『やたらドラマチックなお婆さん』
(お題)『やたらドラマチックなお婆さん』
「チミもとんだ災難でしたネ」
黒い服を着たキツネ目の上司が眉をまあるくして、近づいてきた。何が嬉しいのか、口元がわずかに上がっている。
「しかしネ、営業マンのチミを連日社内で見かける日がくるとはネー。同じ空間にいて気が滅入らないカナと心配してしまいますヨ」
ドールが起こした死亡事故の件で、ここ数日、事情聴取があるからという理由で、僕は社内にいた。対外的に何も問題ないはずだ。
「しかしネー、やはり、営業は、外を回って、ナンボだと思うんだケド? そう思う私は、古い考え方の持ち主なのカナ? それとも、外回り営業に行けない理由でもあるのカナ??」
遠回しな嫌味をチクチクと言う。
きりきりきり……と胃が痛む。僕は、上司から視線をずらして床を見る。あいかわらず、ツルツルピカピカだ。
「……自信がなくなってきて……」と僕はぼそぼそっと言い訳をする。そうなんだ。まだ、僕の気持ちが整理がついていない。だから、営業に出かけられない。出かけようとすると、きりきりきりと、僕の胃が痛み始める。
もし、僕が回収にいかなかったら。
もし、せめて、磁気嵐の警報が出ていない日に行ったら、
もし…………。
もし、という言葉が頭と胃の中でぐるぐるしてしまう。
「はあ……」と上司は、わざとらしく大きくため息をついた。
「チミはスコティッシュ・フォールド社の正社員だヨネ? ドールの素晴らしさを顧客に提示して、リース契約を結ぶのがお仕事だヨネ? 契約をして、回収して、それで、おまんまをたべているんだヨネ?」
「……、はい、そうです」
僕は蚊の鳴くような小さな声で答える。
「ん? それとも、お仕事ができないというのカナ? それは、ゆゆしき問題ダヨ。私でヨケレバ、相談にのるヨ。何が問題なのカナ?」
口元の薄ら笑いをひっこめて、同情的な口調で上司が僕にささやく。僕の心の中でぐるぐるまわっていた”もし”が思わず、こぼれでる。
「あの時、僕が回収に行かなければ、顧客の祖父は事故に巻き込まれることはなかったのではないでしょうか」
上司は、「はああああ?」と大きな声で怒鳴ると、僕の胸倉をつかんだ。そして、上司の鼻にぶつかりそうなほど近くまで間近に引き寄せて、「このドアホ!!」と怒鳴ると、ぱっと手を離した。
僕はよろけて、思わず近くにあった机手をおいて体を支えた。耳元で怒鳴られて、キーンと耳鳴りがする。
上司は、コホン、コホンと軽く胸を押さえて咳ばらいをしている。
「あれは災難としか言えない単なる事故ですヨ」
一文字一文字正確に発音すると、僕の肩に手をのせた。
「しかし……、僕が彼らの幸せな生活を壊したことには変わらないのでは?」
「まあ、お客様にだっていろいろな事情がありますからネ」
キツネ目が細くなり、口角が上がる。
「スコティッシュ・フォールド社のモットーはなんだったカナ?」
「顧客の声に真摯に耳を傾けること」
「そうダネ。契約を結ぶ上で大事なことは彼らの声に真摯に耳を傾けること。チミは顧客に寄り添い、共感し、顧客の要望に応えているヨネ。あの子ども達に母親を提供した。素晴らしい!! ワンダフルな発想!!」
僕の肩から手を離すと、パチパチっと賞賛の拍手をする。細い目がさらに細くなる。
「しかしネ、彼らの戯言は、右から左に聞き流がすことを先輩として忠告しますヨ」
上司は、まるで、舞台俳優のように、宙に手をのばし、視線を天井に向ける。
「同情、共感、思いやり、情け心……、ドールやアンドロイドにはない、人間が持つ素晴らしい感情……」
そこまで言うと、手を胸にあて、目をつぶる。そして、ゆっくりと目をあけると、再び宙に手を伸ばし、自分に酔いしれるような語り口で語りだした。
「キャツらは、ある時は涙を浮かべ、ある時は袖に縋りつき、自分がいかに大変なのか、あの手この手で、情に訴えてきマス。それは、麻薬の如く、じわりじわりとしみ込み……、気がついた時には、心の中にどっかりと座り込み……、私たちを情という鎖でがんじがらめにしてしまうのデスヨ。
『そういうことなら返却期限を延ばしましょう。何とかします。大丈夫です』という言葉を引き出すためなら、キャツらはなんだってしマス。ええ。本当に、なんだって!」
そこまで言うと、僕の両肩をがしりと掴んで、ゆすぶった。
「目ん玉、ひんむいて、キャツらをよく見ろ!!
キャツらが浮かべている、狡猾な笑みを。
キャツらの唇からチロリとのぞいている、蛇の舌先を。
ええ? それを見て、まだ甘っちょろい正義を振りかざす気か!! このドアホ!!!」
さらに強く肩を掴んだ。
「同情は金にならん! それともなんだ? ミイラ取りがミイラになって、お前が代わりに払うのか?? しかし、今のお前は営業も行かずに、ただ飯を食っている分際。そんなやつが偉そうなことを言うな。
相手が泣こうが喚こうがキチンと回収してこい! うちは慈善事業じゃねえんじゃ! ぐずぐずしていないで、さっさと行け!! このドアホ!!!」
そう耳元で怒鳴ると、上司はパッと手を離して立ち去った。ぐわーんと耳鳴りがする。
はあ……。行くか。
僕は掴まれてジンジン痛む肩を押さえて、トボトボとビルを出た。
空を見上げれば快晴。僕の心と裏腹。
今回のお客様はお婆さん。
巧みな話術と迫真の演技で、いつの間にか自分の劇場に引きずりこむモンスター……もといお客様。
手の内が分かっていてもなお、彼女に同情してしまうだよなぁ。
かくしてわたしは憂鬱をずるずると引きずりながら、今日も顧客のもとに足を運ぶのだった。
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