この騒ぎをきっかけに、ちょっと遠巻き気味に見ていた中等部からの新顔組もコミュニケーションの輪に入ってきた。

「髪の毛さらさら―。ね、やっぱりお手入れとかしてるの?」

 初顔の女生徒が、最初はおそるおそる、徐々にしっかりした手つきで吾輩の灰色の髪を撫でまわす。

「人間の男子がしている程度の保清はしています。毛並みがいいとは、初等部の頃からたびたび好評をいただいていましたが」

 件の生徒の手は、そのまま吾輩の頬あたりに降りてきて、

「あ、あったかい。人肌程度?」

 ちょっとびっくりした様子で、そんな感想を口にした。

「アイサー。表面温度36.5℃が標準値であります。このあたりが発熱と冷却、排熱のバランスが取れるところでして」

「ふーん、そうなんだー」

 女生徒の手つきにだんだん遠慮がなくなってくる。しばしほっぺたを撫でまわしていたかと思うと、人差し指一本でぷにっとお肉をつついて、

「ぷにぷにー。やわらかーい♪」

 返ってきた感触を楽しむように、吾輩のシリコン皮膚をふにふにとこねくり回し始めた。

「どれどれ? あ、ほんとだ。これクセになるかも♪」

 そのまま他の女生徒たちも輪に入って、吾輩の顔、腕、わき腹などをむにむにと触り始める。

「そうミケはやわらかいんだよー。こんなふーに……ねっ!」

 また半オクターブ低くなった声とともに、マスターが吾輩の背後に絡みついて、電光石火の早業でSTFステップオーバー・トゥホールド・ウィズ・フェースロックに固めた。これも人体を破壊するのではなく、痛みを与えスタミナを奪う技のかけ方。

 きりきりきりきり……。

 吾輩がマスターのされるがままになっていると――実際、マスターの技のかけ方は的確なので素人には外せないんだけど――、この間ちょっと輪の外に追いやられていたクラスの分かれた友人たちが、ちょっとあきれたように吾輩に話しかけてきた。

「ミケ君もさ、やられっ放しじゃなくて、ちょっとは反撃とかしたほうがいいと思うよ」

 ありがたい忠告に、しかし吾輩は顔面を固められたままどうにか声を絞りだす。

「あいにくと、ロボはマスター含む人間には逆らえないように造られているのであります」

「……やれやれ。ひまわりちゃんとこは今日も通常運転だ。じゃ、もう予鈴鳴るから」

 去年の終盤あたりに繰り返された感想を口にすると、その生徒たちはそれぞれのクラスに戻っていった。マスターもそのタイミングで満足したのか、とにかく技を解いた。

 どうにか視界スクリーンに星が飛ぶ状況から解放されて、ちょっと伸びを入れた吾輩のカメラが、窓側の一番後ろの席で止まった。

 今は出席番号順の席だから、一番最後の生徒のはず。その男子、少し伸ばした髪をツンツンに尖らせている子が、つり気味の目で睨むというか、見据えるようにこちらを見ている。

 他のクラスメイトの視線がどちらかといえば吾輩に注目しているのに、その子だけが微妙にずれてマスターを直視しているのがMPUに引っかかった。これは<記録セーブ>しておいた方がよさそうだ。

 ちょっとそんなこと思考していると予鈴が鳴った、さらに5分ほどして本鈴が鳴る。1分経過。2分経過。3分経過……まだ状況が変わらない。

「先生、来ないね」

 何人かのクラスメイトがいぶかしみ始めた。

「吾輩、ちょっと見てきましょうか?」

「よけーなことはしない。学生、基本自由放任バンザイなんだから」

 歩きかけた吾輩の側頭部をマスターの手が的確に捕らえて、アイアンクローに締め上げる。だんだん大きくなってくる教室のざわめきを背景に、吾輩頭が痛い状況が続く。

 頭部を固められたまま5分ほどが過ぎた頃、ようやく教室前の扉から端末タブレットを抱えて入ってくる大人の人影が現れた。さすがに一瞬、教室が静まり返る。

「ん~、まずは静粛にしてくれて大変よろしい。そのまま各自の席に着いてもらえるとこちらは楽でありがたい」

 新年度初日から遅刻をかましたそのメガネの女教師は、タブレットを教卓の上に放り出すと、眠そうな、あるいは酔っぱらっているようなとろんとした目でそう言った。

 生徒たちはまだ新担任との距離を測りかねているようで、なかばおそるおそる席に戻る。先生はそれを急かす様子もなく、全員が着席するのをしっかり見届けてからおもむろに口を開いた。

「進級生の諸君、編入生の諸君、まずは定評のある我らが穂妻学園中等部の試験合格おめでとう。この1年F組を受け持つ、藤波桜子ふじなみさくらこだ。あたしが担任を任されたからには、諸君にはこの一年間、各自の自主性にまかせて勉学にスポーツに、あるいは芸術に技術に励んでもらう。まずはこれから始業式だ。諸君が自主的に団体行動を取ってくれることを期待する」

 そう口上をのたまっている間にも、他のクラスの生徒たちはそれぞれの担任の指導のもと、早々と大体育館に向かっている。

 なんだかやる気のない先生にかえって背中を押されたのか、F組の生徒たちは誰に言われるでもなく、整然と席を立って一列で教室から出ていったのであった。

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