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「あいも変わらず豪快な寝相だ……」
これまた、誰に聞かれることもない感想が自然と口をついて出る。
例によって掛布団はとうにはねのけられ、斜めに大の字になった体は半分ベッドからずり落ちている。
年々暖かになっていってるとはいえ、この時期にパジャマも身につけず、スポーツブラとおそろいのショーツだけで寝ていて風邪のひとつもひく気配がないというのは、健康的という言葉を通り越してはいないだろうか?
「S字から逆バンク、7コーナーまではひと呼吸ぅ……リズムよく抜けるのが大事ぃ……」
起きる気配がいっこうにない今のうちに、ちょっと観察してみよう。
お気に入りの気分によって色が変わるアンダーウェア、今は緑色。寝ている時までレースしていなくてもいいだろうに。
よく日に焼けた肌は、腕は二の腕、脚は太ももの途中で日焼け跡になっている。
胸は「女の子」としての自己主張を始めたばかり。お尻周りも丸みはあんまりない。その代わり、すらりとした胴体と手足にはしなやかな筋肉が付いている。色気はないけど健康と元気を絵に描いたような五体。小柄だけど、まさに全身がバネという感じだ。
ちんまりとした鼻のまわりには、少しばかりそばかすが散っている。大きなつくりの目と口は、目を覚ますと伸縮自在にくるくるとよく表情を変える。
「デグナー1こ目は大胆にショートカットぉ……2こ目もスピード乗せてコンパクトに曲がるぅ……」
いや、寝ている今も、幸せそうにしまりなくゆるんだ口もとから、発達した犬歯をのぞかせている。あーあ、よだれまでたらしちゃって。
明るい色の髪の毛は、肩にかからない長さですぱっと切りそろえられている。櫛はしっかり入っているが、それ以上髪型とかにこだわっている様子は感じられない。
「……ヘアピンはぁ……手前のゆるい左を曲がりきらないで斜めにつっこむのも実戦ではありぃ……」
おっと、思わず観察に時間を費やしてしまった。そろそろちゃんと起こさないと本気でやばい。
「マスター、朝ですよ。今日から学校でしょう?」
「……スプーンの脱出決めてぇ……バックストレートきっちりドラフティングついてぇ……」
ダメだ。全然起きる気配がない。そもそもこの大音量の中で、吾輩の声が届いているのかどうかもはなはだ怪しい。
本意ではないんだけど、ここはやはりボディ・コンタクトに訴えるしかないのか?
「新年度初日から遅刻はまずいですよ、マスター。ここは失礼して」
吾輩が身を乗り出してマスターの肩幅に手をかけた、その瞬間。
「シケインでインに入ってぇ、勝負ぅ!」
マスターの足が絶妙なタイミングで跳ね上がって、吾輩の足をみごとにはらい飛ばした。
「うわっ、と、と、ととと」
すってーん! ふにゃっ。
吾輩は盛大にバランスを崩してすっ転び、なんだか微妙にやわらかいものに受け止められた。
思ったより<痛く>ない……と思ったのはごく一瞬の間。マスターは器用に両手両足を操って吾輩のボディをからめとり、そのまま締め付ける体勢に入る。
ぎりぎりぎりみしみしみし……
うぎぐがごご、マスターその締め技はやばいです! フレーム曲がっちゃいます!
存在の危機を本能的に察知した吾輩は、必死でタップを繰り返す。
と、万力のようにボディを締め付けていた力が不意にゆるんだ。全身に
恐る恐る顔を挙げると、そこには大きく明るい色の瞳が見開かれ、ボクをまじまじと見つめている。
「あ、マスターよかった。今のでさすがに目が」
吾輩はその言葉を最後まで言うことができなかった。
「み、み、ミミミ」
小麦色の顔が見る見るうちに真っ赤になり、
「ミケのばかー!!」
ばっちーん!
いまだ鳴り続ける大音量にも負けない怒りの叫びと、盛大な平手打ち。
これもまた吾輩の朝の日常、なのであったりする。
「あ痛たたた。マスタぁ、いつものこととはいえ、吾輩に技を仕掛けたあげくビンタまでかますのはなんとかしてくださいよ。マスターのはほんと洒落にならんのですから」
ほっぺたと全身に残る<痛み>をこらえながら、切々と訴える。
「そんなこと言ってもさー。ミケだって、もう少し起こしかたってものがあるんじゃない? ……<おきたよー>」
ようやく意識がはっきりしてきたのか、
「ともかく早く着替えて下に降りてくださいよ。新年度初日から遅刻じゃまずいでしょう? なんと言っても今日は、」
「そうだった!」
吾輩の言葉を途中で奪ったマスターは、着替えのサイクルウェアを引っつかむと、くるっと勉強机の上のS様ポスターに向き直り、びしりと敬礼を決めた。
「今日からちゅーがくせー!」
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