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 『超能力者』は全員人格破綻者だと思っていた、というオルシーニの言葉が蘇る。


 それを言われて、私は彼に「あながち間違いでもない」と答えた。壊れた蛇口から絶え間なく水が流れ出すような滑らかさで言葉を発するヤクモ・アキグサの話は、より深くその領域に踏み込んでいた。


「実際に僕が調べた限りでも……とは言っても、サンプルは主にアジャセだけだったから彼の話にはなるがね、そう、彼の脳は確かに常人のそれとは異なった。端的に言えば、アジャセは我慢が非常に困難だ。自らの欲求、感情に対して、思った時には思うままに振る舞っている」


 それだけ聞く限りでは、まるで癇癪を我慢できない子どもの話かと思うが、事はそう単純ではない。

 先天的な、脳神経の遺伝子欠陥を起因に、人の手を入れて発現させる『超能力』。

 アジャセの、『頭のネジが抜けている』ほど強い力を持っているという言葉。

 脳の欠損のために他に振り分けられたリソースが、『超能力』として発現する中で、必然的に犠牲となる脳の領域に自制心や共感などの感情を司るものがあり、それ故に、『超能力者』は多かれ少なかれ一般社会との齟齬を来たす。

 アジャセの、言葉だけ取れば釈明にも似た、けれどそうではない声が頭の中で繰り返される。

 ――――おれは衝動を我慢できないんだ。本当だよ。本当にできないんだ。そうしたいと思って、実際にそうできるなら、我慢する前にそうしてしまう。


「こうした『超能力者』の脳の変化は、一見して彼らを軒並み道徳観念のない凶悪犯罪者に仕立てあげがちに見えるが、必ずしもそうとも言えない。結局ね、これらは進化のロジックと言うべきものなのではないかと僕は思うんだ。暴力の動機は、必ずしも暴力それ自体を目的としているわけじゃない。妻を支配する夫が彼女を殴るのは、殴りたいからではなく、殴ることで彼女との間に自らの優位性を保ちたいからだ。街で人目も憚らず騒ぎを起こし、品性ある大人達の顰蹙を買う悪ガキ達の行為は無意味に見えるが、彼らが大人達が手の付けようもない不良達だと周囲に知らしめるには適している。愛する者を手に入れるためにその相手をレイプするのは文明化した社会の中では結果的に相手を失う結果に繋がるが、今でも地域によっては自分を犯した男に嫁がなければならない女もいる。つまりね、こうした反社会的行動を起こす特性もまた、人間の遺伝子の中に組み込まれた生存戦略の一つなんだ」


 性悪説ですか、と問うと、ヤクモ・アキグサは大袈裟に手を横に振った。


「いいや。ただ、今日の社会は人間に生まれながらに備わった攻撃性についてあまりに都合の悪いものとして目を逸らしすぎている、ということさ。悪性も善性もどちらも遺伝子が持って生まれるものだ。そりゃあ勿論、人によって偏りの程度に差異はあるけどね。だが、生得的に反社会的特性が目立つ人間が一定数生まれてくるということは、社会の仕組みにもそうした人間もまたある程度は必要だということだ」

「社会を形成するために最適な形で人間が生まれてくるってわけでもないでしょう。人間が生まれた後に社会があるんだから」


 オルシーニの存在は、この研究者と二人きりで相対しなければならない状況を想像すると有り難く思えた。

 ヤクモ・アキグサの言葉はその一つ一つが私の頭の奥を素手で触れられているような感覚を覚えさせられた。そう、私が私であることの証明である、その場所。私という人格も、私を今日の私たらしめた『超能力』も、すべて狭い頭蓋の中にある。


「そうだね、オルシーニ君。君の言う通り、人間に都合の良いように社会は作られる。そして、どのような社会でも例外なく犯罪が定められている。国に限らず、宗教や、あらゆるコミュニティにおいてね。何故かわかるかな?」

「ないと困るからでしょう。マッドマックスみたいな世界を望んでるなら別ですが」


 オルシーニの答えは間違っていなかったが、私にはより正確にヤクモ・アキグサの求めている答えがわかった。


「……人を罰するためですか」


 まさにその言葉を待っていたのだろう。

 我が意を得たりという顔で満足げに頷き、男は話しを続ける。


「そう。どのような社会においても、罪を犯さない人間はいない。だが、その罪の裁定を行うのも神ではない人間だ。人間には罰が必要だから、罰することを目的として、社会は犯罪を作り出す。大したことではなくとも犯罪として定められていることって案外多いものだよ。大多数のほうの人間が迷惑だと感じる事柄は、すべて犯罪にできる可能性を秘めている。別に可笑しな話でもないだろ? 生まれ持った趣味嗜好や特性だって、社会に適応できないものは悪とされるが、本来それ自体に良いも悪いもないわけだ。物静かであることが、場所や人によっては長所にも短所にも変わるようにね」

「貴方の理論で言うと、」


 私は彼をちらと見て、少し躊躇った。

 ヤクモ・アキグサは、致命傷に近い重傷を負ったとも思えないほど口はよく回っていたが、やはり具合は良くないのだろう、その顔色は白い。手術後に血液検査を行ったところ、オルシーニが口にしたようにドラッグの類いの薬物反応が出たとは聞いたが、今はそれも切れているだろう。だが、尋常ならざる熱の篭もった語り口のまま、男は話を中断する素振りも見せない。

 あまり無理をさせてもと思う気持ちがないでもなかったが、結局私は口を開いた。


「攻撃的な人格を生まれ持つ人間は、社会に罰されるために必要であるということですか」

「一面的に見れば、そうとも言える。だが、ある人間の最悪の部分はしばしばその個人の最も優れた部分でもある。芸術家がその厭世的な気質によって自らを苦しませながら、他でもないその気質故に、後世に名を残すほどの芸術作品を生み出すことができたりね。人間としては欠陥が見える人間は、その他の部分で際立った特性を見せることも多い。長所と短所は紙一重、という話と一緒だ。あまりに記憶力の良い人間は、日常生活においては良いことばかりではないだろうが、決して記憶違いが許されない特定の仕事上においては何よりのスキルとなる。人間の暴力性、攻撃性も同じことさ。制度化された社会の平時では嫌われるが、それこそオルシーニ君の言ったように世界が一夜にしてマッドマックス化した世界では、相手に殺されるより先に殺せる人間のほうが生き残りには向いている。種の保存という名目では、あらゆる反社会的特性にもまた意味がある。善良な男が妻を寝取られて子孫を残すチャンスがふいになるように、人を疑うことを知らない人間が裏切りに遭って財産を失うように、社会では称賛されるべき美点の善性も、その種の保存という面では不利に働くこともある」


 悪意や攻撃性は、決して非人間的なものではない。

 それは種の遺伝子に組み込まれた保存法則だ。


「報復は生産的な行為ではないが、『アイツはやられたらやり返す奴だ』という評判はその先において自分を守ることに繋がる。だから、暴力は人気なのさ。銃を撃ち合うゲームの売り上げがどれだけか。人間から一切の攻撃性を取り除こうとすれば、それは牙を抜かれた獣のように絶滅への一歩となるだけでなく、温厚で穏和で争いも向上心もない退屈極まりない世界になる。選手達が勝敗を譲り合うスポーツの試合を誰が見たい? トレンド曲からロックが消えて軒並み子守歌のような優しい曲調だけが流れる世界なんて、クリスマスシーズンのデパート並に気が狂いそうだろう?」


 攻撃性を称賛するわけではないが、攻撃性とはいわば人間性なのだ。


「そして、『超能力者』という人種は……おっと失礼。人種という言い方はお気に召さなかったか。それでは何と呼ぶか、病人? 障害者? まあとにかく、脳の欠損から起因する『超能力』を使える者には、脳の造りからして、こういった反社会的特性が際立って高い傾向にある。逆転の発想をすると、世に名高いサイコパス特性を持っている人間なんかは、『超能力者』となる適性が高いとも言えるかもしれないが、まあ、それはあまり意味の無い考え方だ。『超能力者』を作る際の大前提として脳神経の異常は先に来なくてはならないが、『超能力者』となった人間は、その自らの力自体に脳のリソースを食い潰されて、結果的に反社会的特性も加速する。こうなってくるともう、卵が先か鶏が先か、それともひよこが先なのか」


 気を抜けばすぐに逸れる話を軌道に戻そうとするように、オルシーニが手を振って彼の注意を妨げる。ヤクモ・アキグサもそれで現実に戻ってきたのか、つまりだ、と続けた。

 普通の人々は犯罪のラインを越えない程度の攻撃性を、普段から発散して調整している。


「だが、アジャセにはそれができない」


 かつて、哲学者であるショーペンハウアーは言った。

『人は何をするか選ぶことはできても、何を欲するか選ぶことはできない』


「攻撃性が人間を構成する普遍的な要素の一つであることは、人の何倍も攻撃性が増大した脳を持つ『超能力者』にとっては致命的だ。その反社会的特性が、周囲にストレスを与える程度のものに留まるならばまだいいが、度を超した場合は犯罪者になるしかない」

「だけど、人間には理性がある」


 眉を寄せたオルシーニに、噛んで含めるような調子で返答が返る。


「その理性が働かない病だとでも思ったほうがいい。道徳やら道理やらの、後天的に身につけられる社会性の類いを学ぶ機会も、残念ながらアジャセには施されなかった。まあ、アジャセの脳の損傷程度を見るに、そうした機会があったとしても彼が完全に衝動をコントロールできるようになったかは定かじゃない。ショーペンハウアーの言葉の通りだよ。何をするか選ぶことはできるが、何を欲するかは選ぶことができない。この施設に残った一世代目の『超能力者』達は皆――イム、君はかなり例外だが――自分達の感情をある程度抑制する術を選んで覚えている。だが、無視できない衝動があるのも、ここにいない『超能力者』諸君に聞いてみればわかるのではないかな」


 サングラス越しの視線が私へ向けられるのが感じたが、私は黙って顔を背けた。

 そんなことは聞くまでもない。外部の人間でさえ日々の記録を見れば一目瞭然だろう。無事に大人となるまでに、サラ・ソウジュやエニシダが壊した施設の設備の数々や、正当な理由なく人を殴った回数等数えはじめればきりがなく、まだ幼いアイリスとユウジュにもその特徴は当てはまる。その度にほうぼうに駆けずり、頭を下げて、言葉を尽くし、なんとかお目こぼしをもらえるよう努めてきた日々を振り返れば、私にはとてもではないが否定はできないのだった。


「じゃあなんだ? 『超能力者』の暴力性は仕方ないから世界最悪の犯罪者になったことも諦めろって?」


 オルシーニから呆れたように投げかけられて、ヤクモ・アキグサは「いやいや」と笑んだ。


「『超能力者』の生まれ持っての攻撃性は変えようがないが、そこのイムのような例もある。それに、彼女が先導して行ってきた『超能力者』達への教育は、少なくとも現時点では最善の形で成功しているように見える。攻撃性が高い人間の一番の問題点は、共感性が低いことだ。その点を、イムの超能力は補うものだからか、他の『超能力者』達も彼女に執着するんだろうね」


 私の『超能力』。

 目を合わせた相手に、自分の感情を同調させるだけの力。

 ヤクモ・アキグサの言葉を聞いて、私は不意にすとんと胸の中に理解が落ちたような気がした。

 私の力は基本的に役に立たないものだ。

 だが、私の仲間達は皆、確かに扱いづらい気性をしている。彼らは共感性が低く、攻撃性が高い。『自分』のことならばわかるが、『自分』以外に関心を抱くことはあまりない。

 過去に彼らが一度ならず二度も三度も起こした暴走のいずれも、最終的には私がようやく彼らと目を合わせることに成功すると落ち着いた。

 自分と同じ感情を抱く者は、自分に等しい。

 そういったロジックで、私の『超能力』は同じ『超能力者』にのみ効果があるのだろう。


「いや、それは超能力とかそういう話じゃなく、イムさんの真摯な思いやりと努力の結果とかじゃないんですか?」


 ヤクモ・アキグサに対して胡散臭いような感情が抜けないのか、胡乱げな眼差しだった。

 私へのフォローよりはヤクモ・アキグサに対する不信感からなのだろうが、思いがけず励まされたような形となった私は少し驚き、彼に微笑んだ。

 ヤクモ・アキグサは「それに関しては僕からはなんとも。僕はあくまで研究者としての視点で物を言っているだけだからね。僕としては人間が脳神経の信号によって動く精密機器であることは素晴らしき神秘であって、なんら侮辱的なことはないと思うけどね」と肩を竦めるようなジェスチャーをする。

 確かに、施設に残った私達がなんとかここまで共に育ってくることができた理由を、『超能力者』というくくりにおける絆によって語れるならば、それが一番美しい話なのだろう。

 だが、私達は確かに『超能力者』同士ではあったが、同時に違う人間でもあった。特に、他人とはあまりに異なる個性を持った自分がある。もともと私がサラ・ソウジュの隣に置かれた理由もそうだったのだから、彼らにとって私の眼が役に立つと聞いても納得はすれど悲しむようなこともなかった。


「なんにせよ」


 長々と逸れ続けた話の本題を思い出したように、ヤクモ・アキグサは言った。


「アジャセがイムの『眼』に執着しているのは疑いようもない事実だ。うん、アジャセは全然僕のことを信頼してはくれなかったけど、彼から君の話を聞いた感じ、並々ならぬ執着を感じたものさ。あの子どもを作った際に、その直感は正しかったと思ったね」

「なんであんたが誇ってんだよ……科学者ってのは皆こうなんですかね? 俺、なんかもう嫌になってきました。さっさとコイツ上に引き渡したいよ」

「まあでも、その執着が何に端を発しているか、考えてみる価値はあるかもしれないね。再度言うが僕はアジャセに信頼されていなかったから、アジャセの行先は知らない。アジャセが僕の脳に隠したというヒントについてもさっぱり心当たりはないし、それを思い出すヒントの『ある感情を想起させる』という〝ある感情〟がどんな類いの感情かもわからない」


 目覚めてから感じた覚えのある感情は該当しないだろうから、『安堵』と『喜び』と『興奮』辺りは除外できる。ヤクモ・アキグサは真面目な顔でそう分析した。

 なんでこの状況でそんな感情を覚えているんだよとぼやいたオルシーニが溜息を吐いた。


「こっちもあんたに対する信頼はないからその証言を信じるかはこれからの尋問次第ですけどね」

「そうは言ってもポリグラフなんかの機械を使うんだろう? 機械が客観性を担保してくれるなら素晴らしいことじゃないか。だから、お手柔らかに頼むよ。今更嘘をついたって僕には何の得もないことはわかるだろう?」

「アホ抜かさないでもらいたいね。あんたには世の中の人権団体が聞いたら一万回袋叩きにした上でドブ川に重しをつけて沈められても可笑しくない程度の人道に反した実験や研究の数々の容疑がかかっている。アジャセとは違って、あんたは衝動を律することのできる道徳教育を受けた人間だろうから、善悪の基準も理解していますよね?」

「やれやれ。僕は今『億劫』と『残念』と『憂鬱』を覚えたから、たぶんこれらの感情もトリガーではないらしいね」


 疲れたように目を閉じてふてぶてしくのたまったヤクモ・アキグサは、こちらが退室しようとするとその瞳を開いた。

 薬物の影響か濁った瞳には、だが、相反する理知的な知性の光を覗いている。


「アジャセが君の『眼』に執着するようになったのには、何かしらのきっかけがあったはずだ。今のところアジャセの行動原理はそこに拠っている。記憶の鍵と関係があるかはわからないが、アジャセに会いに行くつもりなら、その心当たりがないか考えてみることをおすすめするよ」


 ええ。私もそれは気になるところです。

 いずれアジャセに聞いてみたい。


 そう言って、私は今度こそ部屋を出た。

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