ただものではない学園

 こうしていつものように寝坊気味に起きた後、あわただしく着替え、顔洗い、朝食、歯磨き、トイレ、ストレッチ、準備運動を済ませたら、どっかんと飛び出すように登校となる。

 若越わかごえから穂妻ほつまにある学園まで通うとなると、若越線から犬宮いぬみやに出て、新交通ニュートラムで学園駅下車が定石なのだが、マスターはこの距離を自転車で突っ走る。本人は「電車代を節約して、ミケのメンテ費用に回すんだい」とのたまっているが、登下校最中のニヤニヤ笑いからみてあれは絶対楽しんでやってる。

 ……ように見えるが、マスターなりに考えて走ってはいるらしい。ヘルメットをかぶる関係でリボンを付けていないので、気分までは分からない。

「水温70℃までは一速だけー」

 そんなことをのたまいつつ、走り出し10分くらいまでは一段軽い変速ギヤに制限して走る。さらに、

「油温70℃までは一速と三速ー」

 その後さらに10分くらいまでは、ペダリングを毎分90回転に制限して走る。合計20分“慣らし”を行って、ようやく掛け値なしの全開走行に入るのである。

 下尾さげお市を斜めに両断するこのルートは自転車通勤というにはかなりの距離になるが、「自転車に乗り慣れていればなんでもないよ」と涼しい顔である。そのあと「風で止まる静川しずかわ鉄橋と雪で止まる新交通ニュートラム使うよりリスク低いよ」のおまけも付く。

 その言葉通り、マスターは今時すっかり珍しくなったMTBマウンテンバイクに極太のタイヤを履かせて、巡航30キロでぶん回す。付いていく吾輩のほうは原付EVを使わせてもらっているとはいえ、マスターは曲がりもタイヤズルズル滑らせながら速度乗せたまま通過クリアするので処理系が休まらない。曰く、「丸いタイヤだと滑らせながらのコントロール幅が広いよ」。丸いタイヤって一体なんだ? 四角いタイヤなんて世の中にあるのか?

 とはいえ、最低限道路交通法は守らなければならない。

 今もそうして信号待ちをしているマスターの姿を、周りの歩行者、自転車の皆さん方が二度見三度見している。

 まあ無理もない。足を着かずに止まっている・・・・・・・・・・・・のだから。曰く、「右に倒れそうなのをこらえるのがコツだよ。変速機側みぎにはゼッタイ倒れちゃダメだからね」。家を出てから学校まで、マスターが自転車から降りて足をくということは基本ない。走るのが速いだけではない、止まる方トライアル上手うまいのだ。しかもただ止まるだけではない。後輪リア・タイヤが浮き上がらんばかりのフルブレーキングから、何事もなかったかのように静止スティルする。そして信号が青になるや否や、一息で全開加速に切り替える。走るも曲がるも止まるも自由自在。それがわがマスター、青空あおぞらひまわりである。


 穂妻総合学園ほつまそうごうがくえんは、未婚化・晩婚化・少子化が進み、人口も減少傾向、市町村合併の嵐も吹き荒れるこのご時世において、今なお町制を保ち続ける某県北手立郡穂妻町きたてだちぐんほつままちの外れに広大な敷地キャンパスを展開する、初等部・中等部・高等部・大学部一貫教育のマンモス校だ。

 校訓は「自由創生」。何事においても児童・生徒・学生の自主性を最大限尊重し、画一的な横並びの教育よりも、一人ひとりの個性を引き出すことが優先される教育方針で知られる。

 その傾向は、とくに高等部で顕著に現れる。進学した生徒たちはここで人文・語学・社会・理数・体育・芸術・商業・工業・農業の9つの学系に分かれ、さらに生徒一人一人の能力と適性、なにより希望に合わせたカリキュラムを組み立てて、それぞれ自分自身が決めた時間割の中で授業に励むことになる。高等部も三年になると、クラスメイトと顔を合わせるのは朝と帰りのHRホームルームだけ、あとはみんな別の教室で授業、なんてこともざらにあるのだ。

 課外活動もしかり。初等部四年から所属可能になる部活動では、多種多様な部・同好会が存在し、それぞれ己の専門分野で力を発揮すべく、日々研鑽を積んでいる。

 ただしその責任も、ほぼ全て自分に返ってくる。目的意識のない人間、没個性でありたい人間に対して、この学園は冷たい。節目節目の試験、課題は易しいものではない。日々の努力を怠り、それをクリアできなかった児童・生徒・学生の前に突き付けられる道は、ひっそりと穂妻から去るか、誰にも顧みられない寂しい青春を送るかの二択だ。

 いや全くもって、うちのマスターみたいな元気のあり余っている子にはふさわしい舞台だと言えるだろう。

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