回答編(2) ふたりのミク

 突然倒れて救急車で運ばれたクシュルリさんは、「急性心不全」と診断され、今は集中治療室で治療を受けている。かなり危ない状況らしい。


 でも、火星では、70歳以上の人間の延命治療は家族の同意がいる。同意が得られなければ、延命治療はしない。


 クシュルリさんは独り暮らし。家族はいない。このままでは、クシュルリさんは延命治療を受けられず、人工呼吸器は取り外されてしまう。このままクシュルリさんが死んでしまったら、僕が殺したことになるような気がして、胃がきりきりきりっと痛む。


 僕は、報告書の緊急連絡先に書かれている電話に、すがる思いで電話をすることにした。

 


 緊急連絡先に書かれていた電話の相手は、20歳の時に家を飛び出したクシュルリさんの娘さんだった。クシュルリさんは事故で失ったと言っていたけど、本当のところは違ったみたいだ。


「延命治療はしません」

「しかし……」


 クシュルリさんとドールによく似た中年女性はにっこりと笑みを深めた。


「貴方に責任を転嫁するつもりはないわ。私に連絡をくれたから、むしろ感謝しているのよ」

「しかし、もう少し様子を見た方がいいかと……」


「貴方ねぇ。70歳以上の年寄りに取り付けられた人工呼吸器の代金っていくらか知っているの? 一日、1万リーブラもするのよ? 1万リーブラ!! ……、つまり、それって、延命治療をするなって暗に政府が言っていると思わない? 年寄りはさっさと死ぬほうが利にかなってるの。それに、もしも、生き返ったら、後遺症が残るかもしれないじゃない。………… あーいやだいやだ。あんなばばあのしもの世話をするなんて、考えただけでもぞっとするわ」と言うと、中年女性は露骨に顔をしかめた。


「だから、延命治療はしない。このまま、息をひきとってもらう。そうすれば、みんなwinwinだわ」


 その時、今まで僕の後ろでじっと立っていたドールが、中年女性が持っていた延命治療用紙をひったくった。


「ママノ命助ケル!」

「はあ? あんた、何?」

「ワタシハミクデス」

「はぁぁ? ミクはあたしの名前よ。ばっかじゃない」

「ママノ命助ケル」

「はぁぁ? ばっかじゃない。……、ん? あんた、……、機械……?」


 中年女性が、自分によく似たドールの顔をじろじろと見る。


「あのくそばばあ……。きも…」と呟くと、僕の方に向き直った。


「…………、スコティッシュ・フォールド社って……、人間そっくりの機械人形を貸し出す会社だったっけ?」

「はい。このドールは、クシュルリさんがリースしているものです」

「あっそ。じゃ、さっさと持って帰って。解約するから。でも、リース代についてはあたしには払う義務はないからね! あのばばあが勝手にしていたことで、あたしには関係ないってことで、よろしく」

「ダメデス! ママノ命助ケル!」

「はぁぁ? あんたにばばあのことをとやかく言える権利はないの。あのばばあのことをママ呼びするなんて、血の通っていない単なる機械のくせに、ばっかじゃない」

「ダメデス! ママノ命助ケル!」


 僕は二人のやりとりを見ながら、どうすればいいか考えても答えが出ないでいた。


 僕はクシュルリさんを助けたい。でも、僕にはそれをいう権利はない。

 中年女性の言い方は気に入らない。でも、それは、僕の気持ちの問題でしかない。

 それでも――。


「二人とも、―――」と僕が口を開けかけたとき、後ろから、声がかかった。



「私はハルカ クシュルリさん担当の弁護士です」


「弁護士さん?」と中年女性が弁護士と名乗った男性の方をむき、しなを作ってにっこりと笑った。


「あたしが、ミク クシュルリ。母の延命治療はしません。今すぐ、医師にそれを伝えてください」

「……、ここに公正証書があります。要約すると、貴女がハルカ クシュルリさんのことを想う気持ちがあれば貴女の意志を尊重するように、なければ遺産はドールに託すようにとあります。さきほどから聞いていましたが、貴女にハルカ クシュルリさんを想う言葉は聞けませんでした」

「はぁぁ? ばっかじゃない。この人形が遺産を相続するっていうの? たかが人形じゃない。相続するのは娘のあたしよ」

「はい。たかが人形ですが、それがハルカ クシュルリの依頼です」







旦那さんはワーカホリックでほとんど帰ってこなかった。

一人娘はクシュルリさんは出て行ってしまった。

クシュルリさんはお金はあったけれど、愛がない生活を送っていた。

だから、心を壊し、願望と現実がごちゃ混ぜになって、精神的に不安定になった。

だから、自分は愛されていると信じたかった。だから、……。





 ドールは、自分のリース代を支払い、今日も目覚めないクシュルリさんの介護を続けていると聞いている。

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