第31話 図書委員の覚悟
4月1日、宝会計事務所の朝礼に全所員、といっても4名に過ぎないが、その顔がそろっていた。なぜか、いや、いつものように栄花もいる。今日から正式に宝会計事務所の一員になるというのに、歩の気持ちは晴れなかった。失った七恵や詩織の記憶にさいなまれていたのだ。
一方、全員の前に立つ玉麗は機嫌がよさそうだった。
「アユミちゃんは、予想外の大活躍だった。まさか、本当に事件を解決するとは思わなかった。世の中は不思議なものだわ。彼女に拍手!」
パラパラと拍手が鳴る中、歩は声を上げた。
「予想外って、ダメだと思って僕を送り込んだんですか?」
「誰が行っても無理だと思っていたのよ」
玉麗が鼻で笑った。
「そうしたら、決算はどうするつもりだったんですか?」
「ああ、代わりの鱗を梅世さんに用意してもらった」
彼女が、企みを自ら暴露する悪党のように口角を上げた。
「ここに人魚の鱗があったのですか?」
「これですよ」
梅世がプリンのプラスチック容器を取り出した。中にはすっかり干からびた桜色の鱗があった。
「桜鯛の鱗ですよ。下の福労さんに分けてもらいました」
梅世は得意げだ。
「偽装するつもりだったんですね」
「挨拶に行った時、写真もないと教えられたから思いついたのよ。人魚の鱗なんて、税務署員も教育委員会の人間も知らないでしょう。それらしいものがあればいいと思ったわけ……」
玉麗が澄まして言った。
「……さて、難問が解決したところで、アユミ、……今日からバリバリ働いてもらうわよ」
「歩です」
歩はささやかな抵抗を試みた。
「これ、どうぞ」
梅世が真新しい社員証を差し出す。ウインクのおまけつきだ。
ウッ!……一瞬、手が止まる。が、エイヤっとばかりにそれを取った。
「嬉しいです」
あれこれ引っかかることはあるが、素直な気持ちだった。
「採用しないと、私も都合が悪い」
玉麗が、ふふふ、と意味ありげに笑う。
何か、裏があるのに違いない。……嫌な予感がした。
「どういうことですか?」
「これよ」
玉麗がバックから赤い小箱を取り出し、歩の目の前に差し出した。
「これって、指輪を入れるケースですね?」
歩の質問に、玉麗がコクンとうなずく。
「プロポーズ?」
「馬鹿か!」
声と一緒に玉麗の鋭い蹴りが飛んだ。
脇腹に蹴りを受けて悶絶する歩。意識を失いそうだった。床に膝をつき、やっぱりブラック企業だ、と思った。
彼女が屈む。美脚が目の前にあって、歩の気持ちは揺れた。そこに小箱を置かれると揺れが増した。
「どうしたの。受け取って」
「僕なんかで、いいのですか?」
「歩しかいないのよ」
意味不明なやり取りがあって、歩は小箱を手にした。そっと開けてみる。微かに見覚えのあるモノがあった。金色に輝く人魚の鱗だ。
「これは?」
思わず見上げる。玉麗の同情に満ちた、それでいて楽しげな瞳があった。
「本物の人魚の鱗だ。歩が吐いた中にあったそうよ」
目を白黒させた歩が言葉を発するまで、長い時があった。
「これが必要だったんですよね。学園に返さないのですか?」
「元の物は学園長が燃やしたそうだ。警察も学園長の遺体と鱗が燃えた痕跡を確認している。それで、会計上は除却処理をすませた。いまさら燃やしたものが残っているのはおかしい。これは今回の捜索代金の一部として受け取った」
「ハァ、……僕に、これをどうしろと?」
「努力の末に手に入れた功労者に、所員割引で売ることに決めた。これはアユミのものだ」
玉麗が歩の肩をポンとたたいた。頑張れ、という意味だろう。が、歩は納得がいかなかった。
「功労者なら、ただでいいじゃないですか?」
「馬鹿か。学園から受け取ったのは宝会計事務所よ。ただで譲ったら、税務署は給与課税しろと言うでしょう。場合によっては贈与と判断され、アユミは莫大な贈与税を払わなければならなくなる。なんといっても最高価格10億の値がついた鱗だもの。それで、事務所が所員に正当な社員割引価格、90%オフの1億で売るわけよ。そうすればアユミが税務署に追われることはないし、事務所の不良資産もなくなる」
彼女は〝不良債権〟というところを小さな声で言った。
「それなら金持ちに10億で売りましょう。僕は1億円
歩の提案に、玉麗がにやりと笑った。
「そう思うなら、アユミがやってみなさい。9億はアユミにあげるわ。私は1億円貰えばいい。まあ、そっちは給与天引きだから、売却時の10億は全部アユミのものだ」
「それでいいのですか?」
狸に、いや、玉麗に
「人魚の鱗は所有者の寿命を奪うと報告したのはアユミ自身だ。美魔女の学園長がミイラになってしまったものだから、人魚の鱗の呪いはネットでも評判になっている。もう誰も鱗を欲しがらないだろう。頑張って売ってごらんなさい」
彼女がウフフと笑った。
「なんてことだ……」
やっぱり騙された。……泣きそうだった。
「今月の給料から天引きするわよ。そうねぇ……。毎月5万円というところかしら。しっかり働いてね」
彼女が決算書らしきもので歩の頭をなでた。
ふと思いついた。
「やっぱり僕が買い取るのはおかしいですよ。エイプリルフールですよね?」
「私は、金にならない冗談は嫌いなのよ」
2人のやり取りを阿久や好子はニヤニヤしながら楽しんでいる。
「ブラック会計事務所だ!」
歩は天を仰いだ。
「ブラックと言われようと、悪魔とののしられようと、私は何よりも金が好き」
玉麗が笑う。
「僕は命を吸い取られて死んじゃうんですか?」
「死ぬのが嫌なら福島七恵に相談したらどう?」
「エッ!……」心臓が止まりそうだった。「……七恵さんがこの時代にいるのですか?」
「何を馬鹿なことを言っているの。あの時代もこの時代も、何も変わってはいないわよ」
「だ、だって、玉麗さんは、詩織さんなんて知らないって……」
「保健室でのことね。私は、詩織なんて知らないわよ。聞かされたこともない。ねぇ」
玉麗が阿久や好子に向かって同意を求めた。だれもがウンウンとうなずいている。
「とにかく、福島七恵は待っているそうよ。ああ、それと、美しい玉が二つあるけど、これは私がもらっておいてもいいかな?」
玉麗は玉の入った小箱を二つ出して見せた。ほんのりと光を帯びた赤玉と白玉だった。
閃くものがある。日の巫女が話していた珠ではないか?
「学園長の式神が話していた玉かも……」
「あら、いわくつきのもの?」
彼女の表情が陰った。
「……仕方がないわね。これもアユミに売ってあげるわ」
二つの玉も歩に押し付ける。
「歩です」
そう応じて、玉の入った小箱を受け取った。
歩は自分の部屋に戻ると聖オーヴァル学園の制服に着替えた。学園に入るには女装するしかない。
それにしても、と疑問に思う。1500年前、七恵が人魚を殺すのを阻止したのに、何故、彼女は存在しているのだろう?
あれこれ考えながらも、制服を身に着けると気持ちが落ち着く。そして胸が躍った。
どうして?……胸が躍る理由を考えた。七恵に会えるからだ。いつの間にか、彼女を愛してしまったらしい。
ほっと吐息をつき、鏡に目をやる。自分を見て可愛いと思った。明らかに、七恵より自分の方が美少女ではないか!……それでも七恵が恋しかった。
「もう、やだ……」とはいえ、以前の普通の男子には戻れないのかもしれないと思った。……玉麗さんのせいだ!
聖オーヴァル学園は新入生と新入部員を勧誘する生徒であふれていた。
歩は、円形の図書館の前に立った。今日を最後に、ここに来ることはないだろう。そう考えて建物の全景を脳裏に焼き付けてから、薄暗い建物内に足を進めた。
※ ※ ※
七恵は、図書館の地下室でいつものように本の修繕をしていた。その作業が思うように進まないのは、挨拶もせずに別れた歩のことが気にかかっているからだ。
ノックの音がする。
「七恵さん、話があるのよ」
歩の声だ!……七恵の心が跳ねた。身体でそうしなかったのは、子供だと思われたくないからだ。
席を立って歩に向く。
アユミの姿をした歩は美しい。神は、歩にどうしてそのような容姿を与えたのだろう?……考えずにいられなかった。
「ごきげんよう」
ぎこちなくも精一杯微笑むと、歩の顔に穏やかな表情が浮かぶ。
「本物の七恵さんね。1500歳の?」
「え、ええ……」嫌なことを訊くものだ、と呆れた。
「ボ、いえ私、1500年前にタイムスリップして、七恵さんが人魚を殺すのを阻止したのよ。それなのにどうして?」
そういうことか。……歩が1500歳などと年齢を持ち出したことに納得した。
「きっとそれは、タイムスリップではなく、パラレルワールドに飛ばされたのです。一度確定した歴史は変わらないものだもの」
自分の知識で想像しうることを話すと、彼が納得した表情を作った。
「そうかぁ。……残念だけど、ちょっと嬉しい」
おかしなことを言いながら、歩がカバンの中から何かを取り出してテーブルに並べた。それが指輪を入れる小箱だということは七恵にもわかった。
「三つもあるの?」
自分の指とそれらの小箱を見比べた。指のサイズが分からない歩が、婚約指輪を三つも用意してきたのだと思った。
「私と暮らしましょう。新入社員だし、事務所はケチだから楽な生活はできないと思うけど、七恵さんは大人として暮らすべきよ。6年ごとに卒業と入学を繰り返すなんて、ばかげている」
期待していたとはいえ、歩の告白に七恵は動揺した。
「申し出はうれしいけど、私には、戸籍もマイナンバーもないの」
法律の外側で生きている自分が、歩と暮らす姿は想像できなかった。
「人が生きるのに、そんなものは必要ないわよ」
歩の応えに七恵は震えた。嬉しかった。
「歩の気持ちは嬉しい。でも、やっぱり私は、歩より図書館が好き」
「図書館?……衝撃の結末だ」
歩の膝が折れ、へたへたと椅子に座りこんだ。その時、バタンと大きな音がして扉が開いた。テニスウエア姿の詩織が肩で息をしている。
「お姉さま!」
彼女は歩にヒシッと抱き着いた。
「詩織さん。いろいろ世話になったわね」
「こちらこそ。アユミさんとの冒険は楽しかったわ。……咲良さんが、アユミさんを見たというから走ってきたのよ。私の指輪はどれ?」
目ざとい詩織が赤い小箱に目を走らせている。
「これは指輪じゃないのよ」
赤玉の小箱を開けて見せた。
「トヨタマヒメ神の証よ。これは詩織さんのもの。トヨタマヒメの一族のあなたが持つのがふさわしい」
「婚約指輪じゃないのね」
七恵と詩織の声が重なった。
「呪いがあったりしないの?」
「学園長がトヨタマヒメ神から直接もらったものらしいから、大丈夫だと思うわよ」
「ふーん」
詩織が赤玉をしげしげと観察する。
「七恵さんには、これを」
白玉だろうと推理してケースを開ける。
喜んだのが間抜けだった。……中にあったのは人魚の鱗だ。
「間違った。こっちだ。ホオリ神の象徴よ」
改めて受け取ったケースの中には、妖しく光る白い玉があった。これを使えば、好きな時に命を絶つことができる。そう思うと心が震えた。同時に、優しかった学園長を思い出し、涙が頬を伝った。
「七恵さんが泣くのを初めて見たわ。人魚の鱗をアユミさんが持つのはどうして?」
詩織に指摘され、七恵はあわてて頬を拭いた。
「これは私が詩織さんからもらったものだから、私が持つわ。白い玉は赤い玉と対だから、1500年前から縁のある2人が持つべきなのよ。それが学園長の意思でもあったから」
歩が人魚の鱗に目をやってから顔を上げ、七恵にむかって微笑んだ。
「そんなのいけないわ。アユミさんが早死にしちゃう。それでもいいの、七恵」
詩織が語気を荒げて迫るのを、歩が制した。
「私だって、七恵さんに白い玉は渡したくない。それを持っていると、七恵さんが明日にも消えてしまいそうだもの。だからといって、七恵さんが未来永劫、この世をさまよう姿も想像したくない。人が3人いて宝が三つ。……これは運命。その中で私たちは道を切り開くしかない」
「無駄に見栄を張るのね」
詩織があきれた。
「アユミは、能力がないのにプライドだけは高い」
七恵は、心にもないことを言った。
「七恵さん、白い玉と鱗を交換しなさいよ」
詩織が迫る。
「これをアユミに渡すことは、アユミと詩織がホオリ神とトヨタマヒメ神のように結ばれるのと同義」
七恵は、素直な解釈を述べた。
「ばれたか」
詩織がぺろりと舌を出し、その場の空気を和ませた。
「鱗を飲めば、アユミさんは永遠の命を得られる?」
詩織の問いかけに、七恵は頭を傾けた。
「私にはわからない」
「あっさり言うのね」
詩織の表情が陰る。
「私が実験してみようか?」
歩が人魚の鱗をつまもうとするので、七恵の身体が反射的に動いた。
「いけない」
七恵はケースごと鱗を取り上げ、そのまま走り出した。自分と同じ苦しみを歩に味あわせたくなかった。
部屋を飛び出して廊下の奥に向かう。パタパタと小さな足音が反響する。
「待ってよ!」
叫んだ歩の声は男性のものだった。
3人は、突き当りの保管室まで走る。防火扉の内側には、壁一面に並んだ金庫が歴史を見守る番人のような硬い顔を並べていた。それは、それが作られた50年前から変わっていない。しかし、七恵を取り巻く状況はすっかり変わっていた。
七恵は白い玉の入った小箱を歩に渡す。
「歩は死ぬ前にその玉を返してくれればいい。それまで私は死なない」
歩が返事を考えている間に、七恵は沢山並んだ金庫のなかから一つを選び、扉を開けた。そこは、あの卒業式の日から空っぽだ。
七恵は人魚の鱗をつまんで照明の灯に透かした。再びこれを守る日々が始まるという緊張はあったが、以前のような孤独は感じなかった。自分の後ろには詩織がいる。そして歩が……。
人魚の鱗をケースに戻し、空っぽの金庫に収めて扉を閉めた。
その瞬間、学園長の無限の愛情に触れた気がした。同時に、人類の未来が有限であることをリアルに感じた。白玉を得た自分の命も有限なものに変わり、正確には白玉を使うという条件付きだけれど、1500年ぶりの幸福を感じた。
「あ、笑ってる」
歩が七恵を見て言った。彼も笑っていた。
成戸歩の妖(あやかし)事件簿 ――彼女は呪われた図書委員―― 明日乃たまご @tamago-asuno
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