現在 33
ある『感情』を想起させることが、ヤクモ・アキグサの脳の中に隠された鍵だと、アジャセは言った。
実を言えば、それはそれほど難しいことではない。
その感情が何かさえわかっていれば、私は目を合わせることで他者と自分の感情を同調できた。
だから、鍵となるその感情が私の知るものであれば、私がヤクモ・アキグサに目を見せるだけで、彼はアジャセの居場所を思い出すはずだった。
裏を返せば、私が知らない感情であれば、この方法は取れない。
地道にヤクモ・アキグサに様々な感情パターンを、場合によっては脳神経を直接刺激することで想起させるような手を使って、試行錯誤させるしかなかっただろう。
そんなことをすれば下手をしたら廃人になる可能性もあるため、いくら相手が犯罪者で実質的には強制の『任意協力依頼』を取り付けたからといって、人権遵守を掲げる国連下の施設がやるには外聞が悪すぎた。
それでも、私がその鍵となる『感情』を悟らなければ、恐らく上はその手段を強行しただろう。
6年前、アジャセが滅茶苦茶にしたのはビル群だけではなく、世界各国の威信と面子だったから。
それがわかっていたからか、ヤクモ・アキグサからは私が発つ前に「君が鍵を見つけてくれて助かったよ」と礼を言われた。
「お礼を言われるようなことでは。私は今後の貴方の処分には関われませんし」
「充分さ。脳神経っていうのは微弱な電波信号を常に発信している繊細な場所でね。あんまり悪戯に弄られて、僕の唯一の財産が失われでもしたら大損害だ」
「貴方を見ていると、長所と短所は紙一重、という言葉の意味がよくわかります」
どのような表情をしたらいいかわからず、微かな苦笑を浮かべて言えば、ヤクモ・アキグサは「結構、結構。僕の言いたかったことも、縮めて言えばそんなところだからね」とベッドの中から手をひらひらと振った。
長所と短所は紙一重。
それは、人をなんとも思っていない研究倫理に反する数々の実験に手を染めてきたはずの科学者が、やや多弁過ぎるという点を除けば、私にとってはごく親切に有用だったことからもわかる。
「しかし、君が『その感情』をいまだかつて覚えたことがなかったというのは、君の生い立ちからすると少々変わっているね」
「私は幸運だったので。アジャセとエニシダとサラ・ソウジュがいました」
彼らは私に弱いところは決して見せようとはしなかった。
そのことにこの年になって今更気づくなんて、と自嘲気味に零すと、ヤクモ・アキグサは「そりゃあまあそうだろうね」と笑った。
どういう意味かと目で問えば、彼は最後まで悪びれる様子のないあっけらかんとした調子で悪戯めいたことを言った。
「男という生き物は、好きな女の子には、格好つけたがるものだからさ」
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