というわけで、マスターの朝の恰好はサイクルウェアが基本である。

 スポーツブラの上に発汗性抜群の自転車競技用インナーを着こみ、これまた機能性最優先のアウターウェアを羽織ってファスナーを締める。今日は米国の郵便会社チームのレプリカ。

 続いてショーツに手をかけたところで、吾輩と目が合う。

「ミケは見ちゃダメー。パンツ脱ぐんだから」

 ぽんと平手で頭をはたかれる。艶はないけど細くてさらさらと周りから好評を博している、灰色の髪がちょっと乱れてすぐもとに戻った。

 そう、自転車用のサイクルパンツを履くのに、下は何も付けないのが基本。ちなみに股間のパッドに関しては、マスター女性用、初心者用などと銘打った分厚く柔らかいタイプよりも、男性用、純競技用の一枚革がお好みである。「乗ってるときも、降りた後も違和感ないし」とのコメントが出ている。

 まあ軽い服装なので、部屋の外に締め出されてもそう待たされることはない。

「お待たせ―!」

 元気よく扉を開けたマスターが、そのまま吾輩の腕を引っ張って一階の洗面所まで降りる。まずは洗顔と髪を整える。自転車登校でヘルメットをかぶるので、この段階ではお気に入りの「気分によって色が変わるリボン」は結ばない。

「お待たせしました、母上殿」

「ミケちゃん毎朝ご苦労さま~。ひまちゃん、今朝はわりと早かったわね~」

 LDKリビング・ダイニング・キッチンのテーブルには母上殿の愛情たっぷりの朝食が三人分、おいしそうに湯気をたてていた。

 もちろん吾輩は人間の食事は摂れない。替わりにマスターが二人分食べる。ちなみに父上殿はというと、日本の海を守る重要な任務にいておられて、一年ほぼ艦内暮らしである。

 マスターは好き嫌いなくなんでも食べる。ご飯でもパンでも、納豆もバターもジャムも肉も魚もも野菜も果物も牛乳も味噌汁もグイグイいく。食べ合わせが悪いとかこのひとには関係ないらしい。

「そのわり背が伸びないんだよねー。胸も育つ気配なっしんぐだし」

 それがマスターの目下のお悩みである。

「ひまちゃん、運動してるから。脂肪じゃなくて筋肉になっちゃうのよね~。健康でいいじゃない~。そのうち女の子らしくなるわよ~」

「でもママ見てるとねー。期待薄」

 母上殿ののんびりした声に、マスターは半目で母上殿の体、正確には胸を見返した。すらっと痩せたスマートな体型。この年齢としになっても若さあふれる。しかし女性らしい曲線美を求める向きには少々難か。まあこのひとの母親なんだなという説得力はある。

「体力と女性美を両立できる運動法もありますよ。今度詳しく<検索>してみましょうか」

自転車バイクやめろってのはダメだよー。ボクはこれが好きでやってるんだから」

 マスターは気のない返事を返してきた。今の生活習慣、改める気はないらしい。

「それにしても、ミケちゃんもご飯食べられたら楽しいのにね~」

 軽い話題を振った母上殿に反応して、マスターが妖しい笑いを浮かべた。とりあえず浅くない付き合いだからこれくらいは分かる。なにかろくでもないアイデアを思いついて、吾輩を実験台にする時の顔だ。

 思ったとおり、マスターは山盛りのご飯にお箸を突っ込んで、ひとすくい吾輩の顔前に突き付けてきた。

「そいや、お米しか食べられないロボットってどっかであったよね。ミケも今度そーゆー改造してみよっか?」

「あら、それは楽しそうね~。でも、ご飯以外を食べるとどうなっちゃうの~、その子?」

「吐く。部品パーツをまき散らす」

 マスターは意地の悪さを30%ほど含んだまなざしで、なおもうりうりと吾輩の口に白米をねじ込もうとしてくる。

「マスター、食べ物で遊ぶのは感心できないのであります。あとそれ、吾輩も多少手伝ってますので」

「分かってますよーだ。そんな改造したら、おカネだって馬鹿にならないもんね」

 それでようやくマスターはお箸を引っ込めて、いつも通りの快調な食事に戻るのだった。


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