第33話(一途視点)
「一途ちゃん、今日は久しぶりにお母さんと食べない?」
朝、昼、晩——。
食事は母親と一緒に取らない。お互いに正面から顔を合わせて、食事するなんて有り得ない。
これは高校の頃に決めってしまったこと。
しかし今晩は珍しく母親が誘ってきた。
もしかして昨日、“アイツ”と何かあったのか。
反射的に誘いを断ろうとしたが、母親から何か聞き出したいという意欲が勝り首を縦に振る。
「こうやって、一緒にご飯食べるなんてホント何年ぶりぐらいかしら?」
「知らない」
「今日はクリームシチュー作ってくれたんだ~」
「うん」
「これお母さんの大好物だよ」
「あっそ」
「いつも美味しいご飯作ってくれてありがと」
「ん」
母親は必死に話を盛り上げようとするが、私が言葉少なで会話がいちいち途切れる。
私は自分の分と母親の分のご飯を皿に盛り、机に置いていく。
一通り準備を済ませば黙々と席に着き、母親と視線を合わせることなく、ひたすら窓の外を眺める。
「そうそう。昨日ね、たまたま晴斗クンと会ったんだよ~。凄くない?」
「うん」
「かなり久しぶりだったから興奮しちゃった。暫く会ってない間に身長が少し伸びててビックリしたわ」
「うん」
「一途ちゃんも晴斗クンと再会したのは結構最近?」
「うん」
「場所は大学?」
「うん」
「へぇ~、そうなんだ。なんかロマンチック」
私が振らなくても、アイツの話題が始まった。
私以上に彼との再会を喜び、楽しげに語る。
「晴斗クンとは何を話したの?」
「色々」
「色々とは具体的に?」
「色々は色々」
「うふふ。そっか」
まるで答えになってないのに、母親は心底嬉しそうに微笑む。
この人はいつも何を考えているのか分からない。
ずっとボヤッとしてて大人にしては頼りない。なのに彼女は度々、暴挙に出る。
父親との離婚も、駅の事故も——。自分の命を顧みず他人を優先する聖人。
それが優しくて怖くて美しい。そして苦手だ。
「お母さん」
「はい、なんでしょう」
「昨日アイツとなに話した?」
う~んと頬に指を当て、考える素振り。
年増でやせ細っているのに、こういうあざとい動作が似合うのは才能だろう。
「晴斗クンとは一途ちゃんのことで盛り上がったよ」
「具体的にどういう話?」
「馴れ初め話」
「ぶほっ⁉」
飲んでいた水を喉に詰まらせる。
アイツなに話してんだ、バカ。
“懐かしい思い出話”じゃねぇよ‼
「まさか晴斗クンじゃなくて、一途ちゃんの方が先に告白していたとは驚きだわ~」
「うっさい。黙れ」
「けっこう積極的ね」
「マジうっさい。シね……しゃなくて、ウザイ!」
あの頃の私はどうかしてた。若気の至りよ。
ほんと恥ずかしい。忘れたい記憶が脳裏に過り、吐き気がする。
せっかく美味しく作ったクリームシチューの味が台無しだ。
「あとあの絵も見たわ」
「あの絵って……、まさか‼」
一時期アイツと描いた駄作の数々。机の引き出しに封印されたヤツを今更どうして‼
「ゴメンなさい。部屋の中、許可なしに少し弄っちゃった」
「お母さん‼」
他人の部屋に侵入とかほんと有り得ない。よりにもよって知られたくないアレを探し当てるなんて運が悪すぎる。
今すぐ死んで消えてしまいたい。
「晴斗クンの絵はお世辞にも上手いとは言えないけど、一途ちゃんの絵は今と変わらず素敵だった」
「あっそ」
「もう絵は描かないの?」
「またそれ」
お母さんの最近の口癖——。やたらと私の絵に固執している。
今は描きたい気分じゃないのに、こうやって定期的に煽ってくる。
ハッキリ言って鬱陶しい。
「絵は一生描かないって決めたの。そういうの止めてくれる?」
ついカッとなってキツイ言い方なってしまった。
母親は肩を落とし、表情を曇らす。
「お母さんは晴斗クンのことが羨ましい。彼は一途ちゃんのこと全部知ってる。楽しいことも、幸せなことも、辛いことも——」
母親は手に持っていたスプーンを皿に置き、私の目を真っ直ぐ見詰める。
「わたしは全然一途ちゃんのこと知らない……」
この人は急に何を言ってるんだ?
私もスプーンを皿に置き、訝しげに母親と視線を交わした。
彼女の瞳が僅かに揺れ、何故か追い詰められた表情を作る。
「お母さん、アイツと何かあった?」
「ううん。ただ楽しく喋っただけ」
「あっそ」
きっとウソだ。何かあったに決まってる。
明らかに様子が変だ。いつもの母親じゃない。
良くない方で違和感を感じ、また行き場のない苛立ちが込み上げてくる。
「アイツから何を聞いたのか詳しく知らないけど、とりあえず全部忘れて。今のお母さんには必要ないから」
「一途ちゃん……」
私はそう吐き捨て、残りのシチューを一気に平らげる。
静かに手を合わせたあと、そそくさと汚れた食器をシンクに置いていく。
母親は黙り込んでしまった。暫くシチューを見詰めた状態で固まってしまう。
「これでいいんだ……、きっと」
一度、母親とゆっくり話した方がいいと彼から注意された。
今回はこれで充分だろう。
私はもう限界だ。
もう色々考えたくない。困らせたくない——。
■■■
母親を置いて自室に戻る。
確かに部屋を漁られた痕跡がある。ちゃんと閉めてあったはずの引き出しが半開きになっていた。
「アイツ、遺書のことも言ったのかな……」
あれは特に知られたくない過去。状況がややこしくなり、収拾がつかなくなる。
緊張が解かれた私は、ベッドに仰向けになって倒れた。
「——ん?」
床に置かれた荷物から通知音。上体を起こし、中からスマホを取り出す。
ホーム画面を開くと『明日予定空いてますか?』と可愛い猫スタンプとともに届いた新着メッセージ。お相手は晴斗ではなくその後輩——、日南真愛。
出来れば、あまりこの人と話したくない。初対面の時からなんとなく苦手意識を覚えていた。
見るからに私が嫌いなタイプ。闇を抱えているのが丸見えなのに、笑顔を絶やさない。そして何か遠回しに嫌がらせとかしてきそう。
現にこの前、ファミレスで一緒に食事したとき。晴斗の件でかなり煽られた。
あの子は晴斗のことが好きで付き合いたいと語っていた。ただ顔が好みとか趣味が合うとかそういう中途半端な理由で付き合いたいのだと初めは疑っていた。でも話していくにつれ彼女の言葉に熱を帯び、あどけない表情を晒した。その様子を見て中途半端な好意ではないと察してしまった。
『——空いてるけどなに?』
字面だけ見ても素っ気ないメッセージ。
スタンプなんか送る訳がなく、即座にLINEを閉じる。
知らない人とメッセージのやり取りをするのは頗る面倒臭い。これが限界だ。
スマホの画面を切ると同時に、また通知音が鳴る。
案の定、返信が早いな。
『じゃあ明日、ウチとデート行きません?』
は……?
コイツ何言ってんの⁉
“デート”という文字を見て大人げなくイラッとする。
『デートってなに?』
『遊びの約束です』
『ややこしい。最初からそう言って』
『いや最初から言わなくてもジョークだって分かるっしょ⁉』
ダメだ。今日は無性にイライラする。
空いている手でベッドのシーツを千切れんばかりに掴み、気を紛わす。
『遊ぶってどこで?』
『水族館!』
『どこの?』
『△△△水族館‼』
彼女が提示してきた水族館はかつてアイツとよく言った場所。
偶然かわざとか。どういう訳かあの水族館に行こうと誘ってくる。
『なんで水族館?』
『ナイショです♡』
いちいち言動が癇に障る。
この感じは偶然じゃない。予想通り嫌な性格をしている。
この女とは一生分かり合えない。
『では明日の昼頃、12時くらいに現地集合で‼』
『そっちで勝手に決めないで』
色々文句を言おうと素早く打鍵するが、ここで会話が途切れてしまった。
最後に送ったメッセージに既読が付かない。
「クソ……」
スマホを空中に放り投げ、再び仰向けになって倒れる。
なにかもが嫌過ぎて吐き気がする。特に明日は考えるだけで胃が痛い。
高校時代に浮気された元カノと久しぶりに再会し、一夜を共に過ごした 石油王 @ryohei0801
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