコティッシュ・フォールド社のヒロ ポポスといいます」

「ほお……。たれ耳ねこ社か。俺、お前のこともよく知らないんだけど……?」

「はい。担当はセキですが、彼は現在、休暇中でして、代わりに僕が交渉に参りました」

「ほお……。休暇かあ。いい身分だな」


 間延びをしたナパージュ氏の受け答えにいらっとした僕は、強い口調で言い寄った。


「それで、話をもとに戻しますが、現在、ナパージュ氏はドールをリースしていて、無償リース期間が過ぎています」

「ほお、……ドールをねぇ……。っで、そのドールとやらはどこにいるんだ?」

「はい?」

「そう、俺が借りているというドールって、どこにいるんだ?」


 ナパージュ氏が首をかしげながら聞いた。


「それは、この契約書に書かれている通りでして……」

「この家にはいないぞ」

「しかし、この契約書のサインはナパージュ氏ですよね?」


 僕は契約書を机の上に置いて、ナパージュ氏のサインのところをトントントンと指さした。すると、ぼりぼりっと頭を搔きながら、ナパージュ氏が困ったような顔をする。


「確かに、そのサインは俺のものだ。しかし、俺は、そんなサインした覚えはない」

「でも、ドールはナパージュ氏の家に届いています。それを受け取ったサインもあります」

「荷物が届いたら、とりあえず、サインするだろ?」

「しかし!」

「ドールはここにはいない。お前だって、そう思うだろ?」


 ナパージュ氏の家は1LDK。シングルベッドにはふとんが無造作に置かれ、ごちゃちごちゃっと洗濯物が天井からぶら下がり、足の踏み場もないほどゴミが散らかっている。確かに、ドールの姿はない。


「外に買い物に行っているかもしれません」と僕が言うと、「まあね。貸したって言い張るんだからそういうだろう。しかし、俺は知らない。サインだって、だまされたのかもしれんし、単に俺が忘れているだけかもしれん」

「しかし……」

「ありもしないものに金を払えって押しかけられてもなぁ……」

「それは……」


 僕は必死になって、ドールがいるという証明をしようと部屋を見渡す。


 その時だった。がちゃりと扉が開く音がして、聞き覚えのある声が耳に入ってきた。

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