11章
現在 32
気づけば私は、ユディトと見つめ合ったまま立ち竦んでいた。
「……いま、のは……」
ユディトは、変わらず大きな瞳を私に向けている。
その、乱反射する大粒の宝石の瞳を見返しながら、私は、呆然と胸中で呟いた。
――――乱反射。
――――宝石の特性。
ユディトの瞳。
ただの、と頭に付けるにはあまりに貴重で一目で他と異なることがわかる瞳は、だが、『超能力』としてそれ以上の機能はないと思われていた。
オルシーニ達は知っていたのだろうか。
いや、恐らく、検査結果がこちらへ降りてきていないということは、まだ誰も知らないのだろう。
恐らく、アジャセ以外は。
今のは、ユディトの瞳の力だ。
私に見せたその記憶は、エニシダのものだった。
何故エニシダなのか、考えた時に、先程ユディトは恐らくエニシダとすれ違っていることを思い出す。
乱反射。
もし、『宝石の瞳』が、光の加減や角度によって異なる煌めきと色合いを見せるならば、ユディトはもしかすると。
「……エニシダの、記憶を反射して……」
戸惑いながら口にして、見つめ返してくるユディトの姿に口を噤む。
所詮、私の憶測に過ぎない。
『超能力』は物理的に存在が証明されている以上、概念的なものでは説明しきれない。
宝石という言葉から連想される能力が都合良く備わっているとは限らない。
だが、そもそも、逆だったのなら?
『宝石の瞳』だから乱反射するのではなく、乱反射するから『宝石の瞳』なら。
私は自分が混乱していることを認めて、静かに息を落とした。
目の前のユディトに伝染しないよう無理矢理心を落ち着かせて、じっと見上げてくるユディトに微笑みをみせると、ひとまずこの子を部屋に戻さなければと歩き出そうとした。
丁度その時、見計らったように近くで他の職員の姿を見かけ、追いついて事情を説明すると、職員がユディトを引き取って代わりに連れて行ってくれることになった。
「イム。大丈夫? 貴方、具合が悪そうよ」
去り際、同僚である職員に言われて、なんとかいつも通りを心がけて笑むのが精一杯だった。
ユディトを手放し、職員が去り、一人になったところで、数秒ゆっくり数えた。
それから、壁に当てた手が、ずるずると落ちていく。
「……エニシダ」
廊下に崩れ落ちた私の口は、勝手にその名を紡いでいた。
先程垣間見た、過去の記憶の光景が、脳裏で蘇る。
エニシダ。
エニシダ。
エニシダ。
彼の孤独が痛かった。
ユディトの力が、幻惑の類いだったのならばどんなにかよかっただろう。
だが、あれは確かに過去に起きた真実だと、私は何故か本能的に理解してしまっていた。
過去、施設を壊滅させたアジャセの、恐らくは、その動機の一端も。
エニシダが何故、あれほど執拗にアジャセを殺したがっているのかわかった。
アジャセが頭の中を覗けると知って、エニシダにとって一番知られたくなかった秘密を見られたために。
ああ。声にならない音がぽつりと落ちる。
ああ。そうだ。エニシダの、悪い言葉。
いつか、私がいろいろな言葉を知っている、とエニシダに言った時、彼は珍しく言い淀んだ。
それが、実際に彼が数多に浴びることで教えられてきた言葉達であったことを、私は今これ以上ないほど明白に理解していた。
今になって。今更になって。
エニシダの、生来の気性も勿論あるだろう。
だが、言語能力は先天的であっても、覚える語彙は後天的だ。
生まれてから筆記を使わず口語だけで生きてきた人間が、文語体に四苦八苦するように、後から知ったとしてもどうしても自然に体に馴染まない言葉の感覚。
罵詈雑言の中で育ってきた子どもにとって、表現手段のすべてもまた罵詈雑言だ。
たとえ、愛の言葉さえ。
「エニシダ」
特別綺麗な顔をしていた。
エニシダに目をつけた男の理由がそれだとして、人に良いようにされるくらいなら自分の顔を潰してしまうような気性のエニシダが、何故、ただ黙って耐え続けていたのか。
エニシダは女の子のように綺麗だったが、女の子ではなかった。
そう、女だったのは、私だけだ。
彼らの中で唯一の女であった私を身代わりにすることを仄めかされて、矛先が向かわないよう、ただ黙って耐え続けてきたのだろうか。
間違いなく彼にとっては心底から屈辱だった行為を、少年の頃からずっと。
そうして私は、ようやく過去のアジャセの唐突な行動の意味も理解する。
アジャセは頭は良かったが、細かいことを考えて行動する人間ではなかった。
衝動的。そう、アジャセは常に衝動的だった。
そうしたい、と思うことはない。
そうしよう、と思った時にはもう、そうすることを躊躇わないのがアジャセだった。
それは、施設を壊した時も、ウォール街のビル群を壊し尽くした時も、アジャセはきっと迷うことなく躊躇わなかった。
先程別れる前にエニシダが言っていた言葉を思い出して、私は、どういう意味だったのだろう、と今更考えずにはいられなかった。
私は誰も救えた試しがない。
私は、誰一人、救えたことなどない。
彼らを救えるのは本当は彼ら自身しかいないのだとしても、常に守られてばかりの私の、そんな言葉にどんな意義があるのだろう。
私は、ただ、見ていただけだ。
いつもいつも、ただ、この目で見つめていた。
けれど、アジャセにはそれさえできなかった。
どこか危ないところへ行かないように、誰にも傷つけられないように、きっと無事に生きていられるように、見守ることさえできなかった。
アジャセは私も誰も彼も置いて、一人で遠く遠くへ行ってしまったから。
だから、今、私はアジャセを見たいのだ。
アジャセの行き着く先を、見届けたかった。
「……行かなきゃ」
息を吸いこみ、私はゆっくりと立ち上がる。
顔を上げると、瞳が疼くような熱を発しているのがわかった。
鏡があれば、今の自分の目がきっと赤いことを教えてくれる。
それが、私が『超能力』を発動しようとしているせいなのか、それとも、ふと泣きたいような衝動のせいなのか、どちらなのかは鏡がないせいでわからなかった。
代わりに、今の私には、アジャセが出した『感情』の答えがわかる。
それが良いことなのか、悪いことなのかは、まだわからなくとも。
再び立ち上がった足を、真っ直ぐにヤクモ・アキグサのいる部屋へと向けた
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