『のんびりした切れ者おっさん』

(お題)のんびりした切れ者おっさん

「はああ………」


 黒い服を着たキツネ目の上司が、わざとらしく僕の傍でため息をついた。


 でも、僕はそしらぬふりをして業務報告書を作成し続ける。


 文句を言われる筋合いはない。


 さっき、クシュルリさん名義でドールの更新手続き料が払い込まれたことを確認済み。問題ない。クシュルリさんは目覚めない原因は僕にあるかもと悩んでいるとか、実の娘の態度が気に入らなかったとか、僕がとても気にしている話は、上司にはどうでもいいことなんだから。


 (今日は無視しようと決めたのに、なぜ、僕に絡む?)


 僕が相手をしないオーラを前面にだしているのに、上司は僕の隣に座った。そして、「ふうう……」と口をとがらせて、息を吐いて、小さく首をふった。そして、またため息をついた。


「私もネ、好きでチミに嫌味を言っているわけではないのダヨ」と、珍しく、肩を落として、上司がつぶやいた。その声は、いつものねちっこい声ではない。どちらかというと、自信を失ってしまったようにも聞こえる。


 (何があった?)


 思わず、僕はタブレットから視線をずらして、上司を見た。


「チミの営業成績のことを考えているからこそ、時に心を鬼にして、暴言を吐くのですヨ? それを、チミが理解してくれないとは……。本当に、日頃の言動や行動だけで人を判断してはいけないとあれほど言っているというのにネェ……」


 上司が唇の端を少し持ち上げて、無理に笑おうとしている。


 (本当に、何があった?)


「営業のセキ君をチミはどう思う?」

「?」


 営業のセキさんと言えば、約1年前に途中入社してきた人だ。上司の嫌味も馬耳東風な感じで聞き流して、のらりくらりとしている印象がある。


「彼がネ………、いや、……、ヒロ君に話しても仕方ないことですネ。まあ、あえて言うならば、……人の心や知性というものは、巧妙に隠れている、隠されていることも多いということカナ」


 それから目の奥に悪魔の炎をちらつかせて続けた。


「ひねくれた知性の持ち主というのは、無能者や道化を演じながら、いつも鋭く私たちを観察し、弱みを探っているということですネ」


 確かにうわべだけで人を判断することはできない。

 それは分かっているつもりでも、つい忘れてしまうものだ。

 明るくふるまう人が実は暗い心を持っている、暗い人の中身が実は明るい心にあふれている。


「ですから、私は、チミに、顧客の外面に惑わされることなく、本質を見極めることをオススメしますヨ」

「はあ……」

「そこで、今日は、無事に更新料を回収して気分をよくしているチミに、一つ、お願いが……」と言うと、思わせぶりにコホ、コホと咳をした。


「?」

「今日は、ここへ行ってほしいのですヨ」


 そう言って、『ユキヒロ ナパージュ』と名前が書かれた紙をこそこそと僕に手渡した。


「? でも、この人はセキさんの担当で、僕は何度かついていっただけですけど?」


 上司の意図が見えず、僕は聞き返した。担当者以外の営業マンが顧客のところに行くのは、ナシだと思うし。


「…………、チミは、ユキヒロ ナパージュ氏をどう思うカナ?」


 上司が僕の耳元で、ヒソヒソと話した。


「いつもぼんやりとした雰囲気の、くたびれきって何事にも適当な中年男性という印象しかありません。それがどうしたのです?」


 僕の声が思いのほか大きいと感じたのか、上司がきょろきょろとあたりを見回して、人差し指を口に当てた。


「しぃ――。これは極秘業務なのダヨ。とにかく、頼んだヨ。優秀な


 猫なで声でそう言うと、上司はにいっと唇の端をあげて席を立った。


(絶対、何かある)


 ぞわぞわっと嫌な予感しかない。

 でも、上司のお願いを断れる勇気もない。

 

 セキさんと言えば、ここ数日、休暇を取っている。

 彼に話を聞くことは……、できないだろうな……。



 得体のしれない何かに巻き込まれてしまった僕は、憂鬱をずるずると引きずりながら、ユキヒロ ナパージュのもとに足を運ぶしかなかった………。

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